21話 思いがけない決着
「俺は……やっぱりまだ、江奈ちゃんのことを嫌いになれないんだ」
「お気に入り」の写真一覧をスクロールし、俺は適当な1枚を選んで表示させる。
場所はどこかの喫茶店だろうか。向かい合って座っている俺たちが、斜め上からのアングルのカメラに向かって笑顔を向けていた。
自撮りなんてあんまりしたことがなかったから、カメラを持っている俺の顔はちょっと見切れてしまっているけど。
「いつかお前が言った通り、たしかに江奈ちゃんは
でも、こんな仕打ちを受けてもなお、俺はまだ江奈ちゃんを恨んだりすることなんてできそうになかった。
だって、俺が江奈ちゃんと過ごしたあの3か月は、本当に楽しかったんだ。
放課後は喫茶店で好きな作品について語り合って、休日には一緒に映画を見に行ったり、たまに家に遊びに行ったり。
はたから見れば刺激的とは言えないかもしれないけど、そんな穏やかで温かい日々が、どれだけ俺の灰色だった青春を色づかせてくれたことか。
たとえ江奈ちゃんが本心でどう思っていたとしても。少なくとも俺にとっては、あの3か月がこれまでの人生で一番幸せな時間だったという事実は変わらないんだ。
「もし、彼に俺がお前と付き合うことになっても……きっと上手くいくわけがない。だって俺の心の中にはまだ、江奈ちゃんがいるんだから。あの頃のことを全部忘れて、水嶋、お前のことだけ考えていられる自信が……俺にはまだ無い」
俺の言葉を、水嶋は黙って聞き続けている。
プルタブが空いた缶コーヒーには、まだ一口も口をつけていない。
「お前の気持ちは嬉しいよ。もしこれが俺の人生で初めてされた告白だったなら、きっと二つ返事でOKしてただろうな。だけど……ごめん。だから俺は、水嶋と恋人になることはできない。……これが、お前の告白に対する俺の答えだ」
「……そっか。うん……そっか」
とうとう観念したようにそう呟くと、水嶋はそれまで口をつけていなかった缶コーヒーをグイッとあおった。
そのままゴクゴクと飲み干して、「プハァッ」と大きく息を吐く。
「はぁ~あ! ほんと、颯太って変なところでバカが付くほど真面目だよね~、顔に似合わず」
「……へいへい、どうせ悪人
俺が言い返すと、水嶋がクスリと笑う。
水嶋が笑うから、俺もつられて笑ってしまった。
あえて勝ち負けで言うとしたら──きっと俺は、試合に勝って勝負に負けた、といったところだろう。
だって……きっと俺はいつの間にか、もう胸を張ってこいつのことを「好きになるなんてありえない」とは、言えなくなってしまっているんだから。
「……そっかぁ」
猫みたいにググッと伸びをして、水嶋がため息交じりに呟いた。
「じゃあ、要するに告白の返事は『NO』ってことね」
「ああ……そういうことになるな」
申し訳なさげにそう言って、俺は水嶋の次の言葉を待つ。
──しかし。
「なら」
不意にいつもの
「この『勝負』はキミの勝ちだね──江奈ちゃん?」
…………は?
江奈ちゃん? なんでここで、江奈ちゃんの名前が出てくるんだ?
「おい。それって、どういう……」
と、俺が口を開くのもつかの間。
水嶋の背後、屋上庭園の植え込みの陰から、何者かが姿を現す。
「ふぇ!?」
瞬間、俺は自分でも笑ってしまうくらいに
なぜかって?
だって、植え込みの陰から出てきたその人物は……。
「え、え、え……!?」
肩口あたりまで伸びた、濡れ羽色の髪。いつも片方の目が隠れがちになるその長い前髪の向こうには、少しあどけなさを残しつつも目鼻立ち整った可憐な顔がのぞいている。
どこか
「……里森、さん?」
里森江奈ちゃん、その人だったのだから。
「こ、こんにちは……」
「な……なん、で……?」
なんで江奈ちゃんがこんなところに!?
それに、水嶋の言う「キミの勝ち」って、どういうことなんだ?
あまりの急展開に脳の情報処理が追い付かない。
突然現れた江奈ちゃんと、
「あ~あ。これでも結構自信はあったんだけどなぁ……やっぱりポッと出の私なんかじゃ、キミたちの間に入り込むなんて無理な話だった、ってことかな」
さっきまでのシリアスな態度が嘘みたいに、水嶋は悪戯が失敗した子供みたいな口調でそう言って肩をすくめた。
「お、おい、どういうことだよ水嶋? 里森さんの勝ちだとか、入り込むだとか……一体なんの話をしてるんだ?」
「ああ。それはね」
俺が詰め寄ると、水嶋が江奈ちゃんに目配せをする。
それにコクリと頷き返すと、江奈ちゃんはおずおずと俺の前まで歩み寄って来た。
と、思ったら。
「━━ごめんなさい、颯太くん!」
ブォン、という音が聞こえてきそうな勢いで、江奈ちゃんが深々と頭を下げてくる。
「さ、里森さん?」
「私……私、本当は水嶋さんと付き合ってなんかいないんです!」
「……!?」
人間、本当にびっくりすると、もはや叫び声すらもあげられなくなるらしい。
衝撃の事実の連続に、俺は思わずガシャン、と屋上フェンスに寄りかかり、そのままズルズルと尻もちをついてしまった。
「そ、颯太くん!? だ、大丈夫ですか!?」
慌てた様子で江奈ちゃんが駆け寄ってきて、俺の隣にしゃがみこんで肩を支えてくれる。
「あ、ああ……大丈夫。ちょっと、腰が抜けちゃって……」
心配そうに顔を覗き込んでくる江奈ちゃんに、俺は辛うじて頷き返した。
いつの間にか、俺の苗字ではなく名前で呼びかけてくれている江奈ちゃん。
思えば彼女にこんな風に呼んでもらえるのも久しぶりで、なんだかとても懐かしい気分だった。
「そ、それより……どういうことなの?」
江奈ちゃんは水嶋と付き合っていなかった。
そんなカミングアウトに、俺は喜んだり安堵したりするよりもまず困惑してしまっていた。
「里森さん……いや、江奈ちゃん、言ってたよね? 他に好きな人ができた、って」
「そんな人、いません」
「俺に、愛想を尽かしたんじゃ……?」
「そんなこと、あるわけないです」
「『私のことはすっぱり諦めて』って……」
ふるふると首を横に振って、江奈ちゃんは脱力していた俺の右手をぎゅっと両手で握りしめた。
それから心底申し訳なさそうに眉根を寄せて、ポツポツと語り始める。
「嘘、だったんです。私が颯太くんを捨てて水嶋さんを選んだっていうのも、水嶋さんが颯太くんから私を奪ったっていうのも……全部、嘘なんです」
「う、そ……?」
江奈ちゃんの言葉を受けて、俺は
そうなのか、と俺が無言で問いかけると、水嶋もコクリと首肯した。
「颯太にそう思わせるように、この1か月ずっと、私たちで一芝居うってたってこと」
「って、ことは……お前と江奈ちゃんは、最初っから……?」
「うん。グルだった」
まるで、コンゲームものの映画の終盤で大どんでん返しを見せられた時のような気分だった。
軽い放心状態になってしまい、俺は夕暮れ時の空をポカンと見上げる。
そうか……そう、だったのか。
「スゥゥゥゥゥゥ…………はぁ~~~~」
一度大きく息を吸い込み、胸の奥に溜まっていたモヤモヤを吐き出すように息を吐く。
二度、三度とそれを繰り返すうちに、やがて俺の思考も徐々に平常に戻っていった。
「落ち着いた? 颯太」
「……ああ。正直、まだ色々と飲み込み切れていない部分もあるけど」
へたり込んでいた体を持ち上げ、再び立ち上がる。
言いたい事や聞きたいことはいくらでもあったが、俺はとりあえず、そもそもにして最大の疑問をぶつけることにした。
「どうして、こんなことを?」
江奈ちゃんは俺を裏切ってなんかいないし、水嶋は俺から恋人を奪ってなんかいない。今のこの状況を見れば、たしかにそれは本当なんだろうということはわかる。
わからないのは、なぜ2人が
「単なるイタズラ……ってわけじゃないよな? どう考えても」
もしそうだとしたら、それはそれでびっくりどころの話じゃないんだが。ハリウッド映画も顔負けのビッグスケールなイタズラだ。
「それは……」
「それについては私から説明するよ。なにしろ黒幕は私だからね」
江奈ちゃんが口を開くのを遮るように、水嶋が一歩前に出る。
「江奈ちゃんは、颯太の愛を確かめたかったんだよ」
「俺の、愛……?」
俺が聞き返すと、水嶋は頷き、江奈ちゃんは気恥ずかしそうに顔をそむける。
「──あるところに、子供のころから自分に自信が持てないお姫様がいました」
俺と江奈ちゃんに背を向けた水嶋が、おとぎ話でもするように
「お姫様はいつも勉強や習い事に追われていて、遊ぶヒマなんてありません。流行の話題や娯楽にもほとんど触れる機会がなく、そのせいで同じ年ごろの子たちからも孤立してしまいます。『自分はなんてつまらない女の子なんだろう』──お姫様は、ますます自分に自信を無くしていってしまいました」
もはや聞きなれた水嶋のハスキーボイスが、屋上を吹き抜ける風に乗って俺の耳に流れ込んでくる。
「そんな時、お姫様は1人の男の子と出会います。偶然にも共通の趣味を持っていたその男の子は、お姫様にとっては初めての『仲間』ともいえる存在でした。つまらない自分と過ごす時間を『楽しい』と言ってくれた男の子に、やがてお姫様は段々と心惹かれていきます。そしてついに、2人は晴れて恋人同士となったのです」
それは、いつだったか江奈ちゃんが俺に打ち明けてくれた身の上話と同じだった。
私はつまらない女の子だ……思い返せば、たしかに江奈ちゃんは時々そんな風なことを言って、不安そうに俯くことが何度かあった。
その度に俺は、そんなことはない、江奈ちゃんと一緒にいる時間は楽しい、と励ましていたっけ。
「しかし──それでもやっぱり、お姫様はどうしても自分に自信を持ち切れずにいました。『自分なんかが恋人なんて、本当は彼も嫌なんじゃないか』、『彼に好きでいてもらえるほどの魅力が、本当に自分なんかにあるんだろうか』……男の子と過ごす日々が楽しければ楽しいものであるほど、お姫様はそんな不安に押しつぶされそうになっていきました」
そこまで話したところで、水嶋がくるりと俺たちに向き直る。
それから慣れた様子でウィンクをしてみせながら、鼻先に自分の人差し指をあてがった。
「そんなある日のことです。お姫様の前に、悪戯好きのわる~い魔女が現れて、彼女にこう囁きました──『彼の愛が本物かどうか確かめたくはないか?』、と」
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