3話 イチゴ飴は冷凍じゃないやつを選べ
映研での打ち上げがお開きになり、そろそろ十三時を回ろうという頃。
俺は江奈ちゃんと一緒に学校を後にして、やがて市内の主な観光地の一つである横浜中華街へと足を運んでいた。
学生でも気軽にグルメを楽しめるし、道を歩きながら色んな店を冷やかすだけでも面白いので、放課後の寄り道といえば定番のスポットである。
「わぁ……ここはいつでも賑わっていますね」
平日にも関わらず大勢の観光客でごった返している通りを眺め、江奈ちゃんが感嘆の声を挙げる。
「まぁ、外国人旅行者も多いしね。江奈ちゃんは来たことある?」
「何度か門の前を通りかかったことはありますが、実は中に入ったことはないんです」
「え、一度も? じゃあ、どこかお店に入ったこともないの?」
「はい。興味はありましたし、クラスメイトにも何度か誘われたことはあるのですが……中等部までは、習い事などが忙しかったので」
そう言って、江奈ちゃんは少し寂しげに笑う。
「習い事が忙しい」と言ってはいるが、きっとそれ以上に
直接会ったことはないけど、話を聞く限りじゃ江奈ちゃんのご両親、なかなか厳しい人たちらしいからなぁ。
「高等部に上がってからは習い事もなくなりましたし、両親も出張で家を空けることが多くなったので、そこまで門限を気にする必要もなくなりましたけれど。それでもなかなか足を運ぶ機会に恵まれなくて」
そこで一度言葉を切ると、江奈ちゃんは一歩前に出てくるりと俺に向き直った。
「だから、今日はすごく楽しみです。なにしろ私にとっては初めての中華街散策ですから。誘ってくれてありがとうございます、颯太くん」
「いやいや! そんな感謝されるほどのことじゃ……俺はただ寄り道に誘っただけだから」
「ううん、それでも嬉しいです。だって」
少し
「こうして、久しぶりに颯太くんとお出かけができるんです。ただの寄り道だろうと、颯太くんが一緒なら、私はそれだけでとても幸せですよ」
そして放たれる、ゼロ距離からの
な、なんという
彼女の方から積極的にスキンシップをしてくることなんて、付き合っていた時にはほとんどなかったような……いや、それとも俺が気付いていなかっただけで、そもそも江奈ちゃんはそういうタイプだったのか?
自分の頬が若干熱を
「……ん?」
しかし、よく見れば俺の手を握る江奈ちゃんの華奢な手は微かに震えている。
不思議に思って顔を上げると、そこには柔らかそうな白い頬を徐々に赤く染めていく彼女の姿があった。
「え、江奈ちゃん? 顔真っ赤だけど、大丈夫……?」
「はっ!?」
パッと俺の手を離し、恥ずかしそうに両手で顔を覆う江奈ちゃん。指の隙間からのぞく綺麗なスミレ色の瞳は、面白いくらいあちこちに泳いでいた。
「す、すみません、急にこんな……うぅ、やっぱりまだ静乃ちゃんみたいにはいきませんね……」
んん? どうしてそこで水嶋が出てくるんだ?
俺が首を傾げると、江奈ちゃんは顔を逸らしたままポツリポツリと呟く。
「そ、その……颯太くんはこの一か月間、静乃ちゃんと『恋人同士』、でしたよね?」
「へ? う、うん、まぁ……そういうことになる、かな」
たしかにこの五月いっぱい、俺は水嶋と恋人関係にあった。
といってもそれは「勝負」のためで、あくまでもお試しという形だったのだが。
「それがどうしたの?」
「その……されたんですよね?」
「え?」
「静乃ちゃんに、されたんですよね? たくさん」
「な、何を?」
いまいち話が見えずに聞き返すと、江奈ちゃんはモジモジとした様子で続ける。
「だ、だから……手を繋いだり、とか、腕を組んで歩いたり、とか……そういうことです」
「あ~……」
彼女の言わんとしていることを察して、俺は気恥ずかしさから頬を掻く。
そういや江奈ちゃんは、この一か月間に俺と水嶋がどんな風に過ごしていたか大体知ってるんだったよな。ほかならぬ水嶋が、江奈ちゃんに逐一報告をしていたから。
そしてそれはつまり、ヤツが行ってきた数々の所業についても、江奈ちゃんにはほとんど筒抜けだったということだ。
そう。俺が江奈ちゃんと付き合っていた時には決してしてこなかったような、スキンシップの数々についてを。
「……羨ましいなって、思ってたんです。静乃ちゃんからそういうメッセージや写真が送られてくるたびに」
「江奈ちゃん……」
少し寂しそうに俯いた江奈ちゃんは、けれどやがて目線を上げると、顔の前でヒラヒラと両手を振った。
「も、もちろん、こんなことくらいであの頃に戻れた、なんて思い上がる気はありませんよ? 今の私は、あくまでも颯太くんの部活仲間で親しい友人、ですから」
念を押すようにそう言った江奈ちゃんは「ですが」と言葉を続けて。
「もし、颯太くんさえ嫌でなかったら……せめて二人でいる時は、こうしていてもいい、でしょうか?」
やがて俺の隣へと戻ってきた江奈ちゃんが、次には小さくて華奢な右手で、俺の左手を優しく握ってくる。
お互いの指を絡める恋人繋ぎではなく、あくまで軽く握手をするような握り方だった。
「颯太くんの……彼女候補、として」
そう言って、清純な彼女にしては珍しく、どこか妖艶さを感じさせる笑みを浮かべてみせる江奈ちゃん。
「ま、まぁ、手を繋ぐぐらいなら、べつに……」
「本当ですか? ふふ……嬉しいです。ありがとうございます、颯太くん」
彼女がこれまであまり見せたことがなかったその表情に、俺は思わずドキッとしてしまう。
俺の左手ににわかに滲んできた手汗が江奈ちゃんに気付かれないことを祈りつつ、それからは二人並んで中華街の雑踏の中へと歩を進めた。
「え~と……江奈ちゃん、さ。なんか少し、雰囲気変わったね?」
「え? 雰囲気、ですか?」
「いや、その、前よりも積極的になった、っていうか……大人っぽくなったようにも見えて」
「そ、そうでしょうか?」
照れ臭そうに髪をかき上げた江奈ちゃんは、それから悪戯っぽく微笑んだ。
「でも……だとしたら、それはきっと、私の『親友』の影響かもしれませんね」
……なんということだ。
あんなに純真無垢だった大天使エナエルが、いつの間にかほんのちょっぴりだけ、男心をくすぐるわるい子になっている!?
おのれ水嶋め、つくづく教育に悪いイケメン美少女だ。今度会った時はこの件について盛大に文句を言ってやらねばなるまい。
でもまぁ……それはそれとして、ちょっと小悪魔チックな江奈ちゃんもぶっちゃけ大変よろしいかと思います。ありがとうございます。
※ ※ ※
改めて整理をしておくと、現時点での俺と江奈ちゃんの関係は、まぁ世間一般的に言えば「友達以上、恋人未満」ってやつなんだろう。
元々は正式に交際していたとはいえ、今は色々あって同じ学校の同級生で、部活仲間で、委員会も一緒の仲の良い友人同士。けれど、お互いに相手への好意がまったく無いというわけでもない。そんな関係。
しかし、そんな複雑な事情を一切知らない第三者からしたら、きっと今の俺たちは立派な学生カップルにしか見えないに違いない。
ぼんやりとそんな事を考えながら、俺は江奈ちゃんと仲良く手を繋いで中華街を散策していた。
俺にとっては見慣れた日常の風景。
けど、「良いトコのお嬢さん」である江奈ちゃんの目には、街中のあちこちに飾り付けられている赤い
「ふわぁ……なんだか色々な匂いがしますね」
セイロで蒸された
街の雑多な雰囲気をそのまま表しているかのような独特な空気に、江奈ちゃんは先ほどからスンスンと忙しなく鼻を動かしていた。まるで好奇心旺盛な子犬みたいだ。
「知らない匂いもたくさんあって、なんだかとても新鮮です」
「日本じゃあまり馴染みのないモノとかも多いだろうしね、ここには」
「そのようですね……あ、颯太くん。あれは何でしょうか? たくさんのイチゴが串に刺さって……お菓子? のようですけれど」
江奈ちゃんが目を向けたのは、大通りに面した場所に構える、フルーツジュースやアジア圏のスイーツを売っている店だった。
「ああ、あれは『イチゴ飴』だな。ここじゃ定番のスイーツだよ」
「そうだったんですね。どおりで、先ほどからこれを食べ歩いている方をよく見かけると思いました」
「気になるなら食べてみる?」
「そう、ですね……はい。食べてみたいです」
遠慮がちに頷く江奈ちゃんに、俺はグッと親指を立てて見せた。
「オーケー。でも、この店で買うのは止めといた方がいいかもね」
「え、そうなんですか? お客さんもたくさん並んでいますし、人気店なのでは?」
「ん~とね、中華街のイチゴ飴には『はずれ』があるんだよ」
露店に背を向けて歩きながら、俺は江奈ちゃんに解説する。
イチゴ飴はその名の通り、イチゴに飴をコーティングして固めただけのシンプルなお菓子。だからどこの店で買っても基本的に味は一緒だ。
ただ、店によっては冷凍したイチゴをそのまま飴で固めただけの物を売っていたりする。凍ってるもんだから硬くて非常に食べづらいし、だからこれは「はずれ」だ。
「前に買ったことあるけど、あの店のは『はずれ』だった。並んでる人たちは、たぶん知らないんじゃないかな。買うならやっぱり解凍済みのイチゴを使ってる店だよ」
「な、なるほど……!」
目から鱗だと言わんばかりに、江奈ちゃんがキラキラとした尊敬の眼差しを向けてくる。
「さすがです、颯太くん。私一人だったら、きっと早々に『はずれ』を引いてしまっていましたね。頼もしいガイドさんがいてくれて良かったです」
「大げさだってば。それに、こっちから誘った寄り道なんだし。このくらいのエスコートはさせてもらうさ」
「ふふっ……なら今日のところは、颯太くんに甘えてもいいですか?」
「もちろん。
俺がおどけた口調で
そんな彼女の
(……不思議なこともあるもんだ)
だって、そうだろ?
恋人だった時よりも……なんだか江奈ちゃんとの距離が近くなったように感じるんだから。
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