28話 3度目の告白

(え、えぇ!? あ、あの水嶋が……泣いてる!?)


 笑った顔、怒った顔、悲しそうな顔、子供みたいにはしゃぐ顔。

 この1か月だけでも、色んな顔を見てきたけれど。


 それでもけして涙だけは見せなかった水嶋が初めて見せたその泣き顔に、今度は俺がきょを突かれる番だった。


「あ、あはは……いやだな、なんで……なんで私、こんな……」


 ただ、驚いたのは水嶋自身も同じだったらしい。


 乾いた笑い声をあげながら、水嶋は慌ててゴシゴシと涙を拭う。それでも、その目元はうっすらと赤く腫れていた。


「……お前でも、泣いたりするんだな。ちょっとびっくりした」

「え~……ひどいなぁ。私のこと、血も涙もない冷徹女、とか思ってたってこと?」


 ひとしきり涙を拭いたタイミングを見計らって俺が言うと、水嶋がおどけた口調でそう返して微笑んだ。


 さっきまでの白々しいそれではなく、この1か月で何度となく目にしてきた、ごく自然な笑みだった。


 なんだよ……「全部嘘だった」なんて、それこそやっぱり嘘っぱちだったんじゃないか。


「はぁ~あ……そっかぁ。きたか~」

「言っとくけど、お前が言いだしたことなんだからな。まさか忘れたとは言わないよな?」

「大丈夫。ちゃんと、覚えてるよ」


 事ここに及んで、さしもの水嶋もいよいよ吹っ切れたらしい。


「──さっきの、インスタの話だけどさ」


 張りつめていた空気を弛緩しかんさせ、水嶋はすこしバツが悪そうに後ろ手を組みながら口を開いた。


「『気まぐれ』なんて言ったけど……本当は、ちょっと期待してたんだ。颯太なら、気付いてくれるんじゃないかなって。気付いて、ここまで来てくれるんじゃないかなって。……そんなワケないのにね? だって、私は颯太に選ばれなかったんだから」


 そこで一旦言葉を切って、水嶋は左手に持っていたホイッスルを口元にあてがう。


 ピィィィィィィィィ……──。


 広い砂浜に、水嶋の吹いた笛の音が再び響き渡った。


「でも……来てくれた。この笛を吹いたら、本当に来てくれた。小学校のあの遠足の日からずっと大好きで。高校生になっても、なんだかんだであの頃と変わらずに優しくてお人よしで。この1か月間、本気の本気の本気で振り向いてもらおうと頑張ったけど、その想いが届かなくて……。だけど、もうなにもかもが終わっちゃった今この瞬間も……やっぱりどうしても諦められなくて、忘れられなくて、この先もずっと大好きでいることをやめることなんてできない──そんな、私のヒーローが」


 噛み締めるような水嶋の言葉を、俺は黙って聞き続けた。


「だから、もし……もしも本当に、江奈ちゃんが、颯太が、私の本当の気持ちを受け入れるって言ってくれるなら……もう一度だけ、チャンスをくれないかな?」


 そこにはもう、文武両道、容姿端麗なカリスマJKを演じるイケメン美少女の姿はない。


 圧倒的なビジュアルとオーラで多くの若者を魅了する、超人気モデルの「Sizu」の姿はない。

 

 いまの俺の目の前には、どこにでもいるような、けれど世界にたった一人だけの、ごくごく普通の「恋する少女」しかいなかった。


「──ずっと、大好きでした」


 いつもの余裕ぶった態度も、全てを見透かしているかのような飄々とした顔も、その気になればいくらでも口にできるだろう虚言きょげん戯言ざれごとも。


 何もかも全部をかなぐり捨てて。


「もし、こんな最低で、自分勝手で、わがままで、キミを困らせるようなことしかしてこなかった……こんなどうしようもない女の子でも、良いって言ってくれるなら」


 夕陽に照らされる中でもそれとわかるくらい真っ赤に頬を染めながら、俺に向かってゆっくりと手を差し出して。


 水嶋は、自分の中に最後の最後の最後に残っていたらしい、飾り気のないンプルな言葉を口にした。


「佐久原颯太くん──キミの、彼女になってもいいですか?」


 水嶋の口から告げられる、3度目の告白。


 けれど、1度目とも2度目とも違って何の含みも思惑もない、純粋な愛の告白。


 きっと水嶋にとっては、小学4年生から高校1年生までの6年間もの時を経てようやく初めて伝えることができたのであろう、そのを受け止めて。


 俺はゆっくりと、水嶋が差し出してきた右手に向かって自分の右手を──。


「────待ってぇぇっっ!!」


 突如として響き渡ったその声に、俺たちは思わず振り返る。


「え……?」

「あ……」


 ほとんど同時に声を漏らした俺と水嶋の視線の先で。

 

 海とは反対側、砂浜の向こうに立ち並ぶ松林の間から誰かが飛び出してくる。


 遠目からでも息を切らしているのがわかるくらいに肩を上下させ、ギュッと両の拳を握りしめながら……少女は、そこに立っていた。


「「江奈ちゃん!?」」


 またまた俺と水嶋が同時に叫ぶや否や、江奈ちゃんが両手を振って一生懸命にこちらに向かって走ってきた。


 俺と同じく典型的な文化系であることもたたってか、途中で何度か砂に足を取られて、砂浜に顔面からベシャッ、とダイブしてしまう。


 しかし、その度に江奈ちゃんは顔についた砂を払い落として、必死な顔で駆けてきた。


「はぁ……はぁ……けほっ……」

「え、江奈ちゃん? どうして、ここに……」


 やがて、やっとの思いで俺たちの近くまでたどり着いた江奈ちゃんに、俺は困惑気味に声をかける。


「──嘘つき、なのでっ!」


 それには答えず、江奈ちゃんはいまだ息が十分に整っていないのもお構いなく、次には俺の顔を真っすぐに見据えて言い放った。


「私……颯太くんが言う通り、なので! 『静乃ちゃんには敵わない』って……『静乃ちゃんを選んであげてほしい』って……そう言ったけど!」


 すでに真っ赤に目元を泣き腫らしながら、江奈ちゃんはなおもポロポロと涙を流す。


「今さら、そんな資格はないかもしれません……たくさん迷惑をかけて、傷付けておいて、虫のいい話なのもわかっています……それでも、私……私、やっぱり無理です! これで颯太くんとお別れなんて……これから先ずっと、颯太くんのいない人生を過ごしていかなきゃいけないなんて……生きて、いけない……嫌……嫌なんでず!」

「江奈ちゃん……」


 なんとなく、わかってはいた。

 

 自分が選ばれなかったとしても、それで構わない──江奈ちゃんのその言葉が、本当は精一杯の強がりだったんだろうということは。


 もちろん、本気でそう思っていた部分もあると思う。俺がもし本当に水嶋を選ぶことになったら、それを甘んじて受け入れようと。


 長年想いを募らせていた親友のために、自分の方こそ身を引こうと。


 だからこそ、自分に嘘をついてまで俺を送り出そうとしてくれた江奈ちゃんの覚悟に、俺も腹をくくって応えようと思ったのだ。


「……ダメ、でしょうか?」


 だけど、やっぱりその覚悟を貫き通せるほど強くはなくて。


「私……颯太くんのそばにいては、ダメでしょうか?」


 だからいま、江奈ちゃんはこうして俺のもとへと走って来たんだろう。


「もう一度──あなたの彼女になるのは、ダメでしょうか!?」


 俺の脳裏に、4か月前の冬休み明けの記憶が蘇る。


『私と……付き合ってください』


 本当はこちらから言い出そうと思っていたのに、足踏みをしている内に結局先を越されてしまったのは情けない限りだけど。


 だからそれは、俺が人生で初めて経験した告白だった。

 そして、俺に人生初の彼女ができた瞬間でもあった。


 言葉も、シチュエーションも、何もかもがあの時とは違うけれど。


 俺を真っすぐに見つめるその真剣な瞳だけは、あの時と何一つ変わっていなかった。


(……なんて言えばいい? 俺は、江奈ちゃんに、なんて……)


 水嶋に差し出しかけて中空で動きを止めた右手のように、俺の心はものの見事に宙ぶらりんになってしまっていた。


 水嶋の本音も、江奈ちゃんの本音も……そして自分自身の本音も、俺はもう一切いっさい合切がっさい知ってしまった。


 どんな選択肢を選んでも、必ず誰かを傷つけることになると知ってしまっているのだ。


 しかし悲しいかな、俺は恋愛映画の主人公でも、ラブコメ小説の主人公でもない。


 ただちょっと映画に詳しいだけの、それこそ石を投げれば当たるくらいどこにでもいる、陰キャでオタクな冴えない男子高校生に過ぎない。


 創作の中に登場するかっこいい男たちみたいに、こんな状況でなんて答えたらいいのか、どんな行動を取るのが正解なのか、なんてことはまったく見当もつかなくて。


(俺は……)


 もの言わぬ案山子かかしのように、ただただ立ち尽くすことしかできなくて。


「──ダメだよ」


 だから、最初に江奈ちゃんにそう答えたのは、俺ではなくて水嶋だった。


「今さらそんなこと言ったって、もう遅いよ」


 そう言った水嶋の表情は、彼女にしては珍しく険しいものだった。


「幼馴染なんだから知ってるでしょ? 私、から」

「へ? お、おい、ちょ、水嶋……!?」


 言うが早いか、水嶋は宙ぶらりんになっていた俺の右手をぎゅっと掴むと、そのまま浅瀬の中へと引っ張っていく。


「ま、待て待て待て!? 靴! 俺、スニーカー履いたままだから!」

「濡らしちゃえ、濡らしちゃえ」

「無茶言うな! グチョグチョの靴で帰りたくないぞ俺は!」


 そうこうしている内に、俺はとうとう片足を水の中に突っ込んでしまった。

 

「つ、冷てぇ~!?」

「全部濡れちゃえば慣れるって」


 なおも腕を引っ張ってくる水嶋のせいで、とうとうもう片方の足も水に漬かりそうになった、その瞬間。


「……ん~~~~っ!」

「ふぁ!? え、江奈ちゃん!?」


 しかし、空いていた俺の左手を、今度は江奈ちゃんがギュッと握りしめて引っ張って来た。

 

 必然、両方の腕を別々の方向から引っ張られた俺の体は、片足を水の中に、片足を砂の上に置いた格好で静止する。


 か細い腕を目いっぱい使って、非力ながらも必死に俺の腕を引っ張る江奈ちゃん。モチモチと柔らかそうな頬っぺたをプクッと膨らませ、まさに全身全霊といった様子だ。


 そんな彼女の姿に、水嶋が「へぇ」と不敵な笑みを浮かべる。


「……随分と食い下がるんだね。いつも引っ込み思案な江奈ちゃんのクセに」


 いつになく挑発的なセリフを吐く水嶋に対して、江奈ちゃんも江奈ちゃんで珍しくキッとした表情だ。


 全神経を俺の腕を引っ張ることに集中させているために喋る余裕もないみたいだが、水嶋に無言の抵抗を見せている。


 こんな雰囲気の2人は、今まで見たことがない。


「颯太の選択を尊重するんじゃなかったの? 黙って送り出す覚悟を決めたんだよね? なら今さら撤回するなんて、それはちょっとズルいんじゃない?」

「……(フルフルフルフルフル)!」

「それでも譲りたくないって? ふ~ん、面白いじゃん」

「お、おい、キミタチ!? いいからとりあえず手を放して──」


 そろそろ腕の痛みも限界に達しようとしていた俺が、なんとか2人をなだめようとした瞬間。


「……もう……げん、かい……」

「わっ!?」

「へ!?」


 先にスタミナ切れを起こしたらしい江奈ちゃんが脱力する。


 江奈ちゃんサイドからの引張力ひっぱりりょくがなくなったことで、当然、力のベクトルは一気に水嶋の方へと傾き……。


 バシャァァァァン!


 あわれ、手を繋いだままだった俺たち3人は、そのまま勢いよく浅瀬の中へと倒れ込むハメになってしまった。


 ※ ※ ※ ※


「キミたちね~。何があったんだかしらないけど、ダメだよ。制服着たまま海に飛び込んだりしちゃあさぁ」


 十分後。


 海っぺりで俺たちが揉めていた様子を見て、公園を通りがかった誰かしらが管理事務所に通報したらしい。


 駆けつけてきた事務員のおじさんに連れられ、びしょびしょの制服から貸してもらった職員用のツナギに着替えた俺たちは、おじさんからのお説教に耳を痛めていた。


「足がつくとこでも、そのまま溺れちゃう人だっているんだよ?」

「……はい」

「キミたち、学生さんだよねぇ? 通報してくれた人の話を聞く限りじゃ、なに? 痴話喧嘩してたんだって?」

「……はい」

「いやね、こう見えておじさんもキミぐらいの年の頃は、色んな女の子にモテてね。おじさんを巡っての言い争いなんてしょっちゅうだったから、キミの気持ちもわかるんだけどさぁ。でも、そういう時こそ男がビシッと場を収めなきゃダメよ」

「……そっすね」


 しまいにはいつの間にかおじさんの学生時代の武勇ぶゆうでんが始まってしまい、俺はさっきから「はい」か「そっすね」しか言えなくなっていた。


 タオルで髪を乾かさせてもらった上にツナギまで貸してもらっている手前、こちらから話を中断させるのもしのびないのがなんとも歯がゆい。


「……まぁとにかく、喧嘩もほどほどにね。今日はもう事務所も閉めないとだから、そのツナギは着て帰っちゃっていいよ。今度ここに来た時に返してくれればいいからさ」

「……すみません、助かります」

「いいの、いいの。じゃ、3人とも気を付けて帰りなさいね」


 温かい言葉で見送ってくれたおじさんにお礼を告げて、俺たちは海浜公園のモノレール駅へと向かう。


 すでに陽も完全に沈み、空にはうっすらと星の光が見え始めていた。


「…………」

「…………」


(き……気まずい!)


 俺を挟むように両脇を歩く水嶋と江奈ちゃんは、さっきから一言も喋らない。


 ピリついた空気に気圧けおされて、俺もただただ押し黙るしかない。


 結局、モノレールと電車を乗り継ぎ、学校帰りの学生や会社帰りのサラリーマンで賑わう桜木町駅に降り立つまで、その気まずい沈黙は続き。


「……じゃあ私、バスだから」

「……私は、地下鉄なので」

「お、おう……気ィ付けて、な?」


 最後に短い別れの言葉を口にする二人を、俺はおっかなびっくり見送ることしかできなかった。

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