第71話 不正

 商店街から電車に乗って一度桜木町駅へとやってきた俺は、そこからさらに電車とモノレールを乗り継いで、市内の沿岸部にある海浜公園へと降り立った。


 時計を見れば、すでに時刻は18時近く。


 いよいよ太陽も西の水平線に沈み始めて、雲一つない快晴の空が、オレンジとピンクと紫の見事なグラデーションを見せている。


 この海浜公園はあの日、「みなとアクアパラダイス」へと向かう途中に、水嶋がモノレールの車窓からやたらワクワクした様子で眺めていた公園だ。


『見て見て颯太。砂浜が見えるよ』

『市内にこんな場所があったんだね。この辺りに来るのは初めてだから知らなかったなぁ』


 モノレールの速度に合わせて流れていく海浜公園の景色を見つめては、そう言って子供みたいにはしゃぎながら写真を撮っていた彼女の姿を思い出す。


 確証があるわけじゃない。単なる俺の思い違いかもしれない。


 でも、あいつはきっと、この公園のどこかに……。


 ──ピィィィィィィィィ……。


 不意に、潮風とさざ波の音に交じって、微かに笛ののような音が流れてくるのが聞こえた。


 海辺の上空で優雅に飛んでいるトンビたちの「ピィィィィヒョロロロロ」という特徴的な鳴き声とも違う。一定の高さの音を響かせる、この笛の音は……。


 俺は広い砂浜へと足を踏み入れ、風に乗って聞こえてくる音を頼りに歩みを進める。


 平日の夕方ということもあってか、砂浜を歩く人影はほとんどない。


 だから。


「ピィィィィィィィィィィィ……」


 探していた人物は、存外にあっさりと見つけることができた。


「……海水浴にはちょっと早いんじゃないのか?」


 靴と靴下を砂浜に置き、学校の制服を着たまま脛のあたりまで海に入っていた少女に、俺は背後から声をかけた。


「えっ……そ、颯太……?」

「おう。探したぞ、水嶋」


 にわかに笛の音を途切れさせた水嶋が、あからさまに驚いたような表情を浮かべて振り返る。


「え~と……どうして、佐久原くんがここにいるのかな?」


 いや、さっき咄嗟に「颯太」って言っちゃってるし。


 俺は肩を竦めつつ、彼女がさりげなく背中に回した左手にちらりと視線を走らせた。


「フォトテレ。お前、さっき更新してただろ」


 水嶋は一瞬「ミスった」というような顔をして、けれどすぐに取り繕うように言った。


「……ちょっと海で散歩したい気分になってさ。最近フォトテレも更新してなかったし、ちょうどいいかなって。ただの気まぐれだよ、気まぐれ」

「コメントも、ハッシュタグも無しにか?」

「たまにはそういう日もあるよ」


 のらりくらりとした態度の水嶋に、俺は一呼吸おいてから単刀直入に切り出した。


「話がある」

「……それって、『勝負』のこと?」


 やれやれ、とでも言いたげに、水嶋が眉をハの字にして首を振る。


「その話なら、さっきもう終わったと思うけど? 勝負は君と江奈ちゃんの勝ち。君たちはこれからも仲良しカップルを続けて、私はもう君たちには関わらない。めでたし、めでたし。それでおしまいでしょ?」

「いや、終わっていない。フェアプレーに反するが発覚したからな」


 俺の言葉に、水嶋は一瞬きょとんとした表情を浮かべると。


「……あはは。不正って? 私はべつにズルなんてしてないでしょ? それに、例え私が何かズルをしていたとしても、今さらそれを指摘するメリットはないんじゃない? だって、勝ったのは佐久原くんたちの方なんだから」


 あくまでもすっとぼける腹づもりらしい。

 水嶋は相変わらずの飄々とした笑みを顔に張り付けてそうのたまった。


「……お前、さっき言ったよな? この1か月のことは嘘だったって。全部、俺の江奈ちゃんへの愛が本物かを確かめるための演技だったって」

「ふふ。自分で言うのもなんだけど、なかなかの演技力だったでしょ? まぁ、さすがにお腹を刺されちゃうことになるとまでは思ってなかったけど」

「俺のことが好きだって言ったのも、全部演技か?」


 注意していなければ気付かないほど、ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせた水嶋は、それでも白々しい笑顔を崩そうとしなかった。


「うん、そうだよ」

「じゃあ、もし今日、俺がお前の告白を受け入れてたら、お前はどうするつもりだったんだ? 好きでもない男と付き合うつもりだったのか?」

「まさか。その時は、どっちみちさっきみたいにネタばらしをしてから、江奈ちゃんに佐久原くんをお返しするつもりだったよ? まぁ、その場合はその後の君たちの関係がギクシャクすることにはなっちゃってたかもだけど」


 おちゃらけた口調でそう言って、水嶋は「もういいでしょ?」とため息をついた。


「嘘だったんだってば、全部。だから佐久原くんも本気にしないでよ。っていうか、こんな所で私と話してていいの? せっかく愛を確かめ合えたんだから、江奈ちゃんのそばにいてあげた方がいいんじゃ──」

「俺をここに送り出してくれたのは、その江奈ちゃんだ」


 ようやく、水嶋がそれまでの薄ら笑いを取り払う。


 何を言っているのかわからない、という風に怪訝な顔をする彼女に向かって、今度は俺が不敵な笑みを向ける番だった。


「そういえば、むかし約束したっけな? P、ってさ」


 俺が隠されていた左手を指差すと、今度こそ水嶋は驚きに目を丸くした。


 しかし、俺のそのセリフによって全てを察したらしい。いよいよ観念したといった諦観の表情を浮かべて、ゆっくりと左手に握りしめていたものを見せてきた。


 果たして、彼女の華奢な手のひらのなかに収まっていたのは、いつか俺がくれてやった、「南極超人ペンギンナイト」のホイッスルだった。


「はぁ~あ……良くないなぁ、江奈ちゃん。『それは言わないで』って言っておいたのに」


 この場にいない江奈ちゃんに向かって、水嶋がたしなめるようにそう言った。


「でも、そっか……じゃあ、全部聞いたんだね。も」

「ああ。『このままじゃフェアじゃないから』って言って、全部話してくれたよ」

「ふふ、なにそれ? ……恋敵に塩を送るようなことするなんてね。『恋人は性格が似る』って、ほんとだったんだ」


 クスクスと笑っておどけて見せて、けれど、それでもまだ水嶋は、俺の顔を真正面から見ようとはしなかった。


「でも、同じだよ。結局」

「……同じ?」

「たしかに……私は小学生の時から颯太のことが好きだったし、勝負に勝ったら遠慮なく颯太をもらうつもりだった。昔のことを隠していたのは、同情とか憐憫とか、そういうので颯太の気を引きたくはなかったから。そもそも、颯太の方はそんなこと覚えていない可能性もあったしね」


 けど、と。

 手のひらの中でホイッスルをコロコロと転がしながら、水嶋は言葉を続ける。


「それに、そんなことをしなくても……正直、勝てると思ってた。江奈ちゃんが築いてきた数か月よりも、私の1か月の方が絶対に勝ってるって。今の私だけでも、十分君に振り向いてもらえるって……そう、思ってた。だけど結局、颯太が選んだのは江奈ちゃんだった。完敗だよ。これまでの江奈ちゃんの頑張りと、颯太の義理堅さを舐めていた、私の完敗」


 いっそ清々しいとでも言わんばかりに、水嶋は空を見上げて大きく伸びをした。


「1か月、私にやれるだけのことは全部やったつもり。それで敗けちゃったんなら、もうしょうがないじゃない? 潔く諦めるよ。いつまでも女々しく引きずるなんて、『Sizu』のスタイルじゃないしね」


 俺に、というよりは、まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、水嶋がパシャパシャと足元の水を跳ねさせた。


 それからくるりと俺に背を向けて、水平線に沈みゆく太陽に目を向ける。


「だから、ほら。親友から恋人を奪い取ろうとしたような、こんなどうしようもなく最低な女の子のことなんて、綺麗さっぱり忘れてさ。君は今まで通りに──」

「江奈ちゃんはな」


 遮るように俺が言うと、水嶋がピタリと足を止めた。


「江奈ちゃんは……『静乃ちゃんを選んであげてほしい』って言ったんだ」

「………え?」

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