18話 それでも

「ねぇ、颯太。あそこにいるのって……江奈ちゃんじゃない?」

「え……?」


 言われて、水嶋の指差す方に視線を走らせてみれば……本当だ。たしかにあの後ろ姿は江奈ちゃんだ。


 しかし、きっと俺は水嶋に指摘されなければ、彼女が江奈ちゃんだと気付くことはなかったに違いない。


 なぜなら今日の江奈ちゃんはなんというか、すごく格好をしていたからだ。


 いわゆる地雷系ファッション、というやつだろうか。やたらフリルやレースがついた肩出しのピンクブラウスに、大胆に太ももを露出させた黒のミニスカート。膝から下はこれまた黒いレースのソックスに覆われており、足には沢山の装飾が施されたロングブーツを履いている。


 髪型はいつもと同じで特にわえたりはしていないが、頭にはパンクな感じの赤いカチューシャをつけ、そして首元にはお馴染みの首輪という装い。


 正直、「どちら様ですか?」って感じだ。街中ですれ違っても、もしかしたら江奈ちゃんだと気付かないかもしれないレベルである。


「え、江奈ちゃん? な、なんでこんな所に……それにあの服装は一体……?」

「それはわからないけど……でも、どうやら一人ってわけじゃなさそうだね」


 水嶋の言う通り、たしかに江奈ちゃんの隣には連れ合いらしき人物がいた。


 見た目からして大学生くらいの若い男だ。そのうえ、男は茶髪でパーマでピアスで丸メガネでダメージジーンズだった。


 早い話が、江奈ちゃんの隣にいたのは、まるで教科書にでも載っていそうな典型的なパリピ男だったのだ。


「んなっ……!?」

「う~わぁ……」


 俺の驚きの声と、水嶋の苦虫を噛み潰すような呟きが重なる。


「な、なん、なん……なんだよアレは!? どういうことだよ!?」

「どうもこうも、見たまんまなんじゃない? 誰がどう見てもの現場でしょ、あれは」

 

 状況が飲み込み切れず慌てふためく俺に、水嶋が吐き捨てるように呟いた。


「はぁ~あ、そっかぁ……江奈ちゃん、今度はあのお兄さんにしたってわけかぁ」

「は、はい!?」


 じゃあ、何か? 江奈ちゃんは俺のことをフッて水嶋と付き合うことになったのに、実はその裏でさらに別の男とも関係を持っていたとでもいうのか!?


 それで今日は、その新しい男と仲良く横須賀デートしていたってことなのか!?


「まぁ、私だって似たようなことやってるわけだし、言えた義理じゃないけどさ……ちょっとショックかも。まさか、あの清純派な江奈ちゃんがあそこまでだとは思わなかったなぁ」

「こ、恋多き……って、いやいやいや! ありえないって! これはきっと何かの間違いだ!」


 だって、あの江奈ちゃんだぞ? 

 清楚可憐で大和撫子、真面目で優等生なお嬢様なんだぞ?


 恋愛どころか友達付き合いにも奥手で、俺と付き合うまでは同年代の男子とまともに会話したこともないって言ってたくらいなんだぞ?


「なのに、お前のその言い方じゃまるで……まるで、江奈ちゃんが恋人をとっかえひっかえしているとんでもない悪女あくじょみたいじゃんか!」

「そりゃあ、私だってそう思いたくはないけど……でも案外、それがあの子の本性だったりするのかもよ? だってほら、見てごらんよ」


 言われて、俺は促されるままに江奈ちゃんの方へと視線を戻す。


 今日一日のデートの感想でも語り合っているのだろうか。江奈ちゃんは隣を歩くパリピ大学生と何やら親し気に言葉を交わしている。


 しまいには少し戸惑う素振りを見せつつも、なんと男の右腕にギュッと自分の腕を絡ませ始めてしまった。すごく……すごく、仲が良さそうだ。


「あ~あ~、すっかりたらまれちゃってさぁ。あの典型的な地雷系コーデも、あのチャラ男さんの趣味なのかもね」

「そ、そんな……」


 あまりにも受け入れがたい光景に、俺はなんだか眩暈めまいがしてきてしまう。


 たしかに……江奈ちゃんには、俺をフッて水嶋に乗り換えたというはある。


 けれどそれは、きっと俺が江奈ちゃんの心を繋ぎとめておけるだけの男ではなかったからだ。俺が不甲斐なかったから、江奈ちゃんは愛想を尽かしてしまったんだ。


 でも、水嶋は違う。俺なんかとは違ってビジュアルも良ければ頭も良いし、おまけにカリスマJKモデルだ。財力だって、きっとその辺の高校生の比じゃないだろう。恋人としてこれ以上の優良物件もそうそうないと思う。


 だから江奈ちゃんだって、俺の時とは違って水嶋に愛想を尽かすようなことはないって……そう思っていたけど。


「はっ!? も、もしかして江奈ちゃん、俺たちの『関係』に気付いたのか? だからあんな風にグレちゃったんじゃあ……?」

「う~ん、あの子の前でボロを出したことはないと思うけど。土日と放課後は颯太と過ごしていたとはいえ、学校にいる間は常に構ってあげてたから、寂しさのあまりに、ってこともないだろうし」

「じゃ、じゃあ……本当に、あれが江奈ちゃんの本性だった、ってことなのか……?」


 頭の中で、これまでの江奈ちゃんとの思い出がフラッシュバックする。


 好きな映画について楽しそうに語っていた江奈ちゃん。

 三か月記念日のプレゼントを贈ってくれた江奈ちゃん。

 いつか手編みのマフラーを編むと言ってくれた江奈ちゃん。


 そんな、まるで地上に舞い降りた天使みたいだった江奈ちゃんは。


(全部……本当の姿じゃなかった、っていうのか?)


 急に足元の地面が音を立てて壊れていくような感覚に襲われて、俺はとうとう膝から地面に崩れ落ちてしまった。


「え、ちょっ、颯太? 大丈夫?」

「……怖い」

「え?」

「……女の子って、怖い」

「おおぅ……女性恐怖症、一歩手前って感じだねコレは」


 ふと気が付けば、ポツリポツリと雨粒が降ってきた。


 項垂うなだれる先の白いアスファルトの地面が、徐々に黒く塗りつぶされていく。


「降ってきちゃったか……颯太、とりあえず駅まで行こうよ。もうすぐそこだから。ほら、ひとまず私の傘に入って」

「あ、ああ……そう、だな……」


 ポンポンと優しく肩を叩いてくる水嶋の言葉に頷いて、俺はヨロヨロと立ち上がる。


 斜め前方の江奈ちゃんたちに目をやれば、二人はこれまた仲睦まじそうに1本の傘を分け合い、肩を寄せながら駅前広場へと向かっていた。


(ああ、そうか……江奈ちゃんはもう、どうあがいても俺の手の届かない場所に行ってしまったんだなぁ)


 いよいよ泣き出してしまいそうな俺をさすがに見かねたらしい。


 立ち上がった俺の肩を支えて歩きながら、水嶋が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「颯太。その……」

「……大丈夫、わかってる。むしろ、これではっきりして良かったんだよ。俺と付き合っていた頃の江奈ちゃんはもう……どこにもいないんだって、さ」


 もはや涙を流すのも通り越して、俺は乾いた笑いを零しながら、せいぜいそんな強がりを言うことくらいしかできなかった。


「……帰ろう、水嶋」

「うん……ねぇ、颯太。あんまり気を落とさずにね。颯太の落ち込んだ顔を見るのは、私も辛いからさ」

「水嶋……」

「まぁ、颯太から江奈ちゃんを奪った私が言うのもなんだけどね」

「……それもそうだな。お前が言うな、まったく」


 俺を励まそうとしてか、水嶋があえておどけた口調で揶揄からかってくる。


 正直、今はもう何も考えたくないくらい気が滅入めいっているからか、彼女のそんな些細な心遣いすらやけに胸に染みて、俺はいよいよ目頭が熱くなるのを感じた。


 ……しかし。


「……ん? ねぇ、颯太」

「うん?」

「あの二人、なんか様子が変じゃない?」


 そんな水嶋の言葉に、俺はもう目を背けたい気持ちを押し殺して、再び江奈ちゃんたちの方に顔を向ける。


 二人は今、ちょうど駅前広場へと続く歩道橋を歩いているところだった。


 しかし、歩道橋の中間ほどに差し掛かったところで足を止めて、何やら言い合っている様子だ。


 俺たちのいる場所からはその内容までは聞き取れないが、遠目から見た江奈ちゃんの表情は穏やかではない。


 先ほどまでとは打って変わって険悪なムードが漂っているらしいことだけはうかがい知れた。


「な、なんだ……? 急にどうしたんだ、江奈ちゃん?」

「あのお兄さんと喧嘩にでもなったのかな?」

「ええ……そんな急に? さっきまであんなに仲良さそうだったのに……」


 俺たちが首を捻っている間にも、二人の言い争いはさらにエスカレートしていく。


 というよりも、男の方が一方的に江奈ちゃんに何事かをまくし立て、江奈ちゃんの方は怯えた表情でそれをじっと耐えているような雰囲気だ。


 そして。


(おいおい……ダメだろ、は)


 しまいには男が左手で江奈ちゃんの肩を掴み、空いたもう片方の手を大きく振りかぶったところで、俺は頭が真っ白になってしまった。


 もし、あの男が本当に江奈ちゃんの新しい恋人なんだとしたら。


 たとえ二人が喧嘩をしようと、それはあの二人で解決するべき問題だ。いわんや、俺みたいな赤の他人がでしゃばるようなことじゃない。


 だけど──それでも俺は、江奈ちゃんが怖い思いや痛い思いをしようとしているのを黙って見ていられるほどには、潔い人間でもなかった。


(──江奈ちゃんっ!!)


 ついさっきまで彼女から目を背けようとしていたことも忘れて、だから、俺は思わず歩道橋への階段を駆け上がろうと走りだす。


「待って」


 しかし、そんな俺の腕を掴んで踏みとどまらせたのは水嶋だった。


「颯太、何するつもり?」

「何って……お前も見てただろ!? あの野郎、江奈ちゃんに手を上げようと……!」

「だから? 割って入っていって、『江奈ちゃんに手を出すな』とでも言うつもり?」

「ああ」

?」


 言われて、俺はほんの一瞬言葉を詰まらせてしまう。


「触らぬ神に祟りなし、じゃなかったの?」

「それは……」


 自分の中の正義感に盲目的に従って、望まれていないかもしれない人助けをする。


 そんなのは正義の味方でもヒーローでもなんでもなく、ただの自己満足野郎であることを、俺はよく知っている。


 水嶋の言う通り、だからこれは、俺自身がいつも嫌っていた「お節介」ってやつなんだろう。


 だけど……知ったこっちゃない。

 今は俺のそんなポリシーなんてどうでもいい。


 江奈ちゃんがピンチだと言うのなら、俺はいくらでもお節介野郎になってやる。


「……関係ない」


 静止の声を振り切って階段を上ろうとすると、俺の腕を掴む水嶋の手に微かに力が込められる。


 それからゆっくりと息を吐くと、噛んで含めるように俺を窘めた。


「……ねぇ、もういいじゃん。颯太は誰よりも優しい人だから、放っておけないのかもしれないけど。江奈ちゃんはもう、私たちを置いて別の場所に行っちゃったんだよ? ならもう颯太がこれ以上、あの子を気にかけてあげる義理はないんじゃないの?」


 肌にポツポツと冷たいものが当たる感触が広がっていく。


 どうやら雨脚が強まってきたらしい。時折通りかかる車のランプが、降りしきる無数の雨粒を照らし出した。


「それに……颯太があのチャラ男さんから江奈ちゃんを助けてあげたとしても。それであの子が颯太の下に戻ってくるわけじゃない。ここで飛び出しても颯太には何の得もないどころか、余計みじめな思いをするだけかもしれないよ?」


 それはきっと、水嶋なりに俺のことを案じて言ってくれた言葉なんだろう。


 たしかに水嶋の言う通りだ。ここで俺が飛び出して、それこそヒーローよろしく江奈ちゃんのことを救ったとしても。


 彼女にとって所詮しょせん俺は元カレ……いや、もはや委員会が同じだけの「ただの同級生」だろう。


 俺に愛想を尽かしたからこそ水嶋に鞍替えしたのであろう江奈ちゃんが、たかだか一度ピンチに駆けつけた程度で、もう一度俺に振り向いてくれるなんてことはない。


 現実ってやつは、映画の中の世界ほど都合の良いシナリオでは成り立っていないんだ。


 得られるものは何もない。むしろ、ただでさえ惨めな自分にさらに追い打ちをかけるようなことになるだけかもしれない。


「それでも、行くの?」


 限りなく「やめておきなよ」に近い水嶋のその問いかけに。


「……行くよ」


 けれど、俺はきっぱりと言い返した。


「義理とか、損得とか、そういうのじゃない。──俺が助けたいから、助けるんだ」


 瞬間、水嶋の唇が僅かに引き結ばれる。


「…………やっぱりキミは、するんだね」


 次には水嶋が何事かボソリと呟くが、それを気にする余裕は俺にはない。


 引き留める彼女の腕をやんわりと押しのけると、俺は今度こそ階段を駆け上がり、江奈ちゃんたちの前におどり出て言い放った。


「──ちょっと待ったぁ!」

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