第1章 奪われた俺と、奪ったアイツ

1話 彼女、奪われました

 私立帆港ほみなと学園は、市内でも結構な進学校として名高い中高一貫校だ。


「自由な校風」と「世界に羽ばたく人材育成」をモットーにしているとかで、カリキュラムや学校行事なんかも、生徒の自主性を尊重したり国際色豊かだったりするものが多い。


 そんな意識高い系の学校なだけあって、生徒は男子も女子もレベルの高いやつが多い。


 どいつもこいつも育ちの良さが外見にも表れているのか、美男美女率が高いのだ。皆、さぞキラキラなスクールライフを謳歌していることだろう。


 ……まぁ、中には当然、灰色の青春を送っているもいるのだが。


「ありゃまぁ。それはなんというか、ご愁傷様だったね~」


 ひとつ前の席に座る級友、樋口ひぐちが、机に突っ伏す俺に向かって手を合わせる。

 俺が江奈ちゃんにフラれてしまったことを聞いての第一声である。


「でも、僕が見てるぶんには特に険悪そうじゃなかったけどなぁ。なんでフラれちゃったのさ? もしかして……無理やりエッチなことでもして嫌われちゃったとか?」

「は、はぁっ!?」


 思わず素っ頓狂な声をあげて立ち上がってしまう。教室で談笑していたクラスメイトたちの視線が、一斉に俺に集まった。


「あ、あっはは……すみません、はい……」


 引きつった愛想笑いで頭を下げつつ、俺は声を潜めて樋口に言い返す。


「するわけないだろそんなこと!」


 むしろ逆だ。中三の冬休み明けに付き合い始めてからのこの四か月、俺は江奈ちゃんとはとても清いお付き合いをしていた。


 もちろん、俺も年頃の男子高校生だし、に興味が無いわけじゃない。


 だけど、なにしろ相手は旧家のお嬢さんだぞ? 俺みたいなド庶民の小僧が迂闊にも手を出したりした日には、どんな制裁が待っていることか。


 それでなくとも清楚で優等生な彼女のことだ。付き合ったばかりなのにそんな風にベタベタされるのは嫌がるだろうと思って、手を握ったことだってほとんどない。

 彼女が嫌がりそうなことは、極力しないようにしてきたつもりだ。


「じゃあ、なんでフラれたわけ?」

「それは……言いたくない」


 知らぬ間に彼女が浮気をしていて、しかもその相手が女子でした……なんて、そんな情けないこと言えるわけがない。

 

 ああほんと。初めて彼女ができたって、浮かれていた俺がバカみたいだ。


「きっとこのまま二度と彼女もできずに、ひとり寂しく死んでいくんだ、俺は……」

「え~、そうかな? 颯太って昔から根は優しくて良いやつだし、好きになる女の子は結構いると思うけど。ちょっと卑屈すぎるんじゃない? ほら、小四の時に行った遠足でも……」

「あーはいはい、褒めてくれてどーも。ったく、モテる男はお世辞も上手いよな」


 樋口とは小学生の時からの付き合いだが、昔から女の子にモテるのはいつもこいつの方だった。いわゆる可愛い系イケメンってやつ? 特に年上のお姉さん方からの人気は絶大だ。まったく羨ましいことですな。


 樋口の気休めを適当にあしらって席を立ち、俺は用を足すために教室を後にした。


「はぁ~あ。こんなことになるなら、最初から独り身のままで良かったよ……」


 そんな愚痴を零しつつ、手を洗ってトイレから出たところで。


「あ、出てきた」

「……は?」


 外で待ち構えていたその人物に、俺は思わず目を見開いた。


「おはよ、彼氏くん。いや、佐久原颯太くん、だったっけ?」

「お、お前はっ!?」


 俺の前に立ちふさがったのは、まさに昨日、俺の彼女を奪い去った張本人。


 カリスマJKなイケメン美少女、水嶋静乃だった。


「ちょっといいかな? 話したいこと、あるんだけど。……二人きりで」


 ※ ※ ※


「ごめんね、急に呼び出しちゃって」


 俺を人気のない階段の踊り場に連れてくるなり、水嶋はそう言った。


「……いきなりやってきて何の用だよ」


 いわば自分にとっての恋敵である彼女を前にして、俺は自然とぶっきらぼうな口調になる。


 ていうか、他人ひとの彼女を奪っておいて、次の日にその元カレの前にノコノコ姿を見せるとか、どういう神経してるんだこいつは。


「江奈ちゃんのことだよ。もしかしたら二つほど誤解があるかもしれないな、と思って」

「誤解?」

「うん。もしかしたらキミは、私が江奈ちゃんを無理やり奪ったんだと思ってるかもしれないけど、まずそれが誤解なんだよ」


 水嶋は踊り場の壁に寄りかかって腕を組む。


 格好こそブラウスにスカートと普通の女子制服だが、そこはさすがに現役モデル。

 そんなちょっとした仕草でも、悔しいがとても様になっていてカッコよく見えてしまう。


 ……って、なに褒めてんだ俺! 人気モデルだろうが、相手は恋敵だぞ!


「な、何が誤解なんだよ?」

「う~ん、これをキミに言うのはちょっと気が引けるんだけど……江奈ちゃんの気持ちは、もともとキミから離れ気味だったみたいなんだよね」

「えっ?」

「『気が合うと思って付き合ってみたけど、実際はそうでもなかった』、ってさ。だからキミをフッて、江奈ちゃんの方から私の所に来たんだよ」

「んなっ!? ……い、いやっ、嘘だね。俺は信じないぞ」


 だって、つい一昨日まで二人で仲良くやってたんだぞ?


 放課後はほとんど毎日一緒に寄り道していたし、もちろん休みの日には一緒にデートだってした。口喧嘩のひとつもしたことがないくらいだ。


「まぁ、私はあの子から聞いたままを言っただけだし、信じるかどうかはキミの自由だけど」


 俺が必死に否定しても、水嶋は相変わらず淡々と告げてくる。


「たしかに、同じ特進クラスになって、あの子と色々お喋りしたり、色々と相談されるような仲になっていたのは認めるよ。でも、付き合って四か月のキミから、知り合って一か月の私にアッサリ乗り換えちゃうってことは……やっぱり、そういうことなんじゃない?」


 うちの学校は中高一貫。中等部の生徒はエスカレーター式に高等部に進むシステムである。


 それに加えて毎年、別の中学からうちを受験して高等部に入ってくる「外部進学生」という奴らがいる。水嶋もその一人だ。


 だから水嶋の言う通り、こいつと江奈ちゃんは一か月前に知り合ったばかりのはずなんだ。それなのに、俺を捨ててこいつを選んだということは……。


「そ、そんな……江奈ちゃん……」


 いや──よく考えれば、そもそも俺みたいな陰キャオタクと四か月も付き合ってくれたこと自体、奇跡みたいなもんじゃないか?


 この四か月、「楽しい」「気が合う」と思っていたのは俺だけで。

 水嶋の言う通り、江奈ちゃんの方はとっくに冷めていたのかも……。


「いやぁ、そこまで悲しそうな顔をされると、さすがに罪悪感が半端ないよね」

「う、うるさい! お前にだけは言われたくない! っていうか、わざわざそんなことを言うために俺を呼び出したのか? の上にとは良い趣味だな、上等だぜ!」


 ちょっとウルっとしてしまった目元をゴシゴシ拭って、俺は水嶋をキッと睨んだ。

 とっくに勝負は決している感があるが、せめてこれくらいは言い返さなきゃ気が済まない。


「はは。それ、何かの映画のセリフ?」


 けれど、水嶋は俺の負け惜しみにも気を悪くするような素振りを見せず、それどころかなぜかニンマリとした笑みを浮かべながら、ツカツカと俺に近づいて来た。


「まぁまぁ、落ち着いてよ。誤解は二つある、って言ったでしょ?」

「は?」


 フフフ、と不穏な笑みを浮かべながら、水嶋はどんどん俺の顔に自分の顔を近づけてくる。香水でも付けているのか、彼女の体から金木犀のような甘い香りが漂ってきた。


 いきなり至近距離に迫ってきたその美貌に動揺して、俺は思わず後ずさる。


「ちょ、おまっ、何のつもりだ!?」


 俺はとうとう壁際まで追い詰められてしまい、それ以上は後退しようがない。


 そんな俺の両脇の壁に手をついて、つまり両手で壁ドンをするような体勢で、水嶋が俺の真正面に立ち塞がった。


 水嶋は高一の女子にしてはかなりタッパがある。俺の身長とほぼ変わらないということは、少なくとも百七十センチは超えているだろう。こうして相対するとなかなかの迫力だ。


「もしかしたらキミは、私の狙いは江奈ちゃんだと思っていたのかもだけど、それは誤解」

「な、何を言って……?」

「本当に欲しいのは──


 ふと気付けば、水嶋はうっすらと頬を赤く染め、どこか恍惚とした表情で俺を見つめていた。


 普段のクールでボーイッシュなそれとは違い……なんというか、エモノを追い詰めた女豹のような顔とでもいうべきか。あの水嶋静乃がこんな顔をするところなんて、初めて見た。


 というかこいつ、いま俺の事を名前で呼び捨てにしなかったか?


「お、おい、水嶋?」


 ガラリと雰囲気を変えた彼女に困惑していると、水嶋はさらにとんでもないことを口走った。


「ねぇ、颯太。──私と付き合ってよ」

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