33話 忘れたものと忘れないもの
水嶋の後をつけるストーカー男、のさらに後をつけて電車に乗り込んだ俺が辿り着いたのは、市内の西区と中区にまたがる港湾エリア、みなとみらい地区だった。
巨大なウォーターフロントである街の上には様々な商業施設や観光施設に交じって、見上げるほどの高さのタワーマンションも林立している。
「あいつ、さすがにいいトコ住んでるな」
ここに帰って来たということは、水嶋もきっとあのタワマンのいずれかに住んでいるのだろう。あいつの実家もなかなか太いらしい。
「……って、んなことはどうでもいいんだ」
みなとみらい駅で降りた水嶋を追いかけるようにして、案の定ストーカー男も電車を降りた。
彼らを見失わないように俺もその後をつけ、今は再開発地域特有の整然とした街並みのなか、二人を尾行している最中である。
すでに時刻は七時半。
この辺りは夜でもビルや街灯の光で明るいが、それでも中心部から外れれば薄暗い道もそれなりにある。
水嶋も駅を出てしばらくは人通りのある明るい道を歩いていたが、段々と商業エリアからも離れた、薄暗く静かな道へと進んでいった。
この先はもう人口湾に面したマンション街だ。このまま何事もなく水嶋が家に帰りつけばいいんだが……。
「ね、ねぇ、ちょっといいかな?」
しかし、いよいよ人気もなくなり、これ以上は後をつけるのも難しいと考えたんだろう。ストーカー男がとうとう水嶋に近付いて声を掛けた。
けれど当の水嶋はまったく気付いてないようで、そのまま歩いて行ってしまう。
薄暗くてよく見えなかったが、不用心なことに水嶋の奴、イヤホンをしているようだった。
「ちょ、ちょっと! 待ってよSizu!」
呼び止めても気付かれないことに業を煮やしたストーカー男が、グイッと水嶋の肩を掴んだ。
瞬間、ビクンと体を跳ねさせた水嶋が、反射的に数メートルの距離をとって背後を振り返る。
「え……なに? 誰?」
「や、やっと気づいてくれたね。も~、ひどいよSizu。何度も声かけたのにさぁ?」
ようやくストーカー男に気付いた水嶋が、困惑と恐怖がないまぜになった表情を浮かべる。
と同時に、水嶋は肩にかけていた鞄の中に右手を滑り込ませた。
なんだかかなり慣れた手つきだが、もしかしてあいつ、やっぱり護身用グッズでも持ち歩いているんだろうか?
「ええっと……もしかして、私のファンの人?」
「そ、そうだよ! 僕、君の大ファンなんだぁ。雑誌も全部買って読んでるし、インスタの投稿にも毎回コメントしてるよ! 撮影の現場だって、いつも見に行ってるしね! 今日だって、ああ、君の燕尾服姿とドレス姿、とっても綺麗だったねぇ」
「いえ、あの、応援はありがたいですけど……撮影現場まで押しかけてくるのは、正直迷惑です。やめてください」
たとえプライベートな時間でもファンと出会えば嫌な顔一つせず対応していたあいつだが、さすがに無理もないだろう。誰だってそういう反応をするに決まっている。
「そう言わないでよぉ。今日は僕、ファンとしてお願いがあって来たんだからさぁ」
「何を言って……」
「いやほら、僕ってこれまでずっとファンとして君を応援してきたでしょ? だからさぁ、たまにはちょっとくらい、その『お返し』が欲しいなぁって」
気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、じりじりと水嶋との距離を詰めていくストーカー男。
顔を青ざめさせる水嶋に、それから男はとんでもないことを口走った。
「ねぇ、Sizu。今夜だけでもいいからさぁ……君のこと、買わせてくれない?」
水嶋の口から、声にならない小さな悲鳴が漏れる。
「いい加減にしてください。さっきから勝手なことばかり……そんないかがわしい目的で応援されたって、全然嬉しくない。これ以上、私に付きまとわないでください」
「そんなつれないコト言わないでさぁ。ちょっとくらい『ファンサービス』してよぉ」
「や、やめて……来ないで!」
水嶋が、鞄の中に突っ込んでいた右手を引き抜く。
その手に握られていたのは、やはり護身用に持っていたらしいスタンガンだった。
「それ以上、近づいたら……!」
スタンガンを両手で構えて威嚇する水嶋。
しかし、ストーカー男はまるで怯む様子もなく、とうとう水嶋に掴みかかろうとする。
恐怖に体を強張らせ、唇を震わせ、そして──水嶋が、叫んだ。
「────ソータくんっっ!」
悲痛な声が響き渡った瞬間。
あのヒーローショーで水嶋が舞台から落ちそうになった時みたいに、俺の頭が真っ白になる。
かぁっ、と体中が熱くなって、ある一つの「思い」以外には何も考えられなくなる感覚。
いや……違う。もっと前にも、俺はこの感覚を体験したことがある気がする。
それがいつの事だったかは思い出せないけれど……とにかく今は、そんなことどうでもいい。
(……くそったれ!)
座右の銘は、触らぬ神に祟りなし。
正義のヒーローが誰かを救えるのは、所詮フィクションの中だけだとよく知っている。
それが俺、佐久原颯太という人間であるはずなのに。
俺から江奈ちゃんを奪っておいて、どういうつもりか今度はその元カレである俺と恋人になりたいなどと嘯くような、そんなどうしようもなく嫌な奴で、宿敵。
それがあいつ、水嶋静乃という人間であるはずなのに。
水嶋が怯えているという、たったそれだけの理由で。
ただただ「助けなきゃ」という思いに突き動かされ、気付けばまた、俺は飛び出していた。
「──そこまでだ、このストーカー野郎」
次には、今まさに水嶋を捉えんとしていたストーカー男の左腕を掴み上げる。
「んなっ!?」
「えっ……?」
水嶋とストーカー男が同時に声を上げて、こちらを振り返る。
「う、そ……なんで……?」
「な、なんだぁ!? 誰だお前はっ!」
「通りすがりのモブ男Aだよ」
「はぁ!? ワケわかんねぇ……関係ないヤツはすっこんでろよ!」
激昂したストーカー男は俺の手を払いのけると、そのまま俺の顔面に右の拳を振り下ろした。
「っ!? 颯太!」
水嶋が叫ぶと同時、ストーカー男の拳が俺の顔に直撃……するよりも早く、俺の繰り出した右裏拳打ちが奴さんの鼻頭を捉える。
「ふがっ!?」
たまらずのけ反ってガラ空きになった鳩尾に、今度は左の正拳突きを叩きこんだ。
「かはっ!?」
二歩、三歩と後ずさったストーカー男が、腹を押さえて
「うっ、おえぇ……な、なに、しやがるっ……!」
今にも吐きそうな嗚咽を漏らしながら、怒りの形相で俺を睨みつけるストーカー男。
それに答えることなく、俺は無言で水嶋を庇うように立ち塞がり、構えを維持する。
「ふざ、ふざけやがって、ガキがっ……邪魔すんじゃねぇよっ!」
半狂乱になったストーカー男が、懲りずに右腕を大きく振りかぶって突進してくる。
が、やはりその攻撃がヒットするより早く、俺は一歩前に飛び出して中段の前蹴りを放つ。
再び鳩尾を攻められたストーカー男が、苦悶の表情で体をくの字に曲げたタイミングで。
「──せいっ!」
「ぐはっ!?」
俺の繰り出した後ろ回し蹴りが、奴のこめかみ辺りにクリーンヒット。コマみたいにクルクルと体を回転させたストーカー男は、やがてゆっくりと仰向けに倒れ込んだ。
「すぅ……ふぅ~……」
横たわるストーカー男を見下ろしながら、俺は構えを解いて深呼吸した。
(……案外、忘れないもんなんだな。体っていうのは)
真っ白になっていた頭の中が、徐々に冷静さを取り戻していく。
しまったな。咄嗟だったとはいえ、少しやりすぎたかも……。
「……はっ! そ、そうだ、水嶋は……?」
俺は慌てて振り返り、彼女の無事を確認する。
背後で立ち尽くしていた水嶋は、ただただ唖然とした顔で俺を見つめていた。
「颯、太? どうして、ここに……?」
いまだ強張ったままの表情で、水嶋が心底驚いたように呟く。
まずい。勢いで出てきたはいいけど、この状況をどう説明すればいいか全く考えてなかった。
「ええっと、これはだな……」
「……!? 颯太、後ろっ!」
にわかに目を見開く水嶋にギョッとして、俺は弾かれたように振り返る。
背後では、倒れたはずのストーカー男がユラリと立ち上がっていた。
「んなっ! こいつ、まだ……!」
「……こんの、クソガキぃぃ」
どうやら詰めが甘かったらしい。
ストーカー男は体こそ苦痛でうまく動かせない様子だが、辛うじて意識は保っていた。
「っ!? 水嶋逃げろっ! こいつ……目がヤバい!」
ストーカー男の血走った目に尋常じゃない雰囲気を感じ取り、俺は水嶋に向かって叫んだ。
案の定、男はポケットの中に手を突っ込んで何かを取り出す。
その手のひらの中に握られていたのは──長さ十センチほどの万能ナイフだった。
街灯の光に照らされて、露わになった鋭い刃先が鈍色に光る。
「僕のSizuから離れろよぉぉっっ!」
口から唾をまき散らしながら、ストーカー男がナイフを振り上げた。
完全に油断していたこともあって、不覚にも対応が遅れてしまう。
これ、やばっ──。
「颯太っ!」
しかし……ストーカー男がナイフを振り下ろす直前、水嶋が俺を庇うようにして前に出て。
「うっ!?」
振り下ろされたナイフの刃先が、水嶋の顔を切り裂いた。
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