2話 我が懐かしのフリーダム放課後ライフ
「もしもし?」
〈あ、颯太? 急に電話しちゃってごめんね。いま大丈夫?〉
電話をとるために一度部室を出た俺は、廊下の窓際に寄りかかりながらスマホを耳に押し当てる。
途端に、耳元から聞きなれたハスキーボイスが流れ出してきた。
「別に大丈夫だけど、何の用だ?」
〈あ、寂しいなぁ。用が無かったら電話しちゃダメ?〉
あからさまに甘えたような口調でそう言ってくる水嶋に、俺は眉根をピクつかせる。
「はぁ……特に用が無いなら後でいいか? 一応、映研の歓迎会を抜け出して来てるんでね」
〈あ~待って待って、冗談だってば〉
相変わらずつれないんだから、などとぼやきながら、水嶋は仕切り直すように咳払いする。
〈えっとね。私、これからしばらくの間は部活に顔を出せそうにないんだよね。というのも、放課後はほぼ用事が入っちゃう感じでさ。だから今日の歓迎会も欠席させてもらったんだけど〉
「ふぅん。ま、ウチは基本的に『集まれるヤツだけ集まればいい』ってスタンスだし、好きにすればいいんじゃないか?」
にしても、入部早々から幽霊部員宣言とはな。俺も人のことを言えた義理じゃないけど、部長が聞いたら泣くぞ、多分。
「ちなみに、何の用事なんだ?」
〈うん。それがさ〉
そう言って水嶋が語るところによれば、彼女はこれから数週間、ほぼ毎日のように「仕事」が入ってしまうのだそうな。
仕事というのはもちろん、現役JKモデル「Sizu」としての、である。ティーン層の女子を中心にSNSなどで人気を集める彼女だ。仕事を依頼したい者は多いに違いない。
ただ、そんな事務所にとっても貴重な戦力であろう水嶋はこの五月いっぱい、モデルとしての活動をほとんどしていなかったのだ。
〈その理由は、颯太もよく知ってるよね?〉
「……まぁな」
水嶋がモデル活動を休止していたのは、俺との「勝負」のためだった。俺とお試しで恋人同士となり、そして俺を攻略するための一か月間。
その時間をフルに活用するためには仕事なんかしていられない、というのがコイツの理屈だった。
今にして思えば……あれも水嶋の覚悟の表れだった、ってことなんだよな。
〈けど、やっぱり一か月もお休みしてたツケは大きくてさ。休んでいた分きっちり働いてもらう、って、社長にガチガチにスケジュール組まれちゃったんだよね……〉
「はは、そりゃ災難だったな。まぁこれも好き勝手やってた罰だと諦めて、せいぜいお勤めを果たして来いよ。文字通りな」
〈え〜、冷たいじゃん。こっちは新しい仕事もやらされることになって大変なんだよ? それに、しばらく颯太と一緒に放課後のお出かけもできそうにないし〉
水嶋が分かりやすく声のトーンを落とす。
眉をハの字に寄せてしゅん、と俯く彼女の顔が目に浮かぶようだ。
〈このままじゃ私、きっとソウタニウム欠乏症で寝込んじゃうよ。よよよ……〉
「そんな物質は存在しないと言ってるだろうに」
あと、今日び「よよよ」て。
〈でもまぁ、さすがに仕事を投げ出すわけにもいかないしね。颯太にも悪いとは思うけど、だから、しばらくデートはお預けかな。ごめんね、本当に〉
「おい、謝るんじゃない。まるで俺がお前と過ごせないのが寂しいみたいに」
俺は食い気味に指摘するが、水嶋はどこ吹く風と言った態度を崩さない。
〈はいはい。またまた颯太のツンデレ、いただきました〉
「ツンデレ言うな。俺にそういう属性はない」
どうもこいつの目には、俺からの好感度パラメータが常にカンストしているように見えてやがるらしい。なんとも都合の良いことだ。
「まったく……ともあれ、要はしばらく仕事で忙しくしてるってことだな?」
〈そうそう。部長さんたちや江奈ちゃんにもそう伝えといてくれる?〉
「了解。俺から言っとくよ」
今度こそ用事は済んだろうと、俺が「じゃあな」と言って通話を終了しようとしたところで。
〈あ、そうだ〉
水嶋が思い出したかのように呟くと、次にはどこか優しげな口調で提案してくる。
「どうした、水嶋?」
〈いやね、どうせしばらく私とは会えないんだからさ。代わりと言ったらなんだけど、この機会にいっぱい構ってあげたらいいんじゃないかな〉
「……構うって、誰を?」
水嶋の言わんとしていることを察して、けれど俺は気恥ずかしさからあえて訊き返してしまう。
〈さぁて、誰のことでしょう?〉
そんな俺の内心など見透かしていると言わんばかりにとぼけて見せると、水嶋は「よろしくね~」という言葉を残して電話を切った。
「……構ってあげたら、か」
もしかしたら、俺に電話を寄越してきたのは、初めからそれを伝えるためだったのかもしれない。
相変わらず食えない女だ。
(やれやれ……俺のことを言えないくらいお人好しだな、あいつも)
ふっ、と苦笑を漏らしながら、俺はスマホをポケットにしまう。
そこでふと、横顔に視線を感じて隣に目を向けてみたら……。
「…………(じ~~~~)」
「うおっ!? え、江奈ちゃん?」
いつの間にか、俺の隣でじっとこちらを見上げている江奈ちゃんの姿があった。
びっくりした。だって、まったく近づいてくる気配がなかったんだもの。
「あ、はい。江奈です。貴方の江奈はここにいます」
「い、いつからそこに?」
「つい先ほどです。颯太くんがなかなか戻って来なかったので、何かあったのではと心配になってしまって」
「そ、そうなんだ。ごめん、ちょっと電話が長引いちゃってさ」
と言っても、まだ5分くらいしか経ってないと思うんだけど。
やっぱり、俺がいない状態で部長たちと同じ空間にいるのは気まずかったんだろうか? 江奈ちゃん、人見知りだもんなぁ。
「そうだったんですね。それなら良かったです」
何事もないことが分かってホッとしたのか、江奈ちゃんは胸を撫で下ろす。
それから、たったいま俺がスマホをしまったポケットに目をやった。
「電話、静乃ちゃんからだったんですよね? 何のご用事だったんですか?」
「ああ、うん。江奈ちゃんにも伝えて、って言われたんだけど」
俺は先ほど水嶋から聞いた話をかくかくしかじかと江奈ちゃんに聞かせる。
「なるほど。モデルさんというのも、大変なお仕事なんですね」
「いやぁ、今回に限ってはあいつがサボっていたのも悪いと思うけどね」
「あはは……」
江奈ちゃんは苦笑いを浮かべて、それからふと何事かを考える素振りを見せると、次にはもじもじした様子で確認してくる。
「そのぅ……そうなると、颯太くんはしばらくの間、放課後に静乃ちゃんとお出かけしたり、遊んだりすることがなくなる、ということでしょうか?」
「へ?」
「だ、だってほら! これまでは毎日、二人で一緒に過ごしていましたし……やっぱり、寂しかったり、するんでしょうか?」
やたら恐る恐るといった感じで江奈ちゃんがそう尋ねてくるものだから、俺は思わず「ふっ」と息を噴き出してしまった。
「寂しがる? 俺が? ははは、いやいや無いって。さっきあいつも電話でそんなこと言ってたけど、むしろ逆だよ」
「逆、ですか?」
「ああ。むしろ、久しぶりに俺の自由気ままな放課後ライフが戻って来たって、
なにしろこの一か月ときたら、休日はもちろんの事、平日だってほぼ毎日水嶋にあちこち連れ回されていたからな。
遊園地や水族館で遊んだり、中華街や隣町の商店街を練り歩いたり。ショッピングだって何度付き合ったか分からない。
あまりにも密度の濃い一か月だったから、もう半年くらいは水嶋とつるんでいるような気さえしてくるレベルだ。
まぁ、べつにそれが楽しくなかったとは言わない。水嶋との刺激的な毎日だって、「悪くない」とは思ってる。
ただ、少なくともあいつといるとそれなりに体力や精神力の消耗が激しいのもたしかだ。そもそもがインドア派で陰キャラな俺には、さすがにアレを毎日となるとキツい。
だから、水嶋が仕事で忙しいというのなら、そのぶん俺は心置きなくリラックスできるというものだ。
「それに、いくら忙しいったって学校には来るんだしさ。会おうと思えば休み時間とかに会えなくもないし。だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「な、なるほど……」
きっと俺のことを気遣っての言葉だったんだろう。そう思って、俺は江奈ちゃんに「問題ない」と告げる。
それでも、江奈ちゃんはまだ何か言いたげに口ごもっている。
サラサラとした濡れ羽色の髪を指で弄び、スミレのような薄紫色の瞳をあちこちに泳がせていた。
なんだか落ち着かない様子だけど、大丈夫だろうか?
「江奈ちゃん? どうかした?」
「ふぇっ? いえ、あ、その……」
びくりと肩を跳ねさせた江奈ちゃんは、それからうっすらと頬を赤く染めると、両手の指を突き合わせながらぽつり、ぽつりと言葉を漏らす。
「そ、それはつまり……颯太くんは、放課後はしばらく、ふ、ふ……フリー、ということなんでしょうかっ?」
最後の方はもう腹を
プレッシャーに
──この機会にいっぱい構ってあげたらいいんじゃないかな。
(……そうだな)
江奈ちゃんの言わんとしていることを察し、だから、俺はひとつ深呼吸をして心を落ち着かせると。
「え~っと……江奈ちゃんさ。今日このあとって、時間ある?」
「え? は、はい。特に予定はありませんが……」
「そっか。なら、映研の打ち上げが終わったら、一緒にどこか寄り道して帰らない? ほら、知っての通り俺、フリーだからさ」
若干の照れ臭さを覚えながらも俺がそう提案すると、江奈ちゃんは分かりやすく嬉しそうに目を見開いて。
「──はい! ぜひっ!」
見ているこっちまで頬が緩んでしまいそうなほどの、満面の笑みで頷いた。
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