27話 「なんでも」って言ったよな?

 にわかに笛の音を途切れさせた水嶋が、あからさまに驚いたような表情を浮かべて振り返る。


 その左手がさりげなく背中に回されるのに、俺はちらりと視線を走らせた。


 ただそれもほんの一瞬のことで、水嶋はすぐさまいつもの飄々とした笑みを仮面のように顔に張り付けると。


「え~と……どうしてがここにいるのかな?」


 いやいや、さっき咄嗟に「颯太」って言っちゃってるし。今さらよそよそしくしたって無理があるだろ。


 俺は肩を竦めつつ、自分のスマホを取り出してひらひらと掲げて見せてやる。


「インスタ。お前、さっき更新してただろ」


 途端に「ミスった」というような顔をして、けれど水嶋はまたすぐに取り繕うように言った。


「……ちょっと海で散歩したい気分になってさ。最近あんまり更新してなかったし、ちょうどいいかなって。ただの気まぐれだよ、気まぐれ」

「コメントも、ハッシュタグも無しにか?」

「たまにはそういう日もあるよ。これはこれで、なんかエモくない?」


 このに及んでのらりくらりとした態度だが、今はそれに付き合ってやるつもりはない。


 俺は一呼吸おいてから、単刀直入に切り出した。


「話がある」

「……それって、『勝負』のこと?」


 やれやれ、とでも言いたげに、水嶋が眉をハの字にして首を振る。


「その話なら、さっきもう終わったと思うけど? 勝負はキミと江奈ちゃんの勝ち。キミたちはこれからも仲良しカップルを続けて、水嶋静乃全ての元凶はもう関わらない。めでたし、めでたし、ハッピーエンド。それでおしまいでしょ?」

「いや、終わってない。フェアプレーに反するが発覚したからな」


 俺の言葉に、水嶋は一瞬きょとんとした表情を浮かべると。


「……あはは。不正って? 私はべつにズルなんてしてないでしょ? それに、たとえ私が何かズルをしていたとしても、今さらそれを指摘するメリットはないんじゃない? だって、勝ったのは佐久原くんたちの方なんだから」


 あくまでもすっとぼける腹づもりらしい。

 水嶋は相変わらずの飄々とした笑みを崩そうとせずそうのたまった。


「……お前、さっき言ったよな? この1か月のことは嘘だったって。全部、俺の江奈ちゃんへの愛が本物かを確かめるための演技だったって」

「ふふ。自分で言うのもなんだけど、なかなかの演技力だったでしょ? まぁ、さすがにちょっとキミを過ぎたかもしれないって、反省はしてるけど」

「俺のことが好きだって言ったのも、全部演技か?」


 注意していなければ気付かないほど、ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせた水嶋は、それでも白々しい笑顔で頷いた。


「うん、そうだよ」

「じゃあ、もし今日、俺がお前の告白を受け入れてたら、お前はどうするつもりだったんだ? 好きでもない男と付き合うつもりだったのか?」

「まさか。その時は、どっちみちさっきみたいにネタばらしをしてから、江奈ちゃんに佐久原くんをお返しするつもりだったよ? まぁ、その場合はその後のキミたちの関係がギクシャクすることにはなっちゃってたかもだけど」


 おちゃらけた口調でそう言って、水嶋は「もういいでしょ?」とため息をついた。


「嘘だったんだってば、全部。だから佐久原くんも本気にしないでよ。っていうか、こんな所で私と話してていいの? せっかく愛を確かめ合えたんだから、江奈ちゃんのそばにいてあげた方がいいんじゃ──」

「俺をここに送り出してくれたのは、その江奈ちゃんだ」


 ようやく、水嶋がそれまでの薄ら笑いを取り払う。


 何を言っているのかわからない、という風に怪訝けげんな顔をする彼女に向かって、今度は俺が不敵な笑みを向ける番だった。


「そういえば、むかし約束したっけな? P、ってさ」


 俺が水嶋の背中に隠されている左手を指差すと、今度こそやっこさんは驚きに目を丸くした。


 しかし、俺のそのセリフによって全てを察したらしい。いよいよ観念したといった諦観ていかんの表情を浮かべて、水嶋はゆっくりと左手に握りしめていたものを見せてきた。


 果たして、彼女の華奢な手のひらのなかに収まっていたのは、いつか俺がくれてやった、「南極超人ペンギンナイト」のホイッスルだった。


「はぁ~あ……良くないなぁ、江奈ちゃん。『それは言わないで』って言っておいたのに」


 この場にいない江奈ちゃんに向かって、水嶋がたしなめるようにそう言った。


「でも、そっか……じゃあ、全部聞いたんだね。も」

「ああ。『このままじゃフェアじゃないから』って言って、全部話してくれたよ」

「ふふ、なにそれ? ……恋敵に塩を送るようなことするなんて、とんだお人好しだね。『恋人は性格が似る』って、ほんとだったんだ」


 クスクスと笑っておどけて見せて、けれど、それでもまだ水嶋は、俺の顔を真正面から見ようとはしなかった。


「でも、同じだよ。結局」

「……同じ?」

「たしかに……私は小学生の時から颯太のことが好きだったし、勝負に勝ったら遠慮なく颯太をもらうつもりだった。昔のことを隠していたのは、同情とか憐憫れんびんとか、そういうので颯太の気を引きたくはなかったから。そもそも、颯太の方はそんなこと覚えていない可能性もあったしね」


 けど、と。

 手のひらの中でホイッスルをコロコロと転がしながら、水嶋は言葉を続ける。


「それに、そんなことをしなくても……正直、勝てると思ってた。江奈ちゃんが築いてきた数か月よりも、私の1か月の方が絶対に勝ってるって。今の私だけでも、十分キミに振り向いてもらえるって……そう、思ってた。だけど結局、颯太が選んだのは江奈ちゃんだった。完敗だよ。これまでの江奈ちゃんの頑張りと、颯太の義理堅さを舐めていた、私の完敗」


 いっそ清々すがすがしいとでも言わんばかりに、水嶋は空を見上げて大きく伸びをした。


「1か月、私にやれるだけのことは全部やったつもり。それで敗けちゃったんなら、もうしょうがないじゃない? 潔く諦めるよ。いつまでも女々しく引きずるなんて、『Sizu』のスタイルじゃないしね」


 俺に、というよりは、まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、水嶋がパシャパシャと足元の水を跳ねさせた。


 それからくるりと俺に背を向けて、水平線に沈みゆく太陽に目を向ける。


「だから、ほら。親友から恋人を奪い取ろうとしたような、こんなどうしようもなく最低な女の子のことなんて、綺麗さっぱり忘れてさ。君は今まで通りに──」

「江奈ちゃんはな」


 遮るように俺が言うと、水嶋がピタリと足を止めた。


「江奈ちゃんは……『静乃ちゃんを選んであげてほしい』って言ったんだ」


 弾かれたように振り返った水嶋は、おそらくは今日一番の驚きの表情を浮かべていた。


「………え?」


 ぽかんと開いた口から、間の抜けた声が零れ落ちる。


 立ち尽くす水嶋に、俺はついさっき江奈ちゃんから告げられた思いのたけを話して聞かせた。


 本当は「ポッと出」なのは自分の方であること。

 この1か月に俺と過ごす水嶋を姿を見て、「勝てない」と悟ってしまったこと。

 愛を確かめるという名目のもとに一方的に試すようなことをしてしまった自分には、もはや俺に選んでもらう資格はないと思い知ったこと。


 だから、もし俺にほんの少しでも水嶋を想う気持ちがあるのなら、自分ではなくて「親友」のことを選んであげてほしいこと。


「江奈ちゃんは、俺に言ったんだ。『正直に応えてほしい』って。本当は裏切ってなかったんだからとか、江奈ちゃんに申し訳ないからとか、そんな優しさを優先して自分の気持ちを誤魔化さないでほしい──そう、言われてるような気がしたよ」


 当然の報いとはいえ、これでもう俺との関係がすっぱり終わってしまうこと。


 やっと見つけた心のり所を失い、またもとの灰色でつまらない人生に戻ってしまうこと。


 自分が──になってしまうこと。


「それを全て覚悟の上で、江奈ちゃんは俺にそう言ったんだ。だから俺も、江奈ちゃんのその選択を尊重することにした。江奈ちゃんの覚悟と、自分の正直な気持ちに従って……だから今、俺はこうして、お前の目の前に立ってるんだ!」


 水嶋のクールぶった態度にもいい加減ムカついていた俺は、だから、呆然とする奴に向かってビシリと人差し指を向けて宣言する。


「俺がお前に勝ったら、約束だったな? その『追加報酬』の権利を、今、ここで使わせてもらうぜ」


 きょを突かれたように瞠目どうもくする水嶋に、俺はきっぱりと言い放った。

 

「もうこれ以上、嘘を吐くのは止めにしろ、水嶋。俺にも、江奈ちゃんにも──にもな」

「あ……」


 まるで石像にでもなってしまったみたいに、水嶋は微動だにせず立ち尽くす。


 人気もなく静かな海辺を、ザザーン、というさざ波の音が支配する。


 そして。


「あ、れ……?」


 呆然とした表情のまま、それでも、さながら彼女のエメラルドの瞳が溶け出したかのように。


 水嶋の頬を、一筋の涙が伝っていた。


 

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