5話 放課後の辻フードファイト
「え、江奈ちゃん!? まさか、あのメニューにチャレンジするって言ってるの!?」
何かの間違いじゃないかと思って俺は確認するが、対する江奈ちゃんは実にあっさりした顔で頷いた。
「は、はい。名物というのでしたら、私も試してみようかなと」
「へぇ? お姉さん、大人しそうな顔してなかなかの度胸の持ち主ネ! いいヨ、いいヨ~♪」
「い……いやいやいやいやっ! アレはそんな軽い気持ちで注文しちゃダメなやつだから! 悪いことは言わない、絶対に、止めといた方がいい!」
俺はそこまで大食いなわけではないが、それでも普通のラーメンだったら一度に二杯くらいは食える程度の胃袋は持っている。
そんな俺が過去に一度だけ挑戦した時はまるで歯が立たなかったのだ。いわんや江奈ちゃんでは完食なんて夢のまた夢、いや、いっそ達成不可能と言ってもいいだろう。
そもそも、これまで一緒にご飯を食べた時だって、いつも一人前をようやく食べきれるかどうかって感じだったし。
こう言ってはなんだが、どう考えても
「麻婆ラーメンを食べたいなら、俺と同じ普通のやつに……」
「
「あっ! ちょ、ちょっと凛華ちゃん!?」
しかし、俺が江奈ちゃんを思いとどまらせるよりも早く、凛華ちゃんはさっさと厨房にオーダーを通してしまった。
な、なんて強引な……これはとんでもないことになってきたぞ。
「はっはっは! お嬢ちゃん、見ない顔だけど
「このくらいの年ごろなんてそんなもんさ。自分ならなんだってできる気がするんだ。な? わかるわかる」
「ま、無理しない程度に頑張ってみな」
凛華ちゃんがわざわざ大声で注文を通すものだから、周りの席の常連客達からも次々にそんな野次が飛んでくる。
見知らぬおじさん達に
しかし、手元にはしっかり
「江奈ちゃん、本当に大丈夫?」
食べきれなかった時の全額支払いというペナルティより、とにかく江奈ちゃんの胃の方が心配で、俺はオロオロするばかりだ。
「無茶してお腹でも壊しちゃったら大変だよ。やっぱり今からでもキャンセルした方が……」
「大丈夫ですよ」
江奈ちゃんはフルフルと首を振ると、やがて何事かを決心したように頷いて、おもむろに俺の目を見つめて言った。
「颯太くん。私……すごく後悔しているんです。あなたの彼女として過ごしていた、あの四か月の時のことを」
「え……?」
一瞬ドキリとする俺に、しかし江奈ちゃんはすかさずヒラヒラと手を振って見せる。
「い、いえっ! べつに、颯太くんの彼女であったことを後悔している、という意味ではありませんよ? あの四か月は私にとってとても……ええ、それはもう、とても幸せな時間でした」
江奈ちゃんがしみじみと呟く言葉に、俺は照れ臭さから無意識に頬をポリポリと掻いた。
そんな俺に微笑ましそうな笑みを向けながら、江奈ちゃんは続ける。
「後悔しているのは……颯太くんに対して素直になりきれなかった、私のことです」
「素直に……?」
「はい。もう、静乃ちゃんから全て明かされてしまいましたが……私が颯太くんに相応しい彼女であるのかという不安。そして、もっと颯太くんと近付きたい、触れ合いたいという欲求。そういった本心を、私はずっと自分の中に隠してしまっていました」
「江奈ちゃん……」
彼女の言わんとしていることを察して、俺は口を噤む。
あくまで「もしも」の話ではあるが。
もしも江奈ちゃんが、自身の不安や欲求を恋人である俺に素直に打ち明けられる性格だったら、わざわざ水嶋と
だって、江奈ちゃんの素直な気持ちを二人で共有できていれば、話し合うなり、「じゃあこうしよう」と解決策を考えるなり、他にいくらでも対処のしようがあったかもしれないのだから。
「私はもう、同じ後悔はしたくありません。私の弱い部分も、ダメな部分も、恥ずかしい部分も。颯太くんには私の全部を知っておいて欲しいんです。そうしなければ、いつまでも『本当』の恋人同士になんて、なれないと思うから」
「だから」と言うなり、江奈ちゃんはサラサラの黒髪をにわかに後頭部でまとめ上げた。
ほっそりとした首筋と、それに巻き付いたチェック柄の首輪が露わになる。
「少し、恥ずかしいですけれど……見ていてください、颯太くん」
何やら覚悟を決めたようなキリッとした表情を浮かべる江奈ちゃん。
これまであまり見たことがないような彼女の様子に俺が眉を
「は~い! ジャンボ麻婆、お待ちどおさまネ!」
ドン、とテーブルに置かれる巨大な丼ぶり。
見ているだけで舌がヒリヒリしてきそうな真っ赤なスープの海から、もわもわと湯気が立ち上っている。
ラーメンっつーか、もはや「食べる魔王城」って感じ。
(うわぁ……相変わらずエグいな)
けれど、江奈ちゃんは少しも臆する素振りを見せず、そっと丼ぶりに手を添えると。
「制限時間は二十分ヨ! それじゃあ──スタート!」
「いただきます」
凛華ちゃんがストップウォッチを押すなり、江奈ちゃんはまず左手に持ったレンゲでスープを一口。それから右手の
お嬢さんの江奈ちゃんらしい、とてもお
しかし……それよりも何よりも俺が驚いたのは、その一連の動作のスピードだった。
(は……速いっ!?)
たしかに、一度に口にする量は少ないかもしれない。
しかし、それをチャラにするほどの圧倒的なハイスピードで、江奈ちゃんの口の中にラーメンが消えていく。もちろん、上品な食べ方はそのままに、だ。
「お、おいおい。マジかよ……」
「何が、起こってるんだ……?」
チャレンジが始まる前までは江奈ちゃんに生暖かい笑みを向けていた常連客たちも、にわかに目を見開いて唖然としている。
凛華ちゃんもますます期待に満ちたキラキラとした目を江奈ちゃんに向けているし、
そんなギャラリーたちには
「コクッ、コクッ、コクッ…………ふぅ。ごちそうさまでした」
最後はスープまでしっかり完飲し、さながら魔王を打ち倒した勇者が剣を納めるかのように、ゆっくりと食器を置いて両手を合わせた。
驚きのあまり、俺を含めて店内の誰もが静まりかえる中。
「完食タイム、十九分三十七秒。ギリギリだけど──チャレンジクリアだヨ!」
ストップウォッチに目を落とした凛華ちゃんがそう言い放つや、常連客たちから歓声が沸き起こった。
「お、おおおおおっ!? 完食しちまったよ、あのお嬢ちゃん!」
「信じられない……あの
「しかも、あの激辛ラーメンを食べて汗ひとつかいてないぞ! まだまだ余裕そうだ!」
「おい大将!
突如として現れた美少女フードファイターに、皆もうお祭り騒ぎだった。
たぶん、いま中華街で一番騒がしいのはこの店なんじゃないだろうか。
「はは……驚いた。まさか、江奈ちゃんにこんな特技があったなんて。俺、全然知らなかったよ」
驚きすぎてもはや笑うしかなかった俺がそういうと、江奈ちゃんは途端に顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「ご、ごめんなさい……私、本当は子供の頃から人一倍、その、食欲が旺盛で……でも、こんな私を見られたら、皆に『はしたない』って思われるかもしれないと思ったから……ずっと、隠してて」
そうだったのか。
じゃあ、俺と付き合っていた時にいつも小食なように振る舞っていたのも、そのために……。
「そ、颯太くんは……」
臆病で、あまり自分に自信を持てるタイプじゃない江奈ちゃんのことだ。
いま、こうして自分の素の部分を俺に見せるのにも、すごく勇気を振り絞ったんだろう。
幻滅されるのではないか、と不安で仕方なかったのかもしれない。
「こ、こんな大食らいな女の子は……イヤ、ですか?」
だからこそ、恐る恐るそんなことを尋ねてくる江奈ちゃんに、けれど俺はフルフルと首を振ってみせた。
「あはは、そんなことないって。いっぱい食べる女の子、いいじゃない。むしろ江奈ちゃんの意外な一面が見れて良かったよ」
「ほ、本当、ですか……?」
「もちろん。なんなら、また見てみたいくらいだよ。江奈ちゃんの『フードファイター』っぷりをね」
「フ、フードファイターって……も、もう! あまり揶揄わないでくださいっ」
俺のおどけた口ぶりに、江奈ちゃんが恥ずかしがりながらぷくっと頬を膨らませる。
けれどやがて、どこか胸のつかえがとれたように
思えば、彼女のこんなに飾らない姿を見たことは、果たしてあの四か月の間に一度でもあっただろうか。
これを引き出せるほど彼女からの信頼を得ようとしなかったあの頃の俺に、一発おみまいしてやりたい気分だ。
人生で初めての彼女ができたって、ただはしゃいで、舞い上がってただけで。
(まったく……俺ってやつはほんと、バカな彼氏だったよなぁ)
ぼちぼち夕暮れ時を迎え、いよいよ賑わいを見せる山員閣の店内。
赤ら顔の常連客たちから賞賛を浴びてまたぞろ気恥ずかしそうにしている江奈ちゃんを見ながら、俺はしみじみとそんな事を思って苦笑した。
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