第60話 忘れられない思い出

「俺は────水嶋とは付き合えない」


 かつてないほどの緊張感の中、俺が絞り出すようにそう答えると。


「……理由を、聞いてもいい?」


 悲嘆にくれた表情を浮かべるでも、「無理だったか~」などとお茶を濁すでもなく、水嶋はすこぶる落ち着いた態度でそう尋ねてきた。


「やっぱり……私が『宿敵』だから、かな?」


 そう先回りする水嶋に。


「いや、それはもう関係ない」


 俺はきっぱりとそう答えた。


「俺はもうお前のことを宿敵だとか思ってないし、つーか、ぶっちゃけ勝ちだの負けだのもどうでもいいんだよな、もう」

「へ……?」


 突然身もふたもないことを言い出した俺に、さすがの水嶋もポカンとした表情を浮かべていた。


 そりゃそうだ。じゃあこの1か月は一体なんだったんだ、て話だもんな。


 苦笑しつつ、俺は学生カバンに忍ばせていた缶コーヒーを2つ取り出して、片方を水嶋に放って渡す。


「ほれ」

「うわっ……とと」

「まぁ、話せばちょっと長くなるからさ。コーヒーでも飲みながら聞いてくれよ」


 言って、俺は缶コーヒーのプルタブをカシュッ、と押し開ける。

 戸惑っていた水嶋も、やがて習うようにしてプルタブを開けた。


「……夕方の屋上で缶コーヒーって、ちょっとカッコつけすぎじゃない? 映画やドラマじゃあるまいし」

「いいだろ別に。一度やってみたかったんだよ、こういうの」

「ふ~ん……まぁ、私もこういうの嫌いじゃないけどさ」


 水嶋の茶々を受け流し、俺はフェンスの向こうの夕日を見上げた。


「前にお前に告白された時も言ったけどさ。俺、最初は絶対に揶揄からかわれてるだけだと思ってたんだよ。だってそうだろ? 今まで一度も喋ったことがない初対面同然の、しかも誰もが憧れるイケメン美少女で人気モデルのカリスマJKのお前がだ。俺みたいな陰キャラでインドアな映画オタクのことが好きだなんて、そんな都合の良いことあるわけないだろ? それこそ、映画やドラマじゃあるまいしな」


 ましてや相手は俺の彼女を奪っておきながら、なぜかその彼女そっちのけで俺につきまとって来るんだ。


 普通だったら、血だらけの傷口に嬉々として塩を塗って追い打ちをかけるが如き、鬼畜きちくの所業としか思えない。


 恋人を奪われてみじめに肩を落とす俺に後ろ指を指し、嘲笑あざわらい、リア充陽キャの仲間たちと「あれは傑作だった」とネタにする。


 そんな、反吐へどがでるようなタチの悪い嫌がらせをされているに違いないと思っていた。


「『勝負』が始まってからも、俺は腹の中ではお前のことをあくまでも宿敵としか思っていなかったんだ。もしも一か月後、俺がお前の告白を受け入れたら、例えばそこの花壇の物陰あたりからでもお前のお仲間が出てきてさ。『ドッキリ大成功~!』、『こいつ彼女を奪った張本人に惚れてやんのプ~クスクス!』てな具合で笑いものにされるのがオチだとすら思ってたよ」

「えぇ……そんな酷いこと、考えたこともなかったけど」

「まぁ、これは極端な例え話だけどな」


 とにかく、だから、たとえお試しとはいえ恋人同士になろうとも、いくらこいつが俺に好意をアピールしようとも。


 それらは全て、俺をハメるためのトラップだと。

 こいつが俺に言う「好き」という言葉は、所詮は口先だけのものに過ぎないと。


 俺は結局、心のどこかではそう決めつけていたのだ。


 だけど……。


「だけど、な。あの日、俺と紅蘭さんの間に割って入って……腹にカッターがぶっ刺さってて、意識なんか朦朧としてるくせに、それでも俺のことを『好き』だって言ったお前を見た時さ。お前とは反対に、俺は自分のことが心底嫌いになりそうだったよ」


 理由はわからない。

 

 だけど、無理やり恋人を奪ってまで、そして文字通り身を挺して守ろうとしてまで。


 それほどまでに、水嶋が本当に本気で俺のことを好きだと思ってくれていたんだということだけは、人一倍ひねくれている俺でも痛いほどわかった。


 この一か月、あいつが俺に向けていた好意の数々は、全部紛れもない本心だったんだと思い知った。


 それなのに、俺はその純粋な好意を頭から否定して、曲解して、穿った目で見ることしかしなかった。


 水嶋の本気の思いに、俺は本気で向き合っていなかった。

 そんな自分が、どうしようもなく嫌な奴に思えて仕方なかった。


 本気の思いには、こっちも本気で向き合わなければフェアじゃないと思ったんだ。


「だから俺は、もうお前を『宿敵』とは思わない。俺にとってお前は、酔狂にもこんな冴えない男のことを本気で好いてくれている、ただの一人の女の子だ」


 不意に「女の子」と言われたことに驚いたのか、水嶋が風に流れた髪を耳にかけながら俯く。夕陽の加減からか、その頬は少し赤らんでいるようにも見えた。


「人を馬鹿にしていたのは、俺の方だ。今までお前の告白を真面目にとりあってこなかったこと、悪いと思ってる。ごめん、水嶋」

「颯太……」

「でも、だから俺もこの一週間、真剣にお前の告白に向き合った。その上で……俺はやっぱり、水嶋とは付き合えない」


 そこで一旦言葉を切り、俺は缶コーヒーの残りを一気に飲み干す。

 それから照れ臭さを誤魔化すように、ガシガシと頭を掻いた。


「あ~、その、なんだ……白状すると、振り返ってみれば正直、悪くないと思った。お前と過ごしたこの1か月は」


 家族以外の誰かと服を買いにいくのも、自分の部屋に妹以外の女子をあげたのも、初めてのことだったし。


 ブライダルモデルの現場でバイトするなんてことも、多分こいつと出会ってなきゃ一生体験できなかっただろうな。


「振り回されることもいっぱいあったけどさ。それでも初めてのことだらけで、新鮮で、楽しかったよ。お前と一緒にいればこの先もずっとそんな毎日を過ごせるのかな、なんて考えると、それもまぁ悪くないかもなって思う。……だけど」


 俺はポケットからスマホを取り出し、カメラロールの「お気に入り」に登録されている写真一覧をざっと眺める。


 我ながら、未練がましいとは思うけど……そこには、俺が江奈ちゃんと過ごした3か月の間に積み重ねた思い出の数々が、まだ残っていた。


「俺は……やっぱりまだ、江奈ちゃんのことを嫌いになれないんだ」

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