第8章 勝者は1人とは限らない
第57話 凶刃の理由
子供の頃の俺は今と違ってわんぱくで、毎日外を走り回ってはすり傷切り傷を付けて帰ってくるような、そんなどこにでもいる少年だった。
ただ、中学生になってからは外で遊ぶこともめっきりなくなったし、運動部に青春を捧げるなんて気もなかったので、幸いにして、俺は今まで骨折だとかの大けがを負ったことはない。
そのくせ無駄に健康というか、1日~2日寝込む程度の風邪はともかく、ノロやインフルエンザみたいな厄介な病気にかかったこともほとんどない。
だから、こんな大きな病院を訪れるのも、思えば随分久しぶりのことだった。
ましてや、自分や家族のためではなく他人のためなんてのは初めてのことである。
「おぉ……ザ・病院って感じの匂い」
自動ドアを抜けた途端に鼻をくすぐる消毒液のような匂いを感じながら、俺は病院の受付へと歩を進めた。
「すみません。お見舞いで来たんですけど……」
「お見舞いですね? それではこちらの用紙に記入をお願いします」
ぶっきらぼうな感じの受付のおばさんから用紙をもらい、必要事項を記入してから再度受付を訪れる。
用紙を受け取ったおばさんは、細い目をさらに細めて紙面を
「あなた、この患者さんとはどのような?」
「あ~、えっと……」
同じ学校に通う同級生で、前に一度バイト先で一緒に働いたことがあって、というかそもそも入院する直前に一緒に遊びに出かけていた者で……う~ん、どこからどう説明すればいいか。
「この病室の患者さんですが、ご親族の方から面会できる人を厳しく制限されておりまして。事前にアポイントを取っていらっしゃる方でないとご案内が……」
「お待ちしておりました、佐久原さん」
事務的な態度を崩さないおばさんの声を遮って、黒スーツの女性が横合いから声をかけてきた。
「あ……たしか、マネージャーの」
「吉田
ペコリと頭を下げたのは、水嶋のマネージャーを務める吉田さんだった。
以前に聖堂で顔を合わせた時と比べて、心なしかやつれた顔になっている気がする。
「割り込んでしまいすみません。ですが、こちらの方はすでに患者本人と面会の約束を取り付けておりますので」
「あなたは、お付きの……」
吉田さんの顔を見た受付のおばさんは、どうやらそれで納得してくれたらしい。
カウンターの脇からひも付きのカードのようなものを取り出し、俺に渡してくれた。
「そういうことでしたら問題ありません。入館証をお渡ししますので、病院内では常に携行していただくようお願いいたします」
「あ、ありがとうございます」
「それでは佐久原さん、病室までは私がご案内いたします」
「は、はい。よろしくお願いします」
入館証を首に引っ掛けて、俺は吉田さんの後に続いて病院の奥へと進んでいく。
「え~と……すみません。助かりました」
上階へ行くエレベーターを待っていたところで、俺は吉田さんに頭を下げた。
「ああ、いえ。私も彼女に頼まれていましたから」
気にしないでください、と苦笑して、けれど吉田さんは不意に表情を曇らせる。
「……先週のこと、佐久原さんにも申し訳なく思っています」
「え?」
「佐久原さんにお怪我が無かったことは何よりです。それでも、身内が……私の妹が、佐久原さんに多大なご迷惑をおかけしていたのは事実ですから。……本当に、ごめんなさい」
今度は吉田さんが深々と頭を下げる番だった。
「い、いやいや! 吉田さんが……紫莉さんが悪いわけじゃないですから。だから俺なんかにそんなに謝ることないですよ」
俺は慌てて彼女の顔を上げさせようとするが、それでも紫莉さんはフルフルと首を振るばかりだった。
(……まぁ、無理もないよなぁ)
頭を下げ続ける紫莉さんを見下ろしながら、俺はあの事件以降に判明した「X」──吉田
うちの学校の特進クラスに所属する、吉田紅蘭さん。
彼女には芸能事務所に勤務する6つ年上の姉がいて、それが水嶋のマネージャーである吉田紫莉さんだった。
妹の紅蘭さんは、元々はファッション誌やSNSなどにはあまり興味がないタイプだったという。
しかし、姉の紫莉さんを通して「Sizu」というカリスマモデルの存在を知って以降は、すっかり彼女のファンになっていたそうだ。
その入れ込みようは、「Sizu」の載っている雑誌は欠かさず購読し、彼女のフォトテレも毎日チェックするほど。
そして、何の因果か憧れの「Sizu」とクラスメイトになったことをきっかけに、その心酔っぷりはさらにエスカレート。
このところはマネージャーである紫莉さんに、しつこく「Sizu」のスケジュールを教えてほしいとせがんだり、仕事場を見学したいと頼み込んだりと、少々常軌を逸する様子だったらしい。
もちろん、紫莉さんは、妹とはいえ部外者にそんな情報まで教えたりはしなかった。しかし、紅蘭さんは紫莉さんの目を盗んで仕事で使う手帳やパソコンなどを勝手に物色し、「Sizu」が撮影をするある現場の情報を突き止めてしまったという。
それこそが、まさに俺が臨時バイトをすることになった、あのブライダルモデル撮影の現場だったのだ。俺たちが気付いていなかっただけで、彼女はずっと、あの現場を盗み見ていたのだ。
「……本当に
そして、紅蘭さんはその現場で目の当たりにしてしまったのだ。
自分の憧れ、心酔する「Sizu」が。
どこの馬の骨かもわからない男に、見たこともないような笑顔を向けている姿を。
その時の彼女がどんな感情を抱き、そして何を決意したのかは──俺たちはもう、身をもって思い知っていた。
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