幕間 水嶋静乃の初恋

23話 水嶋静乃の初恋①

 小学生のころのあだ名は、「水嶋くん」だった。


 同い年の男子より背も高かったし、足も速かったし、休み時間や放課後は外を走り回っていたからいつもズボンを履いていたし。


 おまけに、男子たちに交じって遊ぶことも多かったから、一人称は「僕」。我ながら、これじゃあ男の子扱いされても無理はないなと思う。


 実際、当時はまだ今みたいに女の子らしい体型でもなかったから、初めて会う人には本当に男の子だと勘違いされることもしょっちゅうだった。


 でも、別にそれを嫌だと思ったことはない。


 もちろん「かわいい」って言われるのが一番嬉しいけど、「かっこいい」って言われるのも私は好きだったから。


「ねーねー水嶋くん! 学校終わったら私たちと一緒に帰らない?」

「ダメダメ! 水嶋くんは今日は俺たちと公園でサッカーすんの!」

「ちょっと男子! なんでアンタたちが勝手にそんなこと決めてるのよ!」

「へ~んだ! 水嶋くんも女子たちと一緒より、俺らと一緒の方が楽しいよね?」


 自慢するつもりはないけれど、多分、私はいわゆる「学校の人気者」だったんだろう。


 放課後ともなれば他クラスも含めてあちこちのグループからお誘いの声が掛かり、常に誰かしらと一緒に過ごしていた。


 ただ、小学生というのはやたらと「男子」と「女子」を区別したがる年ごろだからか、私をどっち側に引き込むかでしばしばいさかいが起きるのには困ったものだった。


 男の子たちと遊べば女の子たちが怒るし、女の子たちと過ごせば男の子たちがねるしで、どうにか喧嘩にならないように立ち回るのが大変だった。


「静乃ちゃんは、すごいね。あんなに沢山のお友達がいるなんて」


 だから、なんだろう。

 私にとってお昼休みに江奈ちゃんと過ごす時間は、楽しくも気苦労きぐろうの絶えない日々の中で、唯一リラックスできる時間だった。


 江奈ちゃんとは、小学3年生の時からずっと同じクラスだった。皆が私の事を「水嶋くん」と呼ぶ一方、江奈ちゃんだけは「静乃ちゃん」と呼んでくれた。


 皆が私の外見を見ている中で、江奈ちゃんはちゃんと私自身を見てくれているような気がした。


 江奈ちゃんの前でだけは自然体でいられて、もしかしたらそれが嬉しくてよく一緒に話すようになったのかもしれない。


「静乃ちゃん、美人だし大人っぽいし、人気になるのもわかるよ。……それに比べて私は、地味だし、友達も全然いないし……」

「そんなことないって。僕は江奈ちゃんのこと、可愛いと思うな。多分このクラスの中にも何人かいると思うよ。江奈ちゃんのこと好きな男の子」

「えぇ!? い、いないよ、そんな人……! そ、そういう静乃ちゃんこそ、聞いたよ。今まで何度か、その……告白、みたいなこと、されたって」

「あ~……」


 たしかに、それまでに何度か告白、というか、「好き」だと言われたことはあった。といっても、全部女の子から言われたんだけど。


「静乃ちゃんは好きな人とか、いないの?」

「う~ん、今はいないかなぁ。というか、今までもいたことないんだけどさ」


 正直、その時の私は「好き」とか「恋」とかをよくわかっていなかった。


 人並みに少女漫画とかも読んでみたことはあったけど、それはあくまでもフィクションの話で、実際に自分が漫画のヒロインみたいに誰かに恋をしたりする姿は、いまいち想像できなかった。


「そう、なんだ……でも、もし静乃ちゃんに好きな人ができるとしたら、きっと静乃ちゃんに負けないくらいカッコよくて、頭も良くて、王子様みたいな人なんだろうね」

「え~、どうだろ? わかんないや」


 我ながら、ちょっと色恋沙汰ざたに興味がなさすぎたなとは思う。


 それでもやっぱり、私が一人の女の子として誰かを好きになることなんて、きっともっとずっと未来の話だと思っていた。


 だけど、私たちが小学4年生になったある日のこと──その後の私の人生を大きく変えた、運命的な出会いがあったのだ。


 ※ ※ ※ ※


 それは、小学4年の夏休みも終わり、厳しい暑さもおさまって過ごしやすい季節になったころのこと。


 私たちの学校では、毎年恒例の校外遠足が行われる時期を迎えていた。

 

 場所は、市内の小高い丘の上にある森林公園。もともとは競馬場だった土地を整備したという広い公園内には、大きな芝生の広場や池があったり、馬に関するちょっとした博物館なんかもあったりした。


「は~い、皆さん! それでは今から1時間ほど、自由時間にしたいと思います。公園内であればどこに行ってもいいですが、くれぐれも危ないことはしないように。何かあれば見回りをしている先生に連絡してくださいね~!」


 午前中に博物館の見学をして、それからお弁当を食べたあとは、皆がお待ちかねだった自由時間だ。


「なぁなぁ水嶋くん! 俺らと一緒にケイドロやろうぜ!」

「はぁ? 何言ってんの、水嶋くんは私たちと一緒に遊ぶの!」

「そんなのいつ誰が決めたんですかぁ? 何時何分何秒地球が何回まわった時~?」

「うわ、ウザ……ほんと男子って子供だよね!」


 案の定、みんな私と一緒に自由時間を過ごしたがって言い争いになってしまったけど、最終的にはそれぞれのリーダー格の男女数人と一緒に行動することに落ち着いた。


 本当は江奈ちゃんと二人でお散歩でもできれば一番気が楽だったけど、残念ながらその日、江奈ちゃんは風邪を引いてお休みだったので仕方ない。


「よ~し、それじゃ俺からいくぞ~!」


 そうして、男子と女子両方のやりたいことを踏まえた上で、折衷せっちゅう案としてボール遊びをすることになった。


 ルールは簡単で、皆で円を囲むようにして立ち、ボールを地面に落とさないように手や足で打ち上げ続けるというものだ。


 ボールが地面に落ちてしまったら直前に触っていた人が失格となり、円から抜ける。それを最後の一人になるまで続けるのだ。


「えいっ」

「ほっ!」

「よいしょ!」


 みんな最初は順調にボールを打ち上げていたのだが、やがて疲れてきてしまって、一人、また一人と脱落していく。


 そして、最後に残ったのは男子のうちの一人と私の二人だった。


「よっしゃ。水嶋くんと一騎打ちだぜ」

「ふふ、負けないよ」

「じゃあいくぞ! おりゃ……あ、やべっ」

「ちょっと! どこ投げてんのよ!」


 しかし、相手の男子が力加減を誤って思いっきり打ち上げてしまったボールは、そのままあさっての方向に飛んでいき。


「……うおっ!?」


 不運にも、近くのベンチに座っていたおじさんの頭に当たってしまった。


「──おいっ! 何しやがんだ、このクソガキどもがァ!!」


 シワだらけのスーツを着崩してベンチに座っていたそのおじさんは、缶ビールを飲みながら私たちに怒鳴り散らした。よく見れば、ベンチの下には空いたビールの缶がいくつも転がっていた。


「ヒック……おい! このボール投げたのはどいつだ、あぁ? 誰が投げたんだよぉ!?」


 ボールを引っ掴んでベンチから立ち上がったおじさんは、焦点のぶれた目で私たちを睨みつけ、フラフラとおぼつかない足取りで近づいてきた。


 おじさんは相当酔っぱらっていたみたいで、酒くさい臭いがツンと鼻についた。


「ひっ……!?」

「だ、誰って……」


 おじさんの剣幕けんまくにみんな震えあがってしまっていて、まともに声も出せない状態だった。


 ボールを打ち上げてしまった張本人の男子にいたっては、顔面蒼白といった様子で立ち尽くしてしまっていた。


「誰が投げたんだっつってんだよぉ!!」


 バーン!


 しびれを切らしたらしいおじさんが、持っていたボールを思いっきり地面に叩きつけた。派手にバウンドしたボールは宙を舞い、そのまま転がっていってしまう。


 そして、いよいよ恐怖もピークに達したみんなの視線は、自然とボールを打ち上げた男子の方に向いていた。


「んんン? ……お前かぁ? クソガキこら、お前が投げたんか、あぁ!?」


 おじさんに凄まれた男子は、もう目に涙さえ浮かべてしまっていた。

 このままでは、彼がおじさんにどんなにこっぴどくどやされるかわからない。

 

 そう思った私は、気付けばその男子を庇うようにして一歩前へ出ていた。


「……僕です。僕がボールを投げちゃったんです。ごめんなさい」


 ボールを投げた男子含め、グループの皆が驚いた顔で私を見る。

 そんな皆を尻目に、私は真正面からおじさんと対峙たいじした。


「遊んでいるうちに、間違ってボールを高く飛ばしちゃったんです。おじさんに当てちゃったことは謝ります。でも、わざとじゃないんです」


 いくら酔っぱらっているとはいえ、相手は大の大人だ。


 こっちが誠実な態度を見せてきちんと謝罪すれば、多少怒鳴どなられはするかもしれないけど、それでこの場は収まるだろう。


 幼かった私はそんな風に考えていた……のだが。


「そうか……お前が投げたんかぁ!!」


 それからすぐに、世の中はそう単純にはできていないことを思い知った。


「うぐっ!?」


 こちらの精一杯の弁明にはまったく耳を貸さず、おじさんはいきなり私の胸倉を掴んで持ち上げた。


 背が高いといっても、それはあくまでも小学生にしてはの話。当然、私は地面から足を浮かせ、宙ぶらりんの状態になってしまう。


「『ごめん』で済んだらなぁ! クソ高い税金払ってまで警察を働かせてる意味がねぇだろうがよぉ!」

「うっ……」

「くそっ! くそおっ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって! 俺だってなぁ、好きで平日の真昼間にこんな公園で時間潰してるわけじゃねぇんだよぅ!!」


 わけのわからない愚痴をまき散らしながら、おじさんは持ち上げた私をブンブンと前後に揺らす。


「ご、ごめんな、さ……」

「だ~か~ら~ぁぁ!! ごめんで済んだら警察要らねぇっつってんだろぉ! ガキだからってなぁ、何したって許されると思ったら大間違いなんだよっ!」


 必死に謝ろうとしても、おじさんはますます激昂げっこうするばかりだ。


 私はこの時ほど、「話の通じない相手」というのがどれほど恐ろしいのかを思い知ったことはなかった。


 まるで理性のない野生の猛獣を相手にしているようで、さすがに恐怖を感じずにはいられなかった。


「う、うわぁぁぁぁ!?」

「きゃぁぁぁぁ!?」


 いよいよ我慢の限界だったらしい。


 血走った目で当たり散らすおじさんに恐れをなして、その場にいた私以外のクラスメイトたちは皆さっさと逃げ出してしまった。


「あっ……」


 当然、取り残された私はおじさんの怒りを一人で受け止めなくてはいけなくなり。


「俺を……俺をバカにすんじゃねぇぇぇぇ!」


 ついには大きく拳を振り上げたおじさんを、私は恐怖で悲鳴もあげられないまま、ただただ見ていることしかできなかった。


 ──だけど。


「──ちょっと待ったぁ!」


 私が殴り飛ばされる寸前、急にどこからか誰かのそんな声がこだまして。


「食らえ必殺! 《アデリードロップ》!!」

「ぐへぇ!?」


 次の瞬間、派手に地面に吹っ飛ばされてうめき声をあげたのは、おじさんの方だった。


 胸倉を掴んでいたおじさんの腕から解放され、私は地面に尻もちをつく。

 

「いっ……つつ」

「おい、早く立て!」


 座り込む私にそう言って手を差し伸べてくれたのは、たった今おじさんをドロップキックで吹っ飛ばした、見知らぬ男の子だった。


「逃げるぞ!」

「え、あ……う、うんっ」


 訳もわからないまま、それでも私は男の子の手を取って立ち上がり、そのまま彼と一緒に一目散にその場を後にした。


 ※ ※ ※ ※


 そうしてしばらく走り続け、私たちはやがて人気の少ない静かな雑木林までやって来た。


「……ふぅ。ここまでくれば、あのオッサンも追いかけてこないだろ」

「はぁ、はぁ……あ、ありがとう。助けてくれて……」


 私が息を整えながらお礼を言うと、男の子はこちらを振り向いてニッ、と白い歯を見せた。


「気にするな。として当然のことをしたまでだからな!」


 ほがらかな笑顔でそう言って、サムズアップでカッコつける男の子。少しクセのある黒髪に、やや三白眼気味の目つきが印象的だった。


「……ヒーロー?」

「おう! ちなみにさっきのワザはあれな、『南極なんきょく超人ちょうじんペンギンナイト』のキック系の必殺技な!」

「ペンギン……なに、それ?」

「なにって、ペンギンナイトだよ。お前知らないの? テレビで毎週やってるじゃん。いま俺が一番推してるヒーローだ! このあいだヒーローショーも見に行ったしな!」


 ぽかんとする私を置いてけぼりにして、男の子は立て板に水のごとく「ペンギンナイト」についてアツく語り始めた。


 ついさっき私の窮地を颯爽と救ってくれた男の子の、打って変わって無邪気な様子を目にして、思わずクスリと笑ってしまう。


「あ! お前、いま俺のこと『子供っぽい』とか思っただろ!」

「ごめん、ごめん。そんなこと思ってないよ。……でも、ペンギンでヒーローって面白いね。あんまり強くなさそうな名前だけど」

「へへん、これだからシロウトは困るよ。知ってるか? ペンギンのパンチはな、人間の骨を折るくらいのパワーがあるんだぜ? そしてペンギンナイトの《エンペラーパンチ》の威力はその100倍だ! 弱いわけないっつーの!」


 シュッ、シュッ、と虚空こくうに拳を突き出してステップを踏んでいた男の子は、それからガサガサと雑木林をかき分けて歩き出す。


「さてと、そんじゃ芝生広場まで一緒に行くか。またあのオッサンが来るかも知れないからな。俺がお前をゴエイしてやるぜ」

「う、うん……あれ?」


 私は男の子の言葉に従って再び歩き出そうとして、しかし次にはペタンと地面に座り込んでしまった。

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