14話 演技は得意じゃないんだが

「お~そ~い~」


 息せき切ってランジェリーショップまで戻ってきた俺への、水嶋の第一声である。


「てっきり近くの店にいるかと思ってたのにさ。可愛い彼女を待ちぼうけさせて、颯太は一体どこまで行ってたのかなぁ?」

「わ、悪い……ハァ、ハァ……ちょっと、トイレに寄ってて」


 ショップの紙袋を片手に腕組みをして仁王立ちしていた水嶋に、俺は呼吸を整えながら弁明する。


 ジトッとした目でそれを聞いていた水嶋は、けれど次にはフッと口元を緩めて破顔はがんした。


「ふふ、なんてね。冗談、冗談。待っててくれてありがとう。おかげでゆっくり選べたよ」

「そ、そっか。そいつは良かった」

「ちなみに今買ったのはこんな感じのやつで……」

「それは見せんでいい!」

「あはは、冗談だってば」


 そうしてひとくさり俺を揶揄からかったところで、水嶋はおもむろに腕を組んできた。


「じゃあ、買うものも買ったことだし、あとは色々見て回ろっか」

「お、おう」

「颯太はどこか行きたいお店とか、ある?」

「へ? う~ん、そうだな~……」


 なんて、一応は考える素振りを見せるものの、今の俺はぶっちゃけ買い物どころではなかった。


(とりあえず戻ってきたはいいけど……さて、どうしたもんか……)


 俺と水嶋がデートしている場面を江奈ちゃんに見られるわけにはいかないが、かといって俺が水嶋の知らぬ間に江奈ちゃんと会っていたことがバレるのもまた問題だ。


他の女江奈ちゃんのことなんて考えないで』


 昨日の水族館で水嶋が放ったセリフが脳裏を過る。


 どういう心境の変化かはわからないが、最近の水嶋はなんというか、なんだか妙に江奈ちゃんを警戒しているように感じた。


「勝負」が始まった当初は江奈ちゃんの話題が上がっても軽く受け流す程度だったけど、今のこいつは俺が彼女のことを考えたりするだけでも、あからさまに不機嫌になるんだ。


 それが例えば、ただ嫉妬心や独占欲といった感情からのものであればまだ話はわかるけど……なんとなく、どうもそれだけではないような感じもする。


 いわんや、俺がデート中に江奈ちゃんと「密会」していたなんて知ったら、こいつにまた何をクドクド言われることやら。


 ただ偶然出くわしただけとはいえ、だから、知られないに越したことはないだろう。


(一番いいのは、さっさとここを出て別のプラザなりに行くことなんだろうけど……)


 とはいえ、江奈ちゃんに「すぐ戻るから待ってて」と言ってしまった手前、そのままバックレてしまうというのはあまりにも後味が悪い。


 別の施設に移動してしまえば戻ってくるのは難しいし、今ランドマークタワーを離れるわけにはいかない。


 となると……。


「……そういえば俺、いくつか文房具を切らしててさ。たしか上の階に文具店があったと思うから、ちょっと付き合ってくれないか?」

「文房具? うん、全然いいよ。じゃあ行こっか」


 二つ返事で了承する水嶋に、俺は内心で「ヨシ」と指を鳴らした。


 俺たちが今いるのはプラザ2階の南エリア。江奈ちゃんがいる本屋もこのエリアにある。


 そして、文具店があるのは5階の北エリアだ。階層もエリアも違うし、江奈ちゃんにも本屋から移動しないように言ってある。まず鉢合わせることはないだろう。


 ランドマークタワーの外には出ず、かつ水嶋と江奈ちゃんが遭遇しないように誘導し、その上で両方との買い物をカバーできるように立ち回る。


 かなり綱渡りにはなるが……いまこの状況をうまくやり過ごすには、もうこれしかない!


「文房具屋さんかぁ。どうせ行くんだったら、私も何か買い足しておこうかな。あ、そうだ。せっかくだし、颯太が何か私に選んでプレゼントしてよ」


 エスカレーターで上階へと向かう道すがら、水嶋が出し抜けにそんなことを言う。


「プレゼントって、文具をか?」

「そうそう。さっきは颯太に下着を選んでもらえなかったし、その代わりってことで」


 落差がひどいな、おい。


「文房具なんて、わざわざ人にプレゼントしてもらうようなもんでもないだろ。自分で買えよ、そんくらい」

「え~、いいじゃん。颯太の試験勉強だって見てあげてるんだから、これくらいのお返しがあったってバチはあたらないと思うけどなぁ」

「うっ! そ、それを言われると断りづらいんだが……ちなみに何が欲しいんだ?」

「う~ん……万年筆とか? ペン先が金のやつ」

っけぇぇわ! 自分で買え、そんなもん!」


 そうこうしている内に、やがて俺たちは目的の文具店へとたどり着いた。


(さて、ひとまず水嶋をあの本屋から遠ざけることには成功したが……あとは、どうやって自然にこの場を一時離脱するかだな)


 これ以上待たせると怪しまれるかもしれないし、そろそろ一度江奈ちゃんの所に戻らないといけないだろう。何かうまい言い訳を考えなければ。


 まったく……どっちかと言えば人の演技を撮影する側の人間であって、自分が演技をするのはそこまで得意じゃないんだけどな、俺は。


(……うん、そうだな。これでいこう)


 そうして頭の中で算段を立てたところで、一足先に店内へと足を踏み入れていた水嶋がくるりと俺に向き直る。


「それで、颯太が切らしてる文具って? 教えてくれれば、私も探すの手伝うよ」

「おう、サンキュー。ならまずは……」


 と、そこまで言いかけて、俺はあえて言葉を切る。

 

 次にはあからさまに焦燥した表情を浮かべながら、おもむろにポケットをまさぐり始めて見せた。


「颯太? 急に難しい顔してどうしたの? お腹でも痛いの?」

「いや、じゃなくて……俺、財布置きっぱなしにしちゃった、かも」


 普段から息をするように嘘、ハッタリをかましている水嶋のことだ。こっちが下手な演技をすれば、きっとすぐに看破されてしまうに違いない。


 そう考えた俺は、過去に本当に財布を失くした時の出来事を思い出しながら、精々深刻な表情と声を作って水嶋に向き直った。


 そう。あれは忘れもしない、中学二年の冬のことだ。家族旅行で訪れた群馬県は草津の温泉街を散策していたら、いつの間にか尻ポケットに入れていた長財布が消えていたのである。


 当時は雪も降っていたし、道に落とした財布なんてすぐさま埋もれてしまってまず見つからなかっただろう。いや、あの時はさすがに「終わった」と思ったね。


 まぁ、幸いにも心優しい人が俺の財布を拾って交番に届けてくれていたらしく、なんとか事なきを得たけれども。以来、俺は絶対に長財布は使わないと心に決めたのだ。


 閑話休題。


「え、財布を? ど、どこに?」


 実体験をもとにした俺の慌てっぷりは、どうやらそれなりのリアリティを演出できたらしい。水嶋もにわかに動揺する素振りを見せていた。


「多分、さっき行った2階のトイレだ」

「あちゃ~……なら、早く取りに戻らないと」

「ああ。ごめん、俺ちょっと行ってくる!」

「じゃあ私も一緒に……」

「いや、大丈夫! すぐ戻るから、水嶋はここで待っててくれ!」


 後に続こうとした水嶋にそう言い含めて、俺はそそくさと文具店を後にする。


 一度5階の北エリアから南エリアへと移動し、エスカレーターを一気に下って2階へ。


 フロアの雑踏を速足で駆け抜けて、ほどなく先ほどまでいた書店まで戻ってきた。


「あ……お帰りなさい、佐久原くん」


 店の中に入ると、律儀というか何というか、江奈ちゃんはさっきまで俺と一緒に眺めていた本棚の前から微動だにしていなかった。


 いや、たしかに「ここから動かないで」とは言ったけれども。


 まさか本当にその言葉通り待っているとは……首元にチラリと覗く例の首輪も相まって、その姿はさながら主人の帰りを待っていた忠犬の如し、だ。


 さしずめ、「ハチ公」ならぬ「エナ公」といったところか……違うか。違うね、うん。


「た、ただいま里森さん。ごめん、待たせちゃったね」

「いえ、私は大丈夫です。でも随分と時間がかかっていたようですけれど……」

「それが、2階の男子トイレがどこもかしこも混んでて。最寄りのトイレなんてもう長蛇の列でさ。あちこち走り回ってたんだよ。いやぁ、参った参った!」


 身振り手振りを交えての俺の適当な口八丁を、それでも江奈ちゃんは「そうでしたか」と言って信じてくれたようだった。


 う~ん、素直。俺が言うのもなんだが、ちょっと心配になるレベルだ。


 将来悪い男に引っかかったりしないといいけど……いや、もう悪いには引っかかってるか……。


「では、佐久原くんも戻ってきたことですし。漫画選びを再開しましょうか」

「あ、ああうん。そうだね……」


 と、頷いてみたはいいものの。


 結局すぐにまたここを離れて、水嶋の下に戻らないといけないんだよなぁ。


 さて、今度はどんな理由で抜け出したものか。


(結局、今日もハードな一日になりそうだな……)

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