22話 悪役の引き際

「魔女……ってのは、お前のことか?」

「そうそう。ああ、どっちかって言ったら『悪魔』かな? まぁ、どっちでもいいか」


 とにかく、と言って水嶋は人差し指をピンと立てた。


「江奈ちゃんからそんな話を聞いた魔女は、だからそそのかしてみたわけだよ。一度、江奈ちゃんが颯太をそでにして裏切るフリをした後に、今度は私が颯太に言い寄るのはどう、ってさ。それで颯太が私の誘惑に負けちゃったら、江奈ちゃんへの愛はその程度のものだったってこと。でも逆に、それでも颯太が私の誘惑に屈しなかったら、颯太の江奈ちゃんへの愛は本物だったことが証明されるでしょ?」

「……そういうことか」


 思い返せば、たしかに色々と不自然な点を感じていないわけではなかった。


 もし江奈ちゃんと水嶋が本当に付き合っていたとしたら、江奈ちゃんがあまりにものだ。


 だって、恋人なんだから普通は休日や放課後に一緒に過ごしたいと思うだろ? なのに、いくら相手が多忙な人気モデルだからって、休日も放課後もデートできないのを良しとしておくなんておかしな話だ。


 それに、大した変装をするでもなく堂々と浮気相手おれと街中を歩き回る水嶋も、考えてみればあまりに無防備が過ぎる。


 本気で江奈ちゃんにバレたくないなら、万が一江奈ちゃん本人やその知り合いに出くわしてしまう可能性も考えて、せめてサングラスやマスクで人相を隠すくらいのことをしてもいいはずだった。


 だがそんな疑問も、水嶋と江奈ちゃんが最初からグルだったというならすべて納得だ。


「ちなみに、昨日江奈ちゃんが男の人と歩いていたのもただの演技。あの場で鉢合わせるように、私と江奈ちゃんで事前に打ち合わせしてたんだ。ちなみに、相手役にはうちの事務所の新人俳優さんに協力してもらいました」

「なっ……あれも仕込みだったってのか?」

「そうだよ。江奈ちゃんの本性が恋人をとっかえひっかえするような女の子かもしれない、って所を見せて、それでも颯太が江奈ちゃんを助けようとするか……江奈ちゃんへの思いが揺らがないかを見たくてさ。私が一計を案じたのだよ」


 ちょっとやりすぎだったかもだけどね、と続けて、水嶋はバツが悪そうに舌を出した。


 諸々もろもろの種明かしをひとしきり聞いて、俺はいま一度深い深いため息をついて肩を竦める。


「要するに……俺はずっと試されていたわけだ。彼女にフられたらすぐに次の女の子になびくようなクズ男か、それとも本気で彼女のことを想っていた男か、を」

「今まで騙していて……本当にごめんなさい。フリだったとはいえ、私の身勝手な理由で颯太くんを試すようなことをして……何も知らないままいきなりこんなことをされたら、きっと颯太くんをとても傷付けることになるって、わかっていたのに……」

「江奈ちゃん……」


 たしかに、江奈ちゃんに裏切られたと知った時、俺は心底落ち込んだ。ショックだったし、傷付きもした。

 

 俺を試すためだったとはいえ、江奈ちゃんが取った手段は、世間一般からすればたしかにあまり褒められたものではないかもしれない。他にいくらでもやり方があったのかもしれない。


 だけど……目の前で今にも泣きだしそうに声を震わせて頭を下げる彼女を責めることは、少なくとも俺にはとてもできそうになかった。


「いや……いいんだ。江奈ちゃんが俺のことを裏切ったわけじゃないことがわかっただけで、十分だよ。むしろ、俺の方こそごめんな。まさか、江奈ちゃんをそこまで不安にさせていたなんて……」

「そんな……! 颯太くんは、何も悪くないです……!」


 江奈ちゃんはイヤイヤをする子供みたいに頭を振って、必死に俺の言葉を否定した。そんな彼女の姿に、俺は思わず苦笑する。


 ちょっと引っ込み思案でネガティブなところもあるけど、本当は人を騙すようなことなんて人一倍苦手な、とても穏やかで心優しい女の子。


 やっぱり、江奈ちゃんは江奈ちゃんだ。


「え~と……どうやら誤解も解けて、無事にお互いの想いも確かめられたみたいだね」


 コホン、という咳払いに顔を上げると、気付けば水嶋は屋上から校舎内へと入る扉に手をかけていた。


「改めて、この試練ゲームは君たち二人の勝ちだ。おめでとう。そういうわけで、敗者のはクールに去るとするよ」

「えっ? ちょ、おい……!」

「約束通り、私はもう金輪際こんりんざい、颯太に付きまとったりはしないから安心して。あとは愛し合う2人でごゆっくり、ってね」

「おいってば! ま、待てよ、水嶋!」


 早々に立ち去ろうとする水嶋を、けれど俺は慌てて呼び止めた。


「……嘘、だったのか?」


 俺の問いに、水嶋の肩がわずかに跳ねた。


 しかし、それでもいつもの飄々とした態度は崩さない。


「どれのことを言ってるのかな?」

だ。……この1か月間のお前の言動は、全部嘘だったって言うのか?」


 俺の再度の問いかけに、水嶋はくるりと背を向ける。


 屋上の扉に顔を向けたまま、しばしの沈黙を保って。


「──そうだよ」


 やがて、振り返りもせずにそう言ってのけた。


「これまで一緒に楽しくデートしたのも、手を繋いだのも、抱きしめたのも……『好き』って、言ったことも。──


 その肩が少しだけ震えているように見えたのは、風によって制服のブラウスが揺れていたことによる目の錯覚だろうか。それとも……。


「そんなっ!?」


 切り捨てるような水嶋の答えに、思わずといった口調で声をあげたのは江奈ちゃんだった。


「だって……だって、は!」

「江奈ちゃん」


 しかし、何事かを言いかけた江奈ちゃんの言葉を、水嶋が珍しく強い語気で遮った。


 それから、やはりこちらを振り返ることなく、フルフルと首を横に振る。


 背を向けられていても感じる水嶋の無言のプレッシャーに気圧けおされたのか、江奈ちゃんもそれっきり口をつぐんでしまった。


(な、なんだ? 今の意味深なやり取りは……?)


 話が読めずに立ち尽くしているうちに、今度こそ水嶋は屋上を後にしようと扉を開けた。


「それじゃあね、江奈ちゃん。これからも彼氏と仲良くね。ああ、そうそう。それから……この1か月、なかなか楽しかったよ。キミとの


 せせら笑うような口調でそう言うと、水嶋は日の当たる明るい屋上から、薄暗い校舎の中へと歩を進めて。


「じゃ、さようなら──


 そんな他人行儀な挨拶だけを残し、扉の向こうへと消えてしまった。


「静乃、ちゃん……」


 慌てて後を追いかけようとして一歩踏み出した江奈ちゃんは、けれど先ほどの突き放したような水嶋の態度を思い起こしたのか、それ以上は先に進めずにいた。


「そんな……そんなの、ダメだよ、静乃ちゃん……」

「えっ、と……江奈ちゃん、どういうこと? それに、『静乃ちゃん』って……」


 いよいよ怪訝けげんに思った俺は、立ち尽くす江奈ちゃんにそう尋ねる。


 ゆっくりと俺の方に向き直った江奈ちゃんは、何事かを俺に打ち明けようとして、しかし言葉を詰まらせて俯いてしまう。


 そんなことを何度か繰り返して、それでも最終的には、江奈ちゃんは何かしらの覚悟を決めたような決然とした表情で切り出した。


「私……颯太くんに、大事な話があるんです」


 改まった態度でそう言われて、俺は思わず背筋を伸ばす。


「大事な、話?」

「はい。颯太くん、さっき水嶋さん……静乃ちゃんに、聞きましたよね? この1か月のことは全部嘘だったのか、って」


 少し言葉を詰まらせながら、江奈ちゃんがそう聞いてくる。


「颯太くんは……嘘だと思いますか?」

「え?」


 眉をひそめた俺に、江奈ちゃんが自分のスマホでチャットアプリの画面を表示させて見せてくる。


 そこには、水嶋から江奈ちゃんに送られたものと思われるメッセージがずらりと並んでいた。中には、あいつが撮影したらしい俺とのツーショット写真なんかも添えられている。


「これって……」

「この1か月、静乃ちゃんは颯太くんとどう過ごしたかを、こうしてこまめに私に教えてくれていたんです。どこへ行って、何をしたのか……きっと、静乃ちゃんなりに私を不安にさせない為、だったんだと思います」

「そう、だったのか……それはなんというか、律儀というか……」

「はい。だから私は、この1か月の間に二人がどんな風に過ごしていたのかはおおよそ知っています。その上で、もう一度聞きます。颯太くんは……静乃ちゃんの言う通り、全部が演技だったと思いますか?」


 聞かれて、俺は答えに困ってしまう。


 最初のうちは、俺もたしかに疑っていた。

 あいつのすることは全部演技なんだと。あいつの言葉は全て嘘なんだと。


 だけど、あのストーカー事件をきっかけに、それは俺の間違いだったと気付いた。


 演技でも嘘でもない。あいつはどこまでも本気だったって。


 本気で俺のことが好きで、本気で俺と恋人になろうとしてたんだって。


 ようやくそれがわかった……はずだったのに。


「……わからない」


 にわかに自信がなくなってしまい、俺はそんな弱音を口にする。


 短い間だったけど、一緒に過ごしていくうちに、あいつのことを少しは理解できたような気がしていた。


 でも、俺にはもう……水嶋が本当は何を考えているのかわからない。

 

「ううん。本気でしたよ、静乃ちゃんは」

「え……?」


 しかし、江奈ちゃんは俺のそんな弱音を一蹴した。


「……どうして、そう言い切れるの?」

「言い切れますよ。だって……静乃ちゃんは、

「…………ぇ?」


 今日はもう、これ以上驚くようなことはないと思っていたのだが。


 江奈ちゃんが出し抜けに明かしたその事実に、俺は今日何度目ともしれない唖然とした表情を浮かべていた。


「ど……どういう、ことなんだ?」


 水嶋が? 小学生の時から俺のことが好き?


 そんなバカな。だって、俺とあいつはつい1か月前に出会ったばかりなんだぞ?


 それなのに、なんであいつが小学生の時から俺を知ってるっていうんだ?


 と、というか……なんで江奈ちゃんがそんなことを知ってるんだ?


「……私、本当は高校生になってから静乃ちゃんと知り合ったわけじゃありません。私たち、昔同じ小学校に通っていたんです。中学校は、別々になっちゃったけど……でも、静乃ちゃんが外部進学でこの学校に来て、再会したんです。『静乃ちゃん』っていうのは、小学生の頃からの呼び方で」

「えっ……じ、じゃあ、つまり二人は『幼馴染み』だった、ってこと!?」


 江奈ちゃんがコクリと頷いてみせる。

 

 知らなかった……まさか、江奈ちゃんと水嶋にそんな繋がりがあったなんて。


「いつも一人ぼっちだった私にも、唯一気さくに接してくれたのが静乃ちゃんでした。放課後に一緒に遊んだりしたことはできなかったけど、学校ではほとんどいつも一緒にいました」

「……そうだったんだ」


 てっきり、1か月前に同じ特進クラスになったことをきっかけに仲良くなったんだとばかり思ってた。


 水嶋だって「知り合って1か月」とか言って、全然そんな素振りを見せなかったのに。


「お昼休みなんかには、二人で色んな話をしました。好きな音楽の話とか、将来の夢の話とか……初恋の話とか」

「初恋……?」

「はい。それで私、静乃ちゃんから聞いたんです。どこの学校なのかもわからないし、名前もほとんど知らないけど……ができたんだ、って。その男の子が誰だったのか……私は静乃ちゃんと再会して、ようやく知ることになりましたけど」


 そこで一度言葉を切って、江奈ちゃんは一瞬ちらりと屋上の扉に視線を走らせると。

 

「……静乃ちゃんには『黙ってて』と言われていたんですけど……やっぱり私、このまま『勝負』を終わらせるのはフェアじゃないと思うから」


 それから意を決したように打ち明けた。


「だから聞いてほしいんです、颯太くん。──静乃ちゃんの、の話を」

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