32話 ヒーローとヒロイン

「ん? そういや、この辺って……」


 そんなこんなをしている内に、気付けば俺たちはつい昨日、3人そろって浅瀬にダイブしてしまったあたりの砂浜までやってきていた。


「なんつーか……これからここに来るたびに、昨日のことを思い出すんだろうなぁ」

「そりゃあ、あれだけのことがあったらね。忘れられないでしょ」


 そう言って肩を竦めた水嶋が、次には何事か思いついたように、悪戯っぽい笑顔を浮かべる。


「そういえばさ、颯太は知ってる? どうして江奈ちゃんが、キミに魅力を感じてもらえていないんじゃないか、って不安になったのか」

「え?」

「昨日は単に『自分に自信がないから』って言ったけど……実は、他にも理由があるんだよねぇ」

「し、静乃ちゃん!?」


 途端に、なぜか顔を真っ赤にした江奈ちゃんが大慌てで水嶋へと詰め寄った。

 

 な、なんだ? 江奈ちゃんってば、何をそんなに焦って……。


「そ、それは言わないって約束じゃ……!」

「あれ? 約束を破って私の過去をバラしちゃった人が何か言ってる」

「あぅ……そ、それは……」

「それに江奈ちゃんさぁ。この1か月、私に黙って何度かしてたでしょ? ふふふ、なら多少のお仕置きは必要だよね?」

「うぅ……」


 水嶋の言葉に反論できないのか、江奈ちゃんはさっきから面白いくらいに目線をあっちこっちに泳がせてあたふたしていた。


「ズル? ズルって、何のことだ?」


 話が読めない俺が首を捻ると、水嶋は俯く江奈ちゃんの背後に回り込み、彼女のモチモチほっぺを両手でむにゃっと摘み上げた。


「ひ、ひふのひゃんっ……ひゃ、ひゃめへふらはひぃ……」


 江奈ちゃんは涙目になりながら、か細い腕で水島の手を払いのけようとする。


 が、モデル活動の中で普段から体を鍛えているという水嶋に力で叶うはずもなく。


 結局は観念したようにダランと腕を下ろし、「あぅぅ……」と情けない声を上げることしかできなかった。


 うん……可哀想だけど、可愛い。


「それがさ〜。『勝負』を始める時に、この1か月は江奈ちゃんは極力颯太に近付かない、ってルールを決めてたんだよ。万が一にもが出ないようにね」


 なるほど。たしかに「勝負」が始まってからの江奈ちゃんは、打って変わって事務的な塩対応だったもんな。


 ……なんか、思い出すだけで泣きそうになってきた。あれも全部演技だったとわかって、本当に良かった。いやマジで。


「だけどこの子ってば、よっぽど颯太と離れ離れなのが寂しかったみたいで。そのうち私に隠れて颯太と図書室で2人きりになろうとしたり、挙句の果てには正体を隠してメイドになってまで颯太とイチャつこうとしたりしてさぁ。1か月間は私の『攻略』を邪魔しないってルールだったのに、そうやってアピールするのはちょっとズルじゃんね?」

「えっ!?」


 水嶋の言葉に、俺はこの1か月の江奈ちゃんとのやりとりを思い返してみる。


 そう言えば、いつか図書館の事務室で2人きりで作業したことがあったっけ。


 それまで着けていなかった首輪を着けてきていたり、やたらそれを見せつけようとしてきたり、たしかにあの時の江奈ちゃんの様子は少し不自然だった。


 メイドのバイトにしたってそうだ。俺が知っている江奈ちゃんは引っ込み思案で人見知りで、だから、まずあんな派手な格好で接客業ができるような子ではない。


 それでもアイマスクや偽名を使ってまで正体を隠して(バレバレだったけど)俺に「ご奉仕」してきたのには面食らったっけ。


思い返せば、俺と付き合っていた時の彼女からは想像もつかないくらい、この1か月の江奈ちゃんは行動力があった気がする。


「てっきり、江奈ちゃんが俺と水嶋の関係を疑って探りを入れようとしての行動だと思ってたけど……そもそも最初から全部知っていたってことは……」

「焦ったんでしょ。颯太が段々と私に心を許していってるのを感じて、『このままじゃ本当に攻略されちゃう!』って。かといってネタばらしをするわけにもいかないから、せめてもの抵抗として江奈ちゃんなりに颯太にアプローチしようとしていた……ってところかな? んん? そのへんどうなの、江奈ちゃ〜ん?」


 追い詰めるような水嶋の口調に、江奈ちゃんはもうバツが悪いやら気恥ずかしいやらといった顔で項垂うなだれるしかないようだった。


「だから、そんなルール違反を犯そうとした江奈ちゃんへの、これは罰ってことで」

「うぅ……ゆ、許してくださいぃ……」

「ダ〜メ。ほらほら、言ってみ? どうして颯太に魅力を感じてもらえてるか不安になったのか、自分の口で言ってみ?」


 いたいけな町娘の弱みにつけ込んで辱める悪代官みたいになった水嶋が、意地の悪い笑顔で江奈ちゃんに自白を促す。


 哀れ江奈ちゃんは目の端に涙を浮かべながら、なぜか夕陽にも負けないくらいに赤面して。


「……て…………たから」


 けれど、やがて観念したといった様子で、ギュッと胸元で両手を握りしめながら、ゆっくりと口を開く。


「え?」


 俺に向かって江奈ちゃんが何事かを喋りかけてくるが、声が小さすぎて波の音にかき消されてしまう。


「……手……して…………なかった、ので」

「えっ、と……ごめん。よく聞こえなかったんだけど」


 俺が頬を掻き掻きそう言うと、江奈ちゃんはいよいよ茹でダコみたいに顔を真っ赤にしながら、精一杯の声で叫んだ。


「だ、だからっ! ……颯太くんが、ので!」

「…………へ?」


 かくん、と下あごを落とす俺に、江奈ちゃんはもうヤケッパチだとでも言わんばかりにまくしたてる。


「わ、私……本当は、もっと颯太くんとくっついたりしたかったんです! 手を繋いだり、ハグしたり……き、キス、とか……そそ、、とかもっ!」

「はい!?」

「こ、これでも私、結構アピールしてたんですよっ? 颯太くんとデートする時、偶然を装ってさりげなく体に触ったり! 映画館で肩を並べて座る時は、話しかけるふりしていつもより顔を近づけたり!」

「え、江奈ちゃん!? ちょ、ちょっと落ち着いて……」

「家族が仕事で家を空けがちなのをいいことに、颯太くんを部屋に連れ込んだりもしました! なのに颯太くん、全然素振りも見せなかったから……!」

「んん!?」


 そ、それって、つまり……。


「……お、俺が……あんまりエッチなことをしようとしてこなかったから、自分には魅力が無いのかもって不安になった……って、こと?」


 俺が簡単にまとめたところで、もはや羞恥心も限界だったらしい。


「そ、そ、そ……颯太くんのバカ!」


 最後にそんな捨て台詞を吐くと、江奈ちゃんは水嶋の腕からすり抜けて、ぴゅーっと部長たちのもとまで走り去ってしまった。


「江奈ちゃん……そ、そうだったのか……。てっきり、そういうのはあんまり好きじゃないタイプだと思ってたから……」

「いやいやいや。女子って男子が思ってる以上にエッチなことに興味あったりするよ? 特に、江奈ちゃんみたいに親が厳しい家だったりすると、かえって溜まってたりするんだろうね」

生々なまなましいことを言うんじゃないよ、お前は」


 遠ざかっていく江奈ちゃんの背を見送りながら、俺は盛大にため息をついた。


 う~ん、やっぱり女の子って難しい……。


「だからまぁ、これからは颯太も適度に江奈ちゃんとスキンシップしてあげたらいいんじゃない? 私としてたみたいにさ」

「お前のはスキンシップってレベルじゃないものもあったけどな」


 この一か月で、こいつが幾度その恵体をフルに活用して俺に色仕掛けをしてきたかわからない。


 ほんと、我ながらよく理性を保っていたと思うよ。


「さて、どうしよっか? 江奈ちゃん戻っちゃったけど、私たちは続行する? 撮影スポット探し」

「ああ、そうだな。ちゃちゃっと見つけて、そしたら俺たちも戻るか」

「OK。……あ、そうだ颯太。この場所で思い出したけど」


 再び散策を再開しようと歩き出したところで、俺は水嶋に呼び止められて振り返る。


 視線の先では、水嶋がスカートのポケットから何かを取り出して掲げる姿があった。


「これ、颯太に返すよ。もう私には必要ないものだからさ」


 言われて水嶋の手を見れば、そこには「Pホイッスル」が握られていた。


「必要ないって、どういうことだ?」

「だって、もうこのホイッスルで呼ばなくたって、これからはずっと颯太がそばにいてくれるでしょ?」


 言うが早いか、水嶋が手に持っていたホイッスルを俺に向かって放り投げた。


 しかし、少し力を入れ過ぎたのか、コントロールを誤ったのか。


 空中に放物線を描いて飛んだホイッスルは、そのまま俺の頭を飛び越えて背後の砂浜に落下してしまう。


(おいおい、どこ投げてるんだっての)


 危うく浅瀬に落ちて波にさらわれるところだった。所詮は子供のおもちゃとはいえ、もう少し丁寧に扱ってほしいもんだな。


「ったく、投げるならちゃんと俺が取れるように──」


 砂の中に半分埋まったホイッスルをつまみ上げ、文句の一つでも言おうと振り返った、その瞬間。


 ──ちゅ。


 不意に、潮の匂いに交じって甘いキンモクセイの香りが鼻をくすぐり。


 俺の唇に、何か柔らかくて暖かい感触が伝わった。


(…………え?)


 一瞬何が起こったのかわからなかった俺は、けれどいつの間にかすぐ目の前に水嶋の美貌があったのを見て、それが彼女の唇によるものだったと理解した。


 かぁっ、と顔中が熱くなるのを感じていると、やがて水嶋の唇がゆっくりと俺の唇から離れていく。


「キミの、『初めての』ヒロインにはなれなかったけどさ」


 してやったり、とでも言いたげにはにかんで、水嶋はすこし照れ臭そうに、けれど心の底から嬉しそうに言った。


「でも……キミの『1番の』ヒロインになるチャンスは、まだ残ってるよね」


 あまりの不意打ちに面食らってしまっていた俺は……けれど、そんな彼女の飾りのない笑顔を見て、何か言い返す気もすっかり失せてしまった。


「颯太、ありがとう──私の初恋を守ってくれて」


 パッと花が咲いたみたいな、その眩しいほどの満面の笑みに、俺はつくづく安堵していた。


 本当に色んなことがあった1か月だったけど……それを乗り越えた先で、この笑顔が失われずに済んだことに。


 この笑顔を、守ることができたことに。


 「……何も大したことはしてない気もするけど」


 だから俺は、いつかこいつを助けた時と同じように。


「まぁ……気にするな」

 

 せいぜいカッコつけながら、不敵に笑って言ったのだ。


「──俺はお前のヒーロー、なんだろ?」

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