17話 雪の女王

 軍港クルーズをしたり市内観光したりと、朝からひとしきり横須賀巡りを満喫していたら、気付けばぼちぼち夕方の4時を迎えようとしていた。


「結構いい時間だな。あと一、二か所くらいなら回れそうだけど……どうする、水嶋?」


 俺はスマホの時計を確認しつつ、次の目的地を尋ねてみる。


 けれど、水嶋の中ではすでに行先が決まっているようだった。


「じゃあ、最後にあそこに行こうよ」

「あそこ?」


 水嶋の指差す先を見てみれば、そこには港沿いに建つ大型のショッピングモールがあった。


(あのモールって……いや、まさかな)


 ふと頭に浮かびかけた霧散むさんさせ、俺は肩を竦める。


「何か買いたい物でもあるのか? それか行きたい店があるとか?」

「う~ん。お店、じゃあないかな」

「うん? なら何しに行くんだよ」

「それはもちろん、だよ」


 いまいち話が読めず首を傾げる俺の手を引き、水嶋は「行ってみればわかるよ」と言って微笑んだ。


 そうして連れられるままにモールに入り、エスカレーターを乗り継いで辿り着いたのは……最上階にある映画館エリアだった。


(ああ……なんとなくそんな気もしてたけど……やっぱりか)


 水嶋が最後のデートの場所にこの横須賀を指定してきた時から、実は薄々ここに連れて来られるんじゃないかなとは思っていた。


 ちらりと横を見ると、案の定だ。水嶋は意味ありげな笑みを浮かべて俺を見上げている。


「……やりたいことっていうのは、一緒に映画館で映画を観ること、か?」

「うん。部屋で鑑賞会をしたことはあったけど、映画館には一度も一緒に行ったことがなかったでしょ?」

「そうかい。にしても、わざわざじゃなくたっていいだろうに……」


 この映画館は何を隠そう、俺と江奈ちゃんが初めてのデートで訪れた映画館だったりする。あの時も、二人でちょっと遠出をしようという話になって、横須賀まで足を運んだんだっけ。


 まぁ、今日と違ってあの時はただ普通に映画を観て帰るだけのシンプルなデートだったけど。いま思えば、なんてエスコート力に欠けた彼氏だったんだろうな、俺は。


 だから、トラウマ……というほどではないにしろ、江奈ちゃんにフラれた俺にとっては苦い思い出の映画館というわけだ。


「嫌がらせのつもりか?」

「そんなんじゃないって。ただ、颯太と江奈ちゃんが初デートした場所で、私も颯太と一緒にデートしてみたかった、ってだけ」

「なんでさ?」

「だって、そうしたらここはもう颯太にとって、『江奈ちゃんとの思い出の場所』ってだけじゃなくなるでしょ?」


 そんなことを言いながら、水嶋はさっさとチケット売り場へと歩いて行ってしまう。鼻歌さえ歌いながらの無邪気な足取りに、俺もそれ以上は過去にひたる気はせてしまった。


(……まぁ、今さら気にしたってしょうがないか)


 センチメンタルな気分を振り払うように一度大きく息を吐き、俺は水嶋の背中を追いかけた。


 ※ ※ ※


「いやぁ~、なかなか面白かったね」


 2時間後。


 シアターでの映画鑑賞を終えた俺たちは、モール内のカフェに移動して感想会と洒落しゃれ込んでいた。


「私、すっかり雪国に旅行しに行きたくなっちゃったよ」

「たしかに、あんな光景をじかに見られたら最高だろうな」


 水嶋が選んだ映画は、アンデルセン童話の中の一作である「雪の女王」を原作とした、いわゆるおとぎ話を実写化したタイプの作品だった。


 登場人物たちの熱の入った演技もさることながら、厳しくも美しい雪国の風景も見事な映像美で描写されていて、これが非常に見ごたえのあるものだった。


 正直、この手のジャンルは俺の好みとは少しズレるし、観る前はあまり期待していなかったのだが。やっぱり食わず嫌いは良くないな、うん。


 おかげで、らしくもなく水嶋との感想会にも花を咲かせてしまった。


「それにストーリーも良かったしさ。私、好きなんだよね。『雪の女王』のお話」

「そういえば、『雪の女王』ってどういう話だったっけ? 大まかには知ってるんだけど、実はちゃんと原作を読んだことないんだよな」

「そうだなぁ。私も全部を知ってるわけじゃないけど……」


 そう言って水嶋が語るあらましは、おおむね俺の記憶にあるものと似たようなものだった。


 とある雪国で暮らしている少女・ゲルダには、カイというとても仲の良い少年がいた。しかしある日、魔法の鏡の破片が心臓に突き刺さったことがきっかけで、カイは別人のように冷たい性格になり、ゲルダにも辛く当たるようになってしまう。


 そんな時、二人の暮らす町に雪の女王がやってきた。雪の女王と出会ったカイはすっかり彼女にせられてしまい、そのまま彼女の城へと連れていかれてしまう。そんなカイのことを連れ戻すために、ゲルダは彼を探す旅へと出かけるのだった。


「で、紆余うよ曲折きょくせつの末に雪の女王の城へとたどり着いたゲルダの涙によって、カイの心臓に刺さっていた鏡の破片が溶けた。そうして優しい心を取り戻したカイとゲルダは、一緒に仲良く故郷へ帰りましたとさ……っていうお話。原作はもっと長いし登場人物も多いんだけど、大まかな流れは同じだね」

「たしかに今回の実写化映画でも、大筋はそんな感じだったな」

「うん。でもさ、そう考えるとこの3人の関係性って、ちょっと今のに似てない?」

「どういうことだ?」


 俺が訊き返すと、水嶋が悪戯っぽい笑みを浮かべてピンと3本の指を立てて見せる。


「だって、このお話って要は『仲良しの子を別の人に奪われちゃったお話』でしょ? だから、颯太と江奈ちゃんをカイとゲルダだとすると、さしずめ私はゲルダ江奈ちゃんからカイ颯太を奪った雪の女王……みたいな?」

「いや、そりゃ逆だろ? 実際には奪われたのは江奈ちゃんの方なんだから、ゲルダのポジションは俺だ」

「う~ん、まぁ事実はそうだけど…………内情は、あながち逆でもなかったり?」

「は? どういうことだ?」

「ううん、なんでもない。まぁ、細かいことはいいじゃんね。ただのちょっとした例え話だよ」


 なんて他愛もない話をしている内に、気付けば外もぼちぼち薄暗くなってきた。


 俺たちの「最後のデート」も、いよいよ終わりが近づいている。


 それが分かっているからだろうか。水嶋はまだ帰りたくないとでも言うように、さっきからほとんど手元のカップに口をつけようとしなかった。


「でも私、原作よりも今日の映画版の方が好きかも。特に……雪の女王の設定がさ」


 カップの紅茶をようやく一口啜って、水嶋が窓の外の港の景色に目を向けた。


「原作では、雪の女王がカイを連れ去った理由って、明確には描かれていないんだよね。タイトルになってる割には出番も少ないし、目的がいまいちよくわからない。だけど今回の映画版では、はっきりとが設定されていたじゃない?」


 水嶋に問われ、俺は頷く。


 雪の女王がカイを連れ去った理由。映画版の終盤で、それは明かされていた。


 原作とは違い、映画版の雪の女王は、実はまだゲルダと出会う前のカイと会ったことがある、という設定にされていた。


 一人ぼっちだった雪の女王は、ある日森の中で幼き頃のカイと出会い、いつしか二人は友達に。


 そして、他の人間とは違い自分のことを怖がったりしないカイに、雪の女王は段々と心惹かれていき……。


「でも……ある日カイの前にはゲルダという別の女の子が現れ、二人はたちまち意気投合。カイはめっきり自分のもとへ来なくなってしまった。だから、もう二度と自分の元から離れないように、雪の女王はカイを自分の城へ連れて行ってしまった……ふふ。なかなか面白いアレンジだよね?」


 そう言って微笑む水嶋の瞳が、けれど少しだけ寂しそうに見えた気がした。


「まぁ、最終的にはカイはゲルダの元に帰ってしまうわけで、それでハッピーエンドなんだけど……でも私、ちょっと雪の女王にも共感しちゃうかも。これもやっぱり……、かな?」


 どこか自虐的にそんなことを呟くと、水嶋はそこでちらりと時計を確認する。


 それから、まだほとんど口をつけていなかった紅茶を一気に飲み干して。


「……名残惜しいけど、そろそろ遅いし帰らないとだね」

「え? お、おう、そうだな」


 さっきまでとは打って変わってテキパキと帰り支度を始める水嶋。


 怪訝に思いながらも、俺も手早く片付けと会計を済ませ、やがてショッピングモールを後にした。


 建物の外に出ると、すでに陽が暮れて薄暗い空にはどんよりとした雲が広がっている。なんだか一雨きそうな雰囲気だ。


「しまったな。俺、傘持ってきてないや」

「駅に行くくらいまでなら大丈夫じゃない?」

「そうだな。まぁあんまりひどくなりそうなら、駅前のコンビニで一本買っておくか」


 曇天の夜空を見上げて眉を顰めつつ、俺は水嶋と一緒に最寄り駅までの道を歩いていく。


 そして……。


「──あれ?」


 最初にに気づいたのは、水嶋の方だった。


 不意に立ち止まった水嶋を不思議に思い、俺は振り返る。


「水嶋? どうした?」

「いや、うん。もしかしたら気のせいかもだけど……」


 歯切れの悪い物言いでそう言って、水嶋は俺たちから見て斜め前方、大きな車道を挟んで反対側の歩道を歩いていた人物を指差した。


「ねぇ、颯太。あそこにいるのって……江奈ちゃんじゃない?」

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