26話 走れ、ヒーロー

 校舎のあちこちを駆けずり回ってみても、どこにも水嶋の姿は見当たらなかった。


 仕方なく昇降口までやってきた俺は、水嶋の靴箱を覗いてみる。


 案の定、中には上履きが入っていた。どうやらすでに学校を後にしてしまったみたいだ。


「……とりあえず行くしかないか」


 捜索範囲が一気に広がってしまったことに気が滅入めいりそうになりつつも、俺も上履きからスニーカーに履き替えて昇降口を飛び出した。


「はぁ、はぁ……っ! だから……俺は典型的なインドア派だって言ってるだろうに……!」


 正門を出て、ひとまず最寄り駅までの通学路を走り抜ける。途中、放課後に水嶋と立ち寄ったことがあるクレープ屋やゲームセンターなどにも足を運んでみたが、やはりあいつの姿はない。


 結局、水嶋を見つけられないまま、俺は学校の最寄り駅までたどり着いてしまっていた。


「くそ……どこにいるんだ、水嶋っ」


 もしかして、あのまままっすぐ家に帰ってしまったんだろうか? 押しかけても部屋に上げてはくれないだろうし、だとしたらさすがにお手上げなんだが。


「……今はとにかく、あいつが行きそうな場所を探すしかないか」


 俺は駅のホームへと降りて電車に飛び乗る。


 やってきたのは、隣町にある商店街だった。


「あの広場は……」

 

 商店街のゲートを潜り抜けると、見覚えのある広場が見えてきた。


 俺がここでベジタブグリーンの代役を務めてヒーローショーに出演したのが、まるでつい昨日のことのようだ。


 思い返せば、あの日俺が舞台から落ちそうになった水嶋を助けた時も、水嶋は俺のことを「私のヒーロー」と言っていた。


 あの時は、単に俺がヒーロー役をやっていたからそう言っていただけだと思ってたけど……あの言葉の裏には、あるいはあの遠足の日の思い出があったんだろうか。


「はぁ……ふぅ、着いた」


 やがてたどり着いたのは、水嶋の行きつけの喫茶店「オリビエ」だ。今日はメイドデーではないようで、店先の看板は通常営業時のものとなっている。


 もしかしたら、あいつはここに……。


「いらっしゃいませ……おや、佐久原さんでしたか」


 カランコロン、というドアベルの音を響かせて店内に入ると、マスターが相変わらずのうやうやしい口調で出迎えてくれた。


「あ、ども、マスターさん」

「今日はお一人ですかな? そういえば、帆港学園はちょうど今時分はテスト期間中でしたか。自習をするのでしたら、どうぞ広い席をお使いください」

「いや、えっと、実は人を探していまして……今日って、水嶋は店に来ていましたか?」

「水嶋さん、ですか?」


 整えられた口髭を撫で擦り、マスターは首を傾げる。


「いえ、今日はお見えになっていないと思いますが……」

「そう、ですか……わかりました」

「お力になれず申し訳ありません。もし彼女を見かけたら、佐久原さんが探していたと伝えておきますよ」

「あ、ありがとうございます! そうしてもらえると、助かります」


 紳士的な老店主に頭を下げて店を出た俺は、けれどいよいよ心当たりがなくなってきてしまい頭を抱える。


 さっきからチャットでメッセージを送ってみても既読すらつかないし、ダメ元で何度か電話をかけてみても繋がらない。どうやらチャットはブロック、電話は着信拒否にでもされているようだ。


(くそ……他にないのか?)


 あいつが行きそうな場所とか、あいつが好きそうな場所とか……。


「……あいつが、好きな場所?」


 そこまで考えて、俺の脳裏にふと、昨日の水嶋との会話がフラッシュバックした。


『──やっぱり私、海が見える町って好きだな』


(海、か……いやでも、それだけじゃ漠然とし過ぎてるしなぁ)


 ブー、ブー、ブー!


「おわぁ!? な、なんだ?」


 不意にスマホに着信があり、俺はおっかなびっくり画面に目をやる。


「よ、吉田さん?」


 表示されていたのは、水嶋のマネージャー、吉田さんの名前だった。


 そういえばブライダルモデルのバイトの時に、手続きの一環として一応連絡先を交換していたんだっけ。とはいえ、電話されるような心当たりはないんだけど……。


「も、もしもし……?」

《もしもし、佐久原さんですか?》

「はい、そうですけど……どうしたんですか?」

《その、ちょっとお聞きしたいんですけど……水嶋さんがどこにいるか、ご存じありませんか? 今日は学校が終わったら一度事務所に顔を出してもらうスケジュールだったのですが、まだ来ていなくて》

「え?」


 俺が驚きの声をあげると、吉田さんが声のトーンを一段下げて続ける。


《こちらから電話やチャットをしてみても、まったく音信不通なんです。それに……ついさっき、『Sizu』のインスタのアカウントに妙な投稿がアップされていまして。もしかしたら何かあったんじゃないかって、不安になってしまって……》

「妙な投稿、ですか?」

《はい。一枚の写真だけが添付されてて……ああいえ、実際に見てもらった方が早いかも……いま、チャットでリンクをお送りします》


 吉田さんの慌てた声が聞こえた直後、彼女とのチャットのトークルームにURLが送付されてくる。


 通話状態を維持しながらリンクに飛んでみると、たしかに「Sizu」のアカウントの最新の投稿ページがあった。


「これは……!」


 投稿には、ハッシュタグもコメントも何も添えられていない状態で、一枚の風景写真だけが載せられていた。


《……おそらく、どこかのの風景だと思うのですが……目印になりそうなものが何も無くて、私にはどこの写真なのか全くわからないんです。いつ撮影された写真なのか、そもそも水嶋さん本人が投稿したものなのかもわからないし……》


 たしかに、いきなりこんな写真だけを投稿して音信不通なんて不自然だろう。


 投稿のコメント欄にも、不思議に思ったらしいユーザーたちの声が集まっている。


〈Sizuさん、フォトテレ更新おつです!〉

〈コメントもハッシュタグもナシ? なんぞこれ?〉

〈これどこ? 海? 白いのは砂浜かな?〉

〈今度の撮影現場とかじゃないの?〉

〈Sizuさ~ん、何の匂わせなんですか~?(>_<)〉


 写真に映っているのは、白い砂浜と、その向こうに広がる海と空。

 たしかに、これだけで場所を特定するのはかなり至難の業だろう。


 だけど。


「……吉田さん。俺、わかったかもしれないっす。あいつの居場所」

《えっ!? ほ、本当ですか!?》

「はい。なんで、今からちょっと行ってきます」

《え? え? ちょ、ちょっと、佐久原さん!? せめて場所を──》


 吉田さんの言葉も聞き終わらぬうちに素早くスマホをポケットにしまうと、俺は再び商店街を走り抜けた。


 ※ ※ ※


 商店街から電車に乗って一度桜木町駅へとやってきた俺は、そこからさらに電車とモノレールを乗り継いで、市内の沿岸部にある海浜公園へと降り立った。


 時計を見れば、時刻は17時を回ったところ。学校内やら街中やらあちこち駆けずり回っているうちに、気付けばこんな時間になってしまった。


 太陽もすっかり西の空に傾き、東の空ではオレンジとピンクと紫のグラデーションがうっすらと形成されている。


「……やっぱ広いな、この公園」


 ここは、以前「八景島シーパラダイス」に行った際に、水嶋がやたらワクワクした様子で眺めていた海浜公園だ。


 公園とは言っても、その敷地面積の大半はビーチが占めているので、どっちかと言えば海水浴場って感じだけど。


『見て見て颯太。めっちゃ広いよ、砂浜』

『この辺りはプライベートでも撮影でも来たことなかったんだよね。こんな良いビーチがあったなんて知らなかったなぁ』


 そう言って子供みたいにはしゃぎながら写真を撮っていた彼女の姿を思い出す。


 確証があるわけじゃない。単なる俺の思い違いかもしれない。


 でも、あいつはきっと、この公園のどこかに……。


 ──ピィィィィィィィィ。


 不意に、潮風とさざ波の音に交じって、微かに笛ののような音が流れてくるのが聞こえた。


 海辺の上空で優雅に飛んでいるトンビたちの「ピィィィィヒョロロロロ」という特徴的な鳴き声とも違う。一定の高さの音を響かせる、この笛の音は……。


 俺は広い砂浜へと足を踏み入れ、風に乗って聞こえてくる音を頼りに歩みを進める。


 平日の夕方ということもあってか、砂浜を歩く人影はほとんどない。


 だから。


「ピィィィィィィィィィィィ……」


 探していた人物は、存外にあっさりと見つけることができた。


「……海水浴にはちょっと早いんじゃないのか?」


 靴と靴下を砂浜に置き、学校の制服を着たまますねのあたりまで海に入っていたその少女に、俺は背後から声をかけた。


「えっ…………そ、颯太?」

「おう。探したぞ、水嶋」


 

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