第5章 最初の場所で最後の場所

16話「ピュア」は時として凶器なり

 俺と水嶋の「勝負」の一か月も、とうとう最後の1週間を迎えた。


 いよいよ決着の時も差し迫ったことで、水嶋もこれまで以上に全力で俺を攻略しにかかってくるに違いない。


 ……と、思っていたのだが。当の水嶋の行動はというと、これが先週とほとんど変わっていなかったのだ。


 来週に控えた中間テストに向けて、相変わらず放課後に一緒にファミレスで勉強会をするだけ。


 それ以外に特別なことは一切せず、気付けばあっという間に月曜日から金曜日までが過ぎていった。


 それどころか。


「……は? ?」

《そうそう。明日の土曜日はちょっと用事があってさ。だから、デートはお休みにしようと思って》


 一体どういう風の吹き回しなのか、金曜日の夜に水嶋からそんな連絡があったのだ。彼女の方からそんな提案をしてくるのなんて初めての事で、俺は若干めんらってしまった。


 いや、デートがなくなること自体は別に構わないし、その分自由に過ごせるのは俺としてはありがたいのだが。


 水嶋にとっては貴重であろう最後の休日チャンスの半分を捨てるというのは、今までのあいつの行動パターンとは明らかに違う。正直、ちょっと不気味ではあった。


「あいつ……最後の最後で、ま~た何か企んでるんじゃないだろうな?」


 いまいち釈然としなかったが、ともかくそういうわけだったので、俺は土曜日は久々にフリーダムな休日を過ごすことになったのだ。


 そうして迎えた、翌日の日曜日。


「お~、颯太見て見て。軍艦があるよ、軍艦」

「海上自衛隊と米軍の基地があるからな。そりゃ軍艦ぐらい停泊してるだろ」


 お試しの恋人期間も最終日ということもあってか、水嶋の提案により俺たちはホームタウンから少し足を延ばして横須賀よこすかの方まで遊びに来ていた。


 横須賀駅を降りればすぐ目の前に広がっている軍港の景色を眺めて、水嶋が感嘆かんたんの声を挙げる。


「普通の船とは全然違うね。う~ん、せっかくならもっと近くで見てみたいけど、さすがに一般人には難しいかな」

「いや、たしか港から観光用のクルーズ船が出てたはずだ。それに乗れば、軍港をぐるっと一周して間近で艦船を見られるらしい」

「え? めっちゃ楽しそうじゃん、それ。ならあとで行ってみようよ」

「別にいいけど、たぶん事前に予約してないと乗れないぜ? 当日券が残ってるかどうか……」

「その時はその時ってことで。とにかく、ほら」


 言うが早いか、水嶋が俺のシャツの袖口を引っ張った。


 そのままいつものように俺の腕に抱き着いてくる……と思いきや。袖口を掴んでいた水嶋の右手が、するりと俺の左手に伸びて。


「え……?」


 次には俺の指に自分の指を嚙み合わせる、いわゆる恋人繋ぎの状態へと移行した。


「行こっか、颯太」

「お、おう」


 てっきり例によってコアラみたいにくっ付いてくると思っていただけに、俺はなんだか拍子抜けしてしまった。


 いや、別にそれを期待していたとかそういうわけではない、断じて。


 ただ、いつも鬱陶しいくらいにベタベタしてくる水嶋にしては大人しいスキンシップだなと思ったのだ。まぁ、恋人繋ぎだって結構なものだとは思うけども。


(……大人しい、といえば)


 晴れた港の景色に目を細めて隣を歩く水嶋を、俺は改めて横目で見やる。


 本日の水嶋のファッションは、上はシンプルな無地のニットセーターで、下はチェック柄のロングスカート。その裾からはショートブーツが覗いている。


 以前こいつが俺の家に襲来した時も似たようなコーデだったが、今日はあの時とは違いセーターはしっかり首元まであるタイプだし、スカート丈はくるぶしの辺りまで伸びている。水嶋のファッションは今まで色々と見てきたけど、今日は過去一で露出度低めな組み合わせだ。


 いつものクールビューティーでちょっとセクシーな水嶋とは一転、今日の彼女の装いは正統派な清楚系美少女という感じで、まさしく「大人しい」の一言だった。


(まぁ、相変わらず何を着てもオシャレに見えるのは流石だけど……)


 それでも、普段あの手この手で俺をドギマギさせようとしてくるこいつにしては、いかんせん感がある、気がする。


(「最後のデート」だしもっとキメキメで来るかとも思ってたけど。意外に無難なヤツが来たな……いや、待てよ? 実はこれもギャップ萌えを狙ったこいつの作戦という可能性も……)


 水嶋の意図をはかりかねているうちに、気付けば俺はじっと彼女の横顔を観察してしまっていたらしい。

 

「颯太? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「へっ?」


 視線に気づいてこちらを振り返った水嶋の言葉に、俺はハッとして顔を逸らした。


「い、いや、別に……何でもないよ」


 咄嗟とっさのことで上手い誤魔化ごまかし方も思い浮かばず、言葉を詰まらせてしまう。


(しまった……これはまた、「いま私に見惚れてたでしょ?」とかなんとか言って揶揄からかわれるパターン)


 不覚をとった自分をいましめつつ、だから俺は、水嶋のうざったい追及をどうかわそうかと身構えていたのだが。


「そっか。まぁ、私の顔くらいいくらでも見てくれていいけどさ。何でもなくても」

「へ?」


 想像とは違う反応が返って来て、思わず間抜けな声が出てしまう。


 対する水嶋はというと、いつものクールで澄ました彼女はどこへやら。らしくもなく照れ臭そうに赤面したかと思えば、次には上目遣いでこしょこしょと呟いた。


「だ、だってほら、嬉しいじゃんね? 颯太が私のことを見てくれるってだけで、その……幸せだから、私」

「いぃっ……!?」


 生憎あいにくと鏡を持ち合わせていなかったので、確認することこそできなかったが。


(おいおいおい……誰ですか!? このピュアでいじらしい清純派美少女は!?)


 その時の俺はきっと、水嶋とどっこいどっこいなくらい、顔を赤くしていたに違いない。


 ※ ※ ※


 一体どういう風の吹き回しなのかはサッパリわからない。


 ただ、その後の水嶋とのデートは何というか、これまでのそれと比べるといたって健全そのものだった。


《──さて、ただいま皆様の右手に見えておりますのが、アメリカ海軍横須賀基地です。あちら側の岸に上陸する際はパスポートが必要になります。クルーズ中、万が一この船から落ちてしまったお客様は、必ず横須賀市方面に向かって泳ぐようにしてくださいね~》

「あはは、だってさ颯太。上陸する場所、間違えないようにしないとね」

「いや落ちるの前提かよ」

「にしてもあのガイドさん、なかなかギャグセンス高いよね。お笑い芸人とかもできそうじゃない?」

「どこに注目してるんだっての。説明を聞け、説明を」


 こんな具合に、運よく当日券で乗り込むことができた軍港クルーズを楽しんだ時も。


「うわぁ……噂には聞いてたけどすごいボリュームだね、『横須賀ネイビーバーガー』。付け合わせのポテトも大量だし、まさにアメリカンって感じ」

「ほらな、やっぱり1人前にしといて正解だったろ? これでも2人で分けるには十分なんだよ」

「ふふっ、たしかに。颯太のお陰で命拾いしたよ。あ、お皿貸して。私が切り分けてあげる」


 クルーズを終えて地元グルメを楽しんだり、市内を観光して回ったりしている時も。


 俺の隣でコロコロと表情を変えては休日を満喫している水嶋は、良い意味で「普通」だった。


「パーソナルスペース? 何それ美味しいの?」と言わんばかりに過激だったスキンシップも、今日はすっかりりを潜めている。せいぜい肩が少し触れたり、たまに手を握ってくるくらいの可愛らしい接触だけだ。


初デートの「ファッションショー」や中華街での食べ歩きの時のように、いきなり過激で暴れ馬な衣装に着替えて俺を誘惑してくるようなこともない。むしろこれまでの奔放ほんぽうさがウソのように、今日の水嶋はガードが固いように見えた。


(どうなってるんだ? いつもは俺を振り回すだけ振り回してくれるくせに……今日のこいつ、マジでって感じじゃんかよ)


 変な小細工こざいく色仕掛いろじかけも使わず、真正面から堂々と恋人らしい恋人をやっている水嶋。


 これまでとは180度違う攻略アピールを仕掛けてくる彼女に、だから俺も最初のうちこそ警戒していたのだが。


「じゃーん。このスカジャン、颯太に似合いそうじゃない?」

「チョコバナナもいいけど、マンゴーも捨てがたいなぁ。ねぇ、颯太。両方とも買ってさ、二人で分けない? クレープ」

「ふふっ。潮風が気持ちいいね、颯太? やっぱり私、海が見える町って好きだな」


 ある意味では飾り気のない、しかしだからこそ新鮮味を覚える水嶋の言動に。


(く、くそっ! なんで……なんで俺は今さら、こいつなんかに……)


 ふと気付けば、不覚にも、ドキドキさせられてしまっている俺がいた。


 そして、一度そう意識してしまうと、もうダメだ。


「じゃあ、次はこのエリアに行ってみない? インスタでよく話題になってるお店が……」

「おおうっ!?」


 今の今までなんとも思っていなかったはずのに、不意に水嶋に手を握られて、俺は気恥ずかしさから思わず奇声を上げてしまった。


「ど、どうしたの颯太? びっくりした……」

「へ? あ、わ、悪い……急に変な声だして」


 俺の返事を恐る恐る聞いていた水嶋は、次には視線を手元まで下げたところで、ハタと何事かに思い当たったようだった。


「もしかして……手繋ぐの、嫌だった?」

「……へ?」

「ご、ごめんね? 私、つい楽しくて……はしゃぎ過ぎちゃってた、よね」


 そんなしおらしいことを言って寂しそうに目を伏せる水嶋の姿が、なんだか寒さに震える捨て猫のように見えてしまって。


「い、いやいやいやっ! 別に手を繋ぐのが嫌とかじゃなくて……そ、そう、虫!  ちょっとデカめの虫が耳元を横切ったから、びっくりしてさ! はは、ははははっ」


 そこはかとない罪悪感から、俺はつい必死にそうフォローしていた。


「そう、なの? えっと……じゃあ、手は繋いだままでもいい、のかな?」

「お、おう。大丈夫だから、気にするな」

「そっか……うん。なら、良かった」


 言うが早いか、いつもの凛とした相貌そうぼうを崩し「えへへぇ」とユルユルな笑みを浮かべて見せる水嶋。


(だ、か、ら! 勘弁してくれ! そんならしくない無邪気な笑顔で俺を見るんじゃあなぁい!)


 まずい……なんか俺、今日はまともに水嶋の顔を見られないかもしれない!

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