第7章 どいつもこいつも嘘つきだ

25話「私、わかっちゃったんです」

 5月も終わりに差し掛かり、いよいよ外の空気も蒸し暑くなってきているの感じる。


 本来であればこんな日はさっさと家に帰り、エアコンの除湿機能の恩恵を盛大に受けつつ映画鑑賞などと洒落しゃれみたいところなのだが。


「はぁ、はぁ……っ! だから……俺は典型的なインドア派だって言ってるだろうに……!」


 そんな理想とは裏腹に、俺は今、額にじわりと汗を滲ませながらひたすら昼下がりの市内を走り回っていた。


「ぜぇ……はぁ……あの、女狐め……!」


 何が「恋人ごっこ」だ。

 何が「全部演技だった」だ。


 最後の最後の最後まで、クールでキザなイケメン美少女を気取りやがって。


 こんな後味の悪い「勝利」で俺が喜ぶとでも思ったら、とんだ大間違いだぞ。


「くそ……どこにいるんだ、水嶋っ!」


 ※ ※ ※ ※


 ──時は数十分前にさかのぼり。


「まさか……の、あいつが!?」


 江奈ちゃんの口から語られた、水嶋の「初恋」の話。


 その一部始終を聞いた俺の脳裏には、今まで記憶の引き出しにしまわれていた小学生時代の思い出がにわかによみがえっていた。


 そうだ。たしかに俺は小4の時の学校の遠足で、あの森林公園に行っている。


 あの時は樋口と2人で公園内を探検していて、でも途中から樋口が年上のお姉さんたちに囲まれてしまって、蚊帳かやの外に追い出されて退屈だった俺は1人で遊びまわっていたんだ。


 そうしたら、雑木林の向こうで誰かが怒鳴っている声が聞こえてきて、木陰から覗いてみたら同い年くらいの女の子が酔っぱらったオッサンに胸倉を掴まれていて。


 それで俺は、とにかくその子を助けなきゃという一心で、考えるよりも先にオッサンにドロップキックをかましていたんだ。


 正直、今となってはあの女の子の顔も声もほとんど思い出せないけど……そのエピソードを知っているのは、俺とあの子だけのはずだ。


「じゃあ、あいつは……本当に、小学生の時から……?」

「……全部、静乃ちゃんが教えてくれたんです。この学校で再会した時に」


 江奈ちゃんはこくんと頷いて、ぽつりぽつりと述懐じゅっかいする。


 同じ特進クラスに入ることになって、2人はまた小学生の頃のような日々が送れることを喜んでいたという。


 離れ離れになってからのこと、これからの高校生活のこと、色々な話をしたそうだ。


 そして……再会して間もないある日のこと。江奈ちゃんは水嶋に、自分の悩みを打ち明けたという。


 付き合っている彼氏が、本当は自分なんかが彼女であることに嫌気がさしているのではないかと。彼に好きでいてもらえるほどの魅力が、果たして自分にはあるのだろうかと。


「私がそう言ったら、静乃ちゃん、なんだかちょっと雰囲気が変わって……それから、それまで隠していた全部を私に打ち明けてくれました」


 小学生の頃に話していた「好きな男の子」が俺であったこと。

 遠足で酔っぱらいのおじさんから助けてくれたことがきっかけだったこと。

 もう一度俺に会った時に想いを伝えるために、今まで必死に頑張ってきたこと。


 けれど──その「好きな男の子」が、自分の親友と恋人同士になってしまっていたこと。


 自分の中の複雑な心境を、水嶋は包み隠さず江奈ちゃんに話したそうだ。


『だからさ、江奈ちゃん──私と勝負しようよ』


 全てを打ち明けた後、水嶋は江奈ちゃんにそう提案してきたという。


 俺が江奈ちゃんのことを本当に好きなのかどうかを確かめるために、2人でひと芝居をうつ。


 その後、水嶋が1か月間「恋人役」として俺にアピールをしかけ、それに俺が屈してしまうかどうかを試す。


 俺が見事水嶋の告白を突っぱねたら、江奈ちゃんの勝ち。俺の江奈ちゃんへの愛が本物だったと証明され、その時は水嶋も大人しく身を引くことを約束したという。


 でも、もし俺が水嶋の告白を受け入れたら、水嶋の勝ち。俺の江奈ちゃんへの愛がその程度のものだったことが証明されてしまい、大人しく身を引くのは江奈ちゃんの方になっていたそうだ。


『彼のこと、信じたいんでしょ? ならこの勝負、受けてくれるよね。江奈ちゃん?』


 やっと巡り合えた「仲間」であり、恋人である俺を信じたいという強い願い。

 一方で、意図せず親友から初恋の人を奪ってしまったという事実への罪悪感。


 自分の中に渦巻いていた様々な感情に背中を押されて、だから、江奈ちゃんはその「悪魔のささやき」に耳を傾けたのだという。


 つまり、この1か月間の「勝負」は、俺と水嶋の勝負であると同時に、江奈ちゃんと水嶋の勝負でもあったのだ。


「結果……颯太くんは私を選んでくれた。それは、嬉しい。すごく嬉しいです。……でもやっぱりダメです、こんなの。こんな決着では……私、静乃ちゃんに勝ったなんて言えない」

「江奈ちゃん……」


 とうとう、江奈ちゃんの目からポロポロと涙が零れ落ちる。


「本当は、は私の方なのに……静乃ちゃん、小学生の時のこととか、全然颯太くんに打ち明けようとしなかったんです。私が『そんなの公平じゃありません』って言っても、『ちょうどいいハンデだよ』なんてカッコつけて」


 胸元でギュッと両手を握りしめて声を震わせる彼女にどんな言葉をかけていいのかわからず、俺はただただ立ち尽くすしかなかった。


「私……颯太くんのことが好きです。あんまり自分に自信がない私だけど、世界中の誰よりも颯太くんが好きなことだけは自信があります。だけど……子供のころからつのらせていた想いをひた隠しにして、あえて颯太くんに嫌われるような恋敵からスタートして。そんな不利な状態でも一生懸命に振り向いてもらおうと頑張って……あまつさえ、自分の身が危ないのに迷わず颯太くんを庇おうとした。そんな静乃ちゃんを見ていたら……私、わかっちゃったんです」


 制服の袖でぬぐってもぬぐってもこぼれ落ちる涙で頬を濡らしながら、江奈ちゃんは俺を見上げて微笑んだ。


 こんなに悲しそうに笑う江奈ちゃんを見るのは初めてで、俺はグッと胸が詰まりそうになる。


「ああ、、って。勝てないんだな、って。世界中の誰よりも颯太くんのことが好きな女の子は、私じゃなくて静乃ちゃんだったんだなって……私、それがどうしようもなくわかっちゃったんです」


 涙交じりの声で、それでも必死に笑顔を保ちながら、江奈ちゃんはそう言った。


「静乃ちゃんは……悪役なんかじゃありません。全部自分が仕組んだことで、自分こそが黒幕だったって、そんな風に振る舞っているけれど……本当の悪者は、私です」

「そ、そんなこと……」


 ない、と言いかけた俺の言葉に被せるように、江奈ちゃんは続ける。


「私がもっと颯太くんのことを信じられていたら、そもそもこんな勝負、受ける必要はなかったはずなんです。だけど……弱い私は、信じきれなかった。疑ってしまった。だから、静乃ちゃんの誘いに乗って。颯太くんはずっと、私のことを思ってくれていたのに……私、最低ですよね」

「な……なに言ってるんだよ? それを言うなら、江奈ちゃんに信じてもらえるようなことをしてこなかった俺にだって責任が……」

「いいんです、もう。今回のことで、嫌というほど思い知ったんです。陰湿いんしつで、自分勝手で、大好きなはずの人からの愛情にすら猜疑さいぎの目を向けてしまう臆病者……こんなどうしようもない私には──もう、颯太くんに好きでいてもらう資格なんか、無いんだって」


 取り繕うように微笑む江奈ちゃんの目からは、もはや壊れた蛇口のように涙が溢れ出てくる。


 いっそ目を背けられたらどれだけ楽だっただろう。


 痛ましいまでに赤く腫れた彼女の目元を見ていると、俺も自分の身が引き裂かれるような思いだった。


「……だから、颯太くん」


 それから不意にグシグシと目元を拭うと、江奈ちゃんはその表情をにわかに真剣なものにして、俺の目をまっすぐに見つめる。


「もし……もし、ほんのでもいいから、静乃ちゃんのことを好きだと思う気持ちが、颯太くんの中にあるのなら……選んであげてほしいんです。私ではなく……私の大好きな、のことを」

「江奈、ちゃん……? な、何を言って……?」

「いいんです。たとえそうなったとしても、私にはもはやそれを止める資格なんてないし、止めるつもりもありません。私なんかに気を遣う必要もありません。颯太くんは……ただ、自分が思ったように決めていいんです。だから、その代わり──、応えてください」


 そう告げる江奈ちゃんの顔は、1か月前に俺に「勝負」を持ち掛けてきた水嶋が見せた、あの一世一代の大博打おおばくちに挑むような、腹をくくった女の子の顔だった。


 だから、その場しのぎの思いやりも、どっちつかずの中途半端な態度も、きっと今の江奈ちゃんには受け入れてもらえないような気がした。


 少し湿った初夏の風が、向かい合って立つ俺と江奈ちゃんの髪を揺らす。


(俺は……)


 覚悟を決めたといった表情の江奈ちゃんを前にして、俺はしばし言葉を詰まらせる。


 キーン、コーン、カーン、コーン。


 そうしてたっぷり数分ほど立ち尽くしていたところで、耳慣れたチャイムの音が学校内に響き渡った。


「……………………ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 やがて、小さくなっていくチャイムの余韻よいんが完全に消えた頃。


 俺は肺の中の空気をすっからかんにする勢いで、大きく大きく息を吐く。


 それから、一瞬ピクリと肩を跳ねさせた江奈ちゃんのもとへと、ゆっくり歩を進めて。


「──ばっかりだ……俺を好きだって言ってくれる女の子は」


 そのまま江奈ちゃんの脇を通り過ぎ、屋上の扉に向かって駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る