第1章 大天使様にエスコートを

1話 ようこそ新入部員(1名不在)

時は少しさかのぼり、我らが帆港ほみなと学園の5月末の中間テスト最終日。


「くぅぅぅぅぅ、やっと終わったぁ!」

「俺、マジで手ごたえないわ……余裕で赤点ですわ」

「お前さ、数学の大問4の答え何にした?」

「ねぇねぇ! テストも終わったし、このあとカラオケで打ち上げしない?」


 準備日の一週間を含めたテスト期間という名の地獄のシーズンがようやく終わったとあって、俺たち一年四組の教室内には弛緩しかんした空気が漂っていた。


 高等部で一発目の定期テストへの緊張感や不安から解放されて、クラスメイト達の顔は実に晴れやかだ。


 まぁ、中には悲惨な結果を予想して青ざめているのもちらほらいるけど。


「いやぁ~、終わった終わった。やっぱり高等部に上がると、試験もそれなりにキツくなってくるねぇ」


 俺の前の席に座る樋口が、俺の方へと振り返りながら「颯太はどうだった?」と聞いてくる。


「ぼちぼちかな」

「へぇ、珍しい。結構自信ある感じ?」

「色々あってな。今回は一夜漬けだけに頼らなかったんだよ」

「それは結構。いつも赤点ギリギリだった颯太が、成長したねぇ」


 あからさまに感心したような素振りで、樋口が「うんうん」と頷く。この野郎、自分はいつも高得点だからって偉そうに。


 いけ好かない幼馴染の態度にフンと鼻を鳴らし、俺は手早く帰り支度を済ませて席を立った。


「もう帰るの? せっかくテストも終ったんだし、どっか寄って帰らない? 久々にほら、山員閣さんいんかくでも行こうよ」


 教室を後にしようとする俺を樋口が引き留める。ちなみに山員閣というのは、市内の中華街にある俺たちの行きつけの中華料理店だ。


 安くて美味いし雰囲気も良いので中等部のころは月に一回か二回くらいの頻度で通っていたが、高等部に上がってからはたしかにご無沙汰ぶさたではある。


「あ~、いや、今日はちょっとパスで。映研の先輩たちに呼ばれててさ、このあと部室に行かなきゃなんだ。中間テスト終了の打ち上げをするんだとさ」

「ありゃ、そうなんだ。なら仕方ない。でも部活のメンバーで打ち上げなんて、仲良いんだね。演劇部うちはそういうの全然なくてさ」

「そっちは人数多いからだろ。こっちだって、部長がそういうノリが好きだってだけだよ。いい歳こいて寂しがり屋なんだよな、あの人」


 ため息交じりにそれだけ言い残し、俺は教室を出て部室のある特別棟へとを進めた。


 文化系部室の並ぶ3階廊下の奥まで行き、さびの目立つ扉をノックする。


「──〈力で奪え〉」

「〈情けは無用〉」


 お決まりの合言葉の後に開いた扉の奥、部室の中央にあるテーブルには、すでにペットボトルのジュースやら開け放たれたポテチの大袋やらが並べられていた。


「やぁやぁ、よく来たね佐久原くん! 我らが映研の救世主よ!」

「やほ~、佐久原くん~。お互いテストお疲れ様~」

「来たか佐久原。悪いがもう始めてるぞ」


 どうやらすでに打ち上げは始まっていたらしい。各々おのおのにジュースの入ったコップを持って談笑していた先輩たちが俺を出迎えてくれる。


「すいません。遅くなっちゃったみたいで」

「なぁに、気にすることはないさ! ささ、座って座って!」


 いつにもまして陽気な顔をした宮沢みやざわ部長に促されるままテーブルの近くまで行くと、そこには見知った顔があった。


「あっ、颯太くん。こんにちは」

「え? 江奈ちゃん?」


 果たして、テーブル横の椅子にちょこんと座っていたのは江奈ちゃんだった。


 両手で紙コップを持ってお行儀よくジュースを飲んでいた江奈ちゃんは、俺を見るなりパッと花が咲いたような笑顔を向けてくる。


 もはや当然のように装着しているチェック柄の首輪(犬用)も相まって、その姿はさながら帰宅したご主人様をお出迎えする忠犬だ。


 あるはずのない彼女の耳と尻尾が、ピコピコと揺れ動いているような気がした。


 とまぁ、それはともかく。


「江奈ちゃんも呼んだんですか、部長?」

「もちろんだとも! なにしろ彼女は今日の主役の一人だからね!」

「主役?」

「うむ。今日のこの集まりは『中間テストお疲れさま会』であると同時に『新入部員の歓迎会』でもあるのさ! だから新入部員である彼女は、主役っ!」


 なるほど。たしかに江奈ちゃんは先日(といってもつい一昨日のことだが)すでに所属している手芸部との兼部という形で映研に入部している。


 歓迎会も兼ねているというなら、彼女が呼ばれるのも至極当然だろう。


「あの……もしかして私、またご迷惑をおかけしてしまいましたか?」

「へ?」


 部長との会話が途切れたタイミングで、江奈ちゃんがクイクイと俺の袖を引く。


 かと思えば、次にはとても不安そうな顔をしてそんなことを口にした。


「め、迷惑って、なんで?」

「だ、だって……颯太くん、普段はあまり部室に顔を出さないとお聞きしたので。私の歓迎会があるからって、無理に呼び出される形になってしまったのかな、と……」

「いやいやいやっ! そんなことないから大丈夫だよ、うん! むしろ、そういうことなら俺も大歓迎だって!」


 形の良い眉をハの字に寄せる江奈ちゃんに、俺は慌ててフォローを入れる。


 それを聞いて安心したのか、江奈ちゃんはやがてフッと肩の力を抜いて微笑んだ。


「そ、そうですか……なら、良かったです」


 う~む、相変わらず俺の庇護ひごよくを著しく刺激するこの笑顔よ。可愛いし、尊いし、あと可愛い。思わず「よーしよしよし!」と撫で回してしまいそうだ。


 やっぱり江奈ちゃんマジ天使。


「ほら、佐久原。お前の分だ」

「あ、どうも。ありがとうございます」


 俺が江奈ちゃんの隣の椅子に腰かけたところで、藤城ふじしろ先輩がジュースの入った紙コップを手渡してくれた。


 ちょうど喉も乾いていたのでそれを一息にあおり、そこで俺はふと、ヤツの姿が無いことに気が付く。


「そういえば、水嶋はまだ来てないんですね。歓迎会っていうなら声はかけたんでしょ? あいつも新入部員なワケだし」


 俺が訊くと、けれど部長はフルフルと首を振った。


「もちろん招待はしたさ。ただ、私が連絡をした時は丁重ていちょうに断られてしまったんだ。『お誘いは嬉しいですが、今日は用事があるので』といった具合にね」

「用事、ですか?」

「ああ。君たちの方は、彼女から何か聞いていたりしないかい?」


 部長に問われて、俺と江奈ちゃんはお互いに顔を見合わせる。


 そう言われても俺は水嶋から何も聞いていないし、江奈ちゃんのきょとんとした表情を見る限りでは彼女も同様らしい。


「ふむ。二人とも、心当たりはないようだねぇ」

「俺はよく知らないが、雑誌のモデルなんだろ、あいつ。なら仕事関係なんじゃないか?」

「そうかも~。なんてったって、カリスマJKモデルの『Sizu』だもんね~」

「まぁ、いずれにしろ用事があるというなら無理強むりじいはできんさ。ならば、今日はひとまず里森くんを全力で歓迎する会にしようではないか!」


 そう言って部長が乾杯の音頭おんどを取り始めたので、俺もひとまず水嶋のことは脇におくことにした。


 そもそもの話、猫みたいに気まぐれで飄々としたあいつの動向をいちいち気にしていたらキリがないしな。


「……とまぁ、そんなワケで! 里森君の映研入部と、ついでに中間テストの終了を祝して、乾杯!」

「「「「かんぱ~い!」」」」


 それぞれに紙コップを掲げて、それからはめいめいにテーブルの菓子を摘まんだり映画談義に花を咲かせたりと、まったりとした時間が過ぎていった。


「だから、あの作品はやっぱり『2』で終わっとくべきだったんだよ。『3』は正直言って蛇足な感が否めないだろ」

「なぁにを言うか藤城君! 一作目、二作目で張り巡らされていた伏線を見事に回収する『3』が蛇足なわけがあるものか! むしろ『3』こそシリーズ最高の出来だったろうに!」

「いやいや、興行収入的にも『3』がイマイチだったのは明らかだろ」

「はんっ! 興収なんぞでその映画の真の価値が測れるもんか!」

「もう~、二人とも喧嘩はダメだよ~」


 いつものように先輩たちが白熱した議論を交わしているのを遠巻きに眺めながら、俺と江奈ちゃんも談笑する。


「ふふっ。楽しい先輩方ですね」

「クセは強いけどね。ま、悪い人たちじゃないのは確かだよ」

「私、颯太くん以外に映画のお話ができるような相手がいなかったので、なんだか嬉しいです。手芸部との兼部は大変そうですが、今後はなるべくこちらにも顔を出そうと思います」

「そっか。なら、俺もしばらくは真面目に映研部員をやることにするかな」


 部に馴染むまでは、見知った顔が一緒にいる方が緊張しないだろう。


 あのクセのある先輩たちの中に江奈ちゃん一人を置いておくのも不安だしな。


「本当ですか? ふふ、良かった。嬉しいことがまた一つ増えちゃいました」

「あ、ああ、うん……それは何より」


 至近距離から江奈ちゃんの人懐っこい微笑を向けられて、俺は照れ臭さから思わず顔を逸らしてしまった。


(こんな可愛い子がちょっと前まで彼女だったなんて……つくづく奇跡だよな)


 ──ブブー、ブブ―、ブブ―。


 と、不意にズボンのポケットから振動を感じて、俺は中に入れていたスマホを取り出した。


「颯太くん? 電話ですか?」

「みたいだな」


 呟きながらスマホの画面に視線を落とすと。


「あれ……水嶋からだ」


 果たして、電話を掛けてきたのは、今日の主役となるはずだったもう一人の新入部員だった。



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