4話 山員閣の名物企画
「……本当にここでいいの? 江奈ちゃん」
「はい」
その後、初めての中華街探訪を楽しんでいた江奈ちゃんは、やがて「颯太くんの行きつけの場所に行きたいです」と言い出した。
そんなわけでやってきたのが、俺と樋口がよく通っている中華料理店、
誤解の無いように言っておくが、ここは料理も美味いし価格もリーズナブルで、だからいつも常連客で賑わっている居心地の良い店だ。
大通りから少し外れた路地にあるので場所は分かりにくいが、誰かにおススメするのに何の不都合もありはしない。
とはいえ……その相手が江奈ちゃんとなると、また話は別だ。
お嬢さんである江奈ちゃんは、たぶんこういう「ザ・大衆食堂」って感じの店で外食した経験はほとんどないに違いない。
人見知りがちな江奈ちゃんが、果たしてこの手の店のフランクな雰囲気に馴染めるだろうか。この時間なら、ぼちぼち
「た、たしかにここも良い店だけどさ。江奈ちゃんは中華街に来るの初めてなんでしょ? なら、今日のところはひとまず大通りの有名どころを回った方がいいんじゃない?」
「いえ、ここがいいんです。颯太くんのお気に入りだというお店がどんなところなのか、私も知りたいので」
どうやら江奈ちゃんの意志は固いようだ。
まぁ、本人たっての希望ということなら、これ以上止めるのも野暮か。俺がしっかり注意していれば、そこまで問題はないだろうしな。
「わかった。なら入ってみるか」
言いつつ、俺はガラガラとスライド式の扉を開けて暖簾をくぐる。
予想通り、店内はいつものように常連客で賑わっていて、カウンター席では地元のおっちゃん連中がビールを片手に店の大将さんと談笑していた。
「わぁ……ここが颯太くんの行きつけのお店、なんですね」
俺の後に続いて入って来た江奈ちゃんが、興味深そうな顔で店内を見回す。
「まぁ、見ての通りの庶民派な店だけどさ。料理の味は一級品だから。江奈ちゃんもきっと気に入ると思うよ」
「そうみたいですね。だって、さっきからとても美味しそうな匂いがしていますから。私、すっかりお腹が空いてきました」
「はは、そりゃあ良かった」
「いらしゃい! 何名様ですカ~?」
入り口で話し込んでいると、店の奥からチャイナ服の少女がパタパタと駆け寄って来た。
「って、あれ!? 誰かと思えば、
「どうも、凛華ちゃん」
「わ~! 店に来てくれるのはお久しぶりだネ! 嬉しいナ~!」
にぱっ、と
たしか今は中学三年生と言っていたっけか。学校に通いながら、両親が切り盛りするこの店で毎日お手伝いをしているらしい。
その可愛らしい容姿と愛嬌のある明るい性格で、お客さんの胃袋だけでなくハートもガッチリ捕まえる、まさに看板娘だ。
「二人なんだけど、入れるかな?」
「二人?」
俺が二本の指を立てると、そこで凛華ちゃんは傍らにいた江奈ちゃんの姿に気付いたらしい。
「アイヤー! 今日もまた、すごい美人さんと一緒のことですネ!」
「え? え?」
キラキラと目を輝かせながら人懐っこく距離を詰める凛華ちゃんに、江奈ちゃんは若干戸惑ったような顔で後ずさる。
「あ、あの……ち、近い、です……」
凛華ちゃんに気圧されてか、やがて江奈ちゃんは殻にこもるカメみたいに、スススッと俺の背の後ろに引っこんでしまった。
う~ん、やっぱりまだ人見知りな性格は変わっていないみたいだな。
「ありゃ、怖がらせちゃたかナ?」
「ちょっと引っこみ事案なだけなんだ。怖がってるわけじゃないと思うから、気を悪くしないでくれ」
「無問題! 私気にしないヨ! それよりせかく来てくれたんだから、今日はウチ自慢の料理、お姉さんにもたくさん食べていて欲しいナ!」
「は、はい……楽しみ、です」
チャイナ娘のカラッとした物言いに、江奈ちゃんも多少は緊張がほぐれたらしい。俺の背中越しからではあるものの、凛華ちゃんににこりと微笑みを返していた。
そうして席に案内される道すがら、凛華ちゃんが悪戯っぽい笑みで俺の脇腹を小突いてくる。
「それにしても、お兄さんもなかなかのプレイボーイのことですネ。この前も違う女の子とデートしてたでショ? こ~の色男~♪」
「え? 違う女の子?」
「ほら、あの青い髪の。あのお姉さんも美人さんだたヨ。髪サラサラで背も高くて、おまけにあの大きいお山! モデルさんみたいな人だたネ~」
「ああ、水嶋のことか……いや、あれはなんというか、色々と事情があって……」
「で? で? お兄さんはこないだの
「いや、だから彼女たちとは別にそういう関係では……」
ない……とも言い切れない部分はあるけれども。
「と、とにかく! 今日はただ学校の友達と飯を食いに来たってだけだから」
「
なんてひとくさり
二人して席に座るなり、凛華ちゃんがすかさずお
きっと今日も学校から帰って来てすぐ店の手伝いに入っているんだろう。女子中学生なんて遊びたい盛りだろうに、なんともまぁ感心なことだ。
同い年なのにいつも友達とフラフラしているうちの愚妹とは大違いである。
「それで、今日は何にする? いつものヤツでいいかナ?」
「う~ん、そうだな。やっぱりアレかな」
「……あの、颯太くん。『いつものヤツ』、というのは?」
と、そこで江奈ちゃんがおずおずと尋ねてくる。
「ああ、ごめんごめん。説明してなかったね。ここは何でも美味しいけど、俺のおススメはこの『
俺はテーブルのすぐ横にある壁に貼り付けられたお品書きの一つを指差した。
山員閣の一番のウリである特製麻婆をたっぷりとかけたピリ辛スープが病みつきになる一品。他のメニューも一通り試したことはあるが、俺はこれが一番のお気に入りだ。
「お兄さん、いつもコレばかりネ。たまには別の注文してくれてもいいんだヨ?」
「ははは。俺もそうしたいけど、なんだかんだで結局これになっちゃうんだよね」
「そ、そうなんですね……それじゃあ、私も」
それにします、と江奈ちゃんが口にしようとしたところで。
「……あ~~、ダメだったか~!」
不意に、客席の一つからあがったそんな叫び声が店内に響き渡った。
「惜しかったなぁ。あと少しで完食だったのに」
「ヤスさん、大丈夫か? ほれ、水飲め水」
「ングッ、ングッ……いや~参った! 今日こそはいけると思ったんだがな~!」
見れば、一人のガタイの良い男性客が座るテーブルに、ちょっとした人だかりが形成されている。
そして、男性客の目の前には、バスケットボールくらいならすっぽりと入ってしまいそうなほど大きなラーメン皿がデンと置かれていた。どう見ても一人前の料理を盛るためのものではない。
「オ~、残念。さすがの筋肉ダルマのヤスさんでも、やぱり厳しいみたいネ」
「うわぁ。あのオッサン、まだアレに挑戦してたのか。いま何連敗中だっけ?」
「今回で十一連敗だヨ。挑戦回数記録はダントツの一位なんだけどネ~」
「よくやるなぁ、ホント」
俺と凛華ちゃんは苦笑いで顔を見合わせて、しかし事情を知らない江奈ちゃんは異様な光景にただただ困惑している様子だった。
「あ、あの、颯太くん? あの方々は一体なにを……?」
「ああ。あれはね、この店の『名物企画』だよ」
「名物、企画……?」
小首を傾げる江奈ちゃんに、今度は凛華ちゃんが説明する。
「その通り! うちの店でやてる大食いチャレンジのことヨ! 一皿で五人前の『特製超ジャンボ麻婆ラーメン』を時間内に食べきれたら料金タダ+1000円分のサービス券プレゼント! もちろん、食べきれなかたら全額払てもらうけどネ!」
「な、なるほど」
「まぁ、これまで色んなお客さんが挑んだけど、クリアしたのはほんの数人ヨ。単純に量が多いのもそうだし、普通の『麻婆ラーメン』より辛さもマシマシ! 舌を鉄と化し、胃袋を小宇宙と化せるような猛者でもない限り、アレには手を出さない方が賢明のことですネ!」
「そんなヤバい
「それは私じゃなくて
そう言って凛華ちゃんが目を向ける先では、なるほど、厨房の中から敗北者の姿を眺めて満足げに頷いている大将の姿があった。
お、鬼だ。鬼がいる。
「ま、まぁ、あんな化け物メニューは例外中の例外だからさ。江奈ちゃんは心配せずに、好きなものを注文すればいいよ」
よりによって大食いチャレンジが行われている時に来店するなんて、間が悪かったな。これで江奈ちゃんが怖がったりしないといいんだけど……。
なんて、俺は若干の罪悪感を覚えていたのだが。
「そう、ですね……では、せっかくですし、私もあれを」
そう言って、江奈ちゃんはメニュー表ではなく、店内の壁に掲示された一枚のポスターを指差す。
「へ?」
「おお!」
俺が素っ頓狂な声を漏らすのと、凛華ちゃんがどこか期待に満ちた声をあげたのとは、ほぼ同時だった。
なぜかって?
だって、江奈ちゃんの指差す先にあったのは……たった今もむくつけきマッチョマンを
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