第6章 勝者は1人とは限らない

20話 答え

 翌日の月曜日。


 今日は5月末に行われる中間テスト、その1日目だ。


 テスト自体は昼過ぎには終わるので、午後はほぼ丸々フリーになるのだが。残念ながら中間テストは明後日まで続く。


 この後も学校に残って勉強したり、ファミレスやカフェで明日の対策を練ったり、という生徒がほとんどだろう。


「ふぅ、1日目終了〜。颯太、どう? 手応えのほどは?」


 クラスメイトたちがめいめいに教室を後にする中、樋口が背伸びをしつつ尋ねてくる。


「え? あ、うん……どうだろうな。お前は?」

「僕は英語がちょっと不安だったかなぁ。最後の大問の長文読解とか、半分くらいしか読めなかったしさ」

「あ〜、あれな。ムズかったよな」


 なんて適当に相槌あいづちを打ってはいるが、ぶっちゃけ、俺はテストどころではなかった。


 中間テストなんぞ受けたい奴だけ受けてろや、なんてヤンキー漫画みたいなことを言うつもりは毛頭もうとうないが。


 俺にとってはむしろ、この後に控えているイベントの方こそがよっぽど重要だった。


「……ふぅ」

「颯太? どうしたの、ため息なんてついちゃって。そういえば、今日はなんだか朝からずっと難しい顔してるよね。歯でも痛いの?」

「……まぁ、そんなところだ」


 投げやりな答えを返し、俺は視線を窓の外へと戻す。


 コの字型になっている本校舎東棟の2階。そこにある俺の教室からは、見上げれば反対側にある西棟の屋上のフェンスが見えた。


 ちょうど1か月前、俺が人生で2回目の告白をされた場所。


 俺と水嶋の「勝負」の1か月が始まった場所。


 そして──今日、その「勝負」の決着がつく場所。


『1か月後、私はもう一度キミに告白をする』


 そう言った時の、どこか一世一代の大博打にでも挑むかのようなあいつの真剣な顔は、不思議と今でもはっきり覚えている。


 俺がその告白を受け入れたら、水嶋の勝ち。あくまでもお試しだった「恋人」という肩書は正式なものとなる。この1か月にあいつと過ごしたような日々が、これからもずっと続いていくのだろう。


 逆に、俺がその告白を断れば、俺の勝ち。水嶋は俺の事をすっぱりと諦め、もう付きまとったりすることはないという。


 あいつとの仮の恋人関係も、今日限りをもって終了だ。この1か月にあいつと過ごしたような日々は、きっともう二度と訪れることはないだろう。


(…………俺は)


 無意識のうちにポケットの中の拳を握りしめ、俺は目を閉じた。


(俺の答えは、もう決まってる)


 決着の時は、もうすぐだ。


 ※ ※ ※


【13時に、あの場所で】


 樋口と別れて教室を出たところで、水嶋からそんなシンプルなチャットが届いた。


「どこかは言わなくてもわかるよね?」というあいつの試すような笑顔が目に浮かぶようで、なんだか少しムカつく。


 ふん、と鼻を鳴らし、俺は既読だけしてスマホをポケットにしまった。


 それから適当に時間を潰した俺は、やがて約束の時刻が近づいてきた頃、いよいよ本校舎西棟の屋上へと続く階段下にやってきた。


 約束の時間まではまだ10分ほどあるが、多分あいつはもう来ているんだろう。


 薄暗く、人気のない階段の踊り場には、かすかにキンモクセイの香りが漂っていた。


「……行くか」


 深呼吸をして、俺は1段、また1段と階段を上っていく。


 上る度に心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、やがてたどり着いた屋上への扉に手をかけ、押し開けた。


「……っ」


 ビュオッ、という一陣の風とともに、扉の向こうから眩い陽光が差し込んできて、俺は思わず目を細める。


 やがて、薄暗い室内から明るい屋上に出たことで生じたホワイトアウトがおさまってきたところで。


「──待ってたよ、颯太」


 屋上の扉に背を向けて立っていた水嶋が、くるりとこちらに振り返る。


 後ろ手を組んで凛と立つ彼女のサラサラの髪や、透き通ったエメラルドの瞳が、陽の光を受けてまるで宝石のように輝いて見えた。


「……ああ。待たせたな」


 一瞬目を奪われていた俺は、しかしすぐに我に返って扉を閉める。


 仕切りなおすように咳ばらいをして、水嶋の前へと歩み出た。


「今日、英語のテストあったでしょ? どうだった?」

「……まぁ、いつもよりは手応えあった気がするよ。これもお前に連日、勉強見てもらったおかげかもな」

「はは、それは良かった。颯太が留年なんてことになったら、寂しいもんね」

「あのな、俺だってさすがにそうならない程度には真面目にやるっての。お前は俺のことを何だと思ってるんだ」


 ビシッと指を突きつけてやると、水嶋はさも当たり前のことのように言ってのけた。


「ヒーロー」

「は?」

「成績とか、愛想とか、あとついでに目付きとかも悪いけど。それでも、優しくて、カッコよくて、びっくりするくらいお人好しな……そんな、私のヒーローだと思ってるけど?」

「……はぁ。そればっかりだな、お前は」


 そんな当たり障りのない会話を二度、三度と交わしたところで、やがてどちらからともなく押し黙る。


 聞こえてくるのは、そよ風が屋上を吹き抜ける音や、木の葉が揺れる潮騒しおさいのような音だけだ。


 そして。


「それじゃあ、さ」


 しばし場を支配していた沈黙を破り、水嶋がおもむろに切り出した。


「答え、聞かせてよ」


 いつかと同じその言葉を口にする彼女に。


 そうして俺は、人生で3度目の告白をされた。


「佐久原颯太くん──私と、付き合ってください」


 いつか俺に向けたような、あの獲物を追い詰める女豹めひょうみたいな目ではない。


 俺を攻略するために権謀けんぼう術数じゅっすうを巡らせる、あの女狐のような笑顔ではない。


 何を考えているのかわからない、あのかすみのように飄々ひょうひょうとした態度ではない。


 真剣な、ただただ真剣な表情で告げられた、その言葉に。


「……俺は」


 だから俺も、真剣な言葉で返した。


「俺は────水嶋とは付き合えない」


 かつてないほどの緊張感の中、俺が絞り出すようにそう答えると。


「……理由を聞いてもいい?」


 悲嘆にくれた表情を浮かべるでも、「無理だったか~」などとお茶を濁すでもなく。


 たったいま俺に告白をしてきたその少女は、すこぶる落ち着いた態度でそう尋ねてきた。


「やっぱり……私が『宿敵』だから、かな?」


 そう先回りする水嶋に。


「いや、それはもう関係ない」


 俺はきっぱりとそう答えた。


「俺はもう、お前のことを『宿敵』だとか思ってない。つーか、ぶっちゃけ勝ちだの負けだのもどうでもいいんだよな、もう」

「へ……?」


 突然身もふたもないことを言い出した俺に、さすがの水嶋もポカンとした表情だ。


 そりゃそうだ。じゃあこの1か月は一体なんだったんだ、って話だもんな。


 苦笑しつつ、俺は学生カバンに忍ばせていた缶コーヒーを2つ取り出して、片方を水嶋に放って渡す。


「ほれ」

「うわっ、とと」

「まぁ、話せばちょっと長くなるからさ。コーヒーでも飲みながら聞いてくれよ」


 言って、俺は缶コーヒーのプルタブをカシュッ、と押し開ける。


 戸惑っていた水嶋も、やがて習うようにしてプルタブを開けた。


「……学校の屋上で缶コーヒーって、ちょっとカッコつけすぎじゃない? 映画やドラマじゃあるまいし」

「いいだろ別に。一度やってみたかったんだよ、こういうの」

「ふ~ん……まぁ、私も嫌いじゃないけどさ。こういうの」


 水嶋の茶々を受け流し、俺はフェンスの向こうに広がる校庭を見下ろした。


「前にお前に告白された時も言ったけどさ。俺、最初は絶対に揶揄からかわれてるだけだと思ってたんだよ」


 だってそうだろ? 


 今まで一度も喋ったことがない初対面同然の、しかも誰もが憧れるイケメン美少女で人気モデルなカリスマJKの水嶋静乃が、だ。


 俺みたいな陰キャラでインドアな映画オタクのことが好きだなんて、そんな都合の良いことあるわけないだろ? 


「それこそ、映画やドラマじゃあるまいしな」


 ましてやこいつは、俺の彼女を奪っておきながら、なぜかその彼女そっちのけで俺につきまとって来やがったんだ。


 普通だったら、血だらけの傷口に嬉々ききとして塩を塗って追い打ちをかけるが如き、鬼畜きちく所業しょぎょうとしか思えない。


 恋人を奪われてみじめに肩を落とす俺に後ろ指を指し、嘲笑あざわらい、リア充陽キャの仲間たちと「あれは傑作だった」とネタにする。


 そんな、反吐へどがでるようなタチの悪い嫌がらせをされているに違いないと思っていた。


「『勝負』が始まってからも、俺は腹の中ではお前のことをあくまでも宿敵としか思っていなかったんだ。1か月経って、もし俺がお前の告白を受け入れたら、例えばそこの花壇の物陰あたりからでもお前のが出てきてさ。『ドッキリ大成功~!』、『こいつ彼女を奪った張本人に惚れてやんのプ~クスクス!』てな具合で、笑いものにされるのがオチだとすら思ってたよ」

「えぇ……? そんな酷いこと、考えたこともなかったけど」

「まぁ、これは極端な例え話だけどな」


 とにかく、だから。


 たとえお試しとはいえ恋人同士になろうとも、いくらこいつが俺に好意をアピールしようとも。


 それらは全て俺をハメるためのトラップで、こいつが俺に言う「好き」という言葉は、所詮は口先だけのものに過ぎないと。


 俺は結局、心のどこかではそう決めつけていたのだ。


 だけど……。


「覚えてるか? お前に誘われてブライダルモデルのバイトをしたあの日の事。帰りしなに、お前をつけ狙っていたストーカー男とひと悶着あっただろ?」

「ああ、あったね。そりゃあ、忘れようったって早々忘れられないでしょ、あんな事件。それがどうしたの?」

「あの時な、俺がストーカー男にナイフで切られそうになって、そこにお前が割って入って来て。危うくモデル生命に関わる大怪我を負うかもしれなかったってのに……それでも『颯太のことが好きだから』なんて理由で俺を庇ったお前を見てさ。お前とは反対に、俺は自分のことが心底嫌いになりそうだったよ」


 理由はわからない。

 

 だけど、無理やり恋人を奪ってまで、そして文字通り身をていして守ろうとしてまで。


 それほどまでに、水嶋が本当に本気で俺のことを好きだと思ってくれていたんだということだけは、人一倍ひねくれている俺にも痛いほどわかった。


 あいつが俺に向けていた好意の数々は、全部まぎれもない本心だったんだと思い知った。


 それなのに、俺はその純粋な好意を頭から否定して、曲解して、穿うがった目で見ることしかしなかった。


 思い返してみれば、水嶋の本気の思いに、俺は本気で向き合っていなかったんだ。そんな自分が、どうしようもなく嫌な奴に思えて仕方なかった。


 本気の思いには、こっちも本気で向き合わなければフェアじゃないと思ったんだ。


「だから俺は、もうお前を『宿敵』とは思わない。俺にとってお前は、酔狂すいきょうにもこんな冴えない男のことを本気で好いてくれている、ただの一人の女の子だ」


 不意に「女の子」と言われたことに驚いたのか、水嶋が風に流れた髪を耳にかけながら俯く。日光に照らされて体温が上がっているからか、その頬は少し赤らんでいるようにも見えた。


「人を馬鹿にしていたのは、俺の方だ。今までお前の告白を真面目にとりあってこなかったこと、悪いと思ってる。ごめん、水嶋」

「颯太……」

「でも、だから俺も、真剣にお前の告白に向き合うことにした。その上で……俺はやっぱり、水嶋とは付き合えない」


 そこで一旦言葉を切り、俺は缶コーヒーの残りを一気に飲み干す。

 それから照れ臭さを誤魔化すように、ガシガシと頭を掻いた。


「あ~、その、なんだ……白状すると、振り返ってみれば正直、悪くないルビを入力…と思った。お前と過ごしたこの1か月は」


 家族以外の誰かと服を買いにいくのも、自分の部屋に妹以外の女子をあげたのも、初めてのことだったし。


 ブライダルモデルの現場でバイトするなんてことも、多分こいつと出会ってなきゃ一生体験できなかっただろうな。


「振り回されることもいっぱいあったけどさ。それでも初めてのことだらけで、新鮮で、楽しかったよ。お前と一緒にいればこの先もずっとそんな毎日を過ごせるのかな、なんて考えると、それもまぁ悪くないかもなって思う……だけど」


 俺はポケットからスマホを取り出し、カメラロールの「お気に入り」に登録されている写真一覧をざっと眺める。


 我ながら、未練がましいとは思うけど……俺が江奈ちゃんと過ごした3か月の間に積み重ねた思い出の数々が、そこにはまだ残っていた。


「俺は……やっぱりまだ、江奈ちゃんのことを嫌いになれないんだ」

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