36話 幸せのゴンドラ

 学校の最寄り駅から電車に乗った俺たちは、やがて水嶋の住むマンションもある、みなとみらい地区へとやってきていた。


 今日の目的地は、港湾の商業エリアにある遊園地「よこはまコスモワールド」だ。


「お~、近くで見るとやっぱり大きいね」

「そりゃあまぁ、ここら一帯のシンボルみたいなもんだからな」


 実に全長百十メートル以上の巨大観覧車を見上げ、水嶋が感嘆の声を上げる。


 港湾エリアの運河をまたぐようにして広がっている立体的なこの遊園地は、みなとみらい地区を代表する観光スポットだ。


 ズバリ、ここが今日の「恩返しデート」の舞台である。


「私、実はプライベートで来たのは初めてなんだよね。撮影では何回か来たんだけどさ」

「マジで? この辺に住んでる子供なら絶対みんな一回は行ってると思ってたよ」

「まぁ、ウチは昔から親が忙しい家だったからねぇ。いつも家の窓から見下ろすだけだったよ」


 水嶋は少し寂しそうにそう言って、けれどすぐに満面の笑みを浮かべると。


「だから今日はすっごく楽しみ。アトラクション全制覇する勢いで遊びつくそうね、颯太?」

「へいへい。そういうことなら、俺も全面的にお前に付き合うよ」

「むっ。『お前』じゃないでしょ? ちゃんと名前で呼んで」

「うっ……全面的に、付き合うよ……静乃に」

「んふふ~♪ よろしい」


 不満げに頬を膨らませた水嶋は、俺が名前で呼び捨てるなり心底嬉しそうに微笑んだ。


 面倒くさい彼女か、こいつは。


 ……いや、面倒くさい彼女だったわ、こいつは。


「んで、どうする? 平日だから空いてるだろうし、どこから回っても良さそうだけども」

「う~ん、そうだな~」


 水嶋が悩まし気に顎に手をやったところで、すぐ近くにあったアトラクションから「キャァァ!」という叫び声が聞こえてきた。


 続いて響き渡る、バシャァン、という水しぶきの音。あれはたしか、この遊園地の目玉の一つ、「ダイブコースター」だ。


 立体的なコースを縦横無尽に駆け巡り、最後にはレール下のプールのど真ん中に空いたトンネルに突っ込む、というご機嫌なジェットコースターである。


「颯太、あれ。あれ乗ろうよ」

「了解。ちなみにあれ、最後に水ぶっかけられるから気をつけろよ」

「そうなの? いまシャツ一枚だし、濡れたら透けちゃうかな?」

「カバンとかでガードすれば多少は平気だろ」

「うん、そうする。あ、ちなみに今日は私、水色だからね」

「わざわざ申告せんでいい、そんなこと!」

「あうっ」


 俺が軽く頭にチョップをかましてやると、水嶋は「ひどいよ颯太」と言いながらも目を細めて笑っていた。


 なんで小突かれて嬉しそうにしてるんだ、こいつは。ほんとワケわからん。


「ねぇ颯太、次はあれに乗ってみたいな」

「あれって何の建物なのかな? 颯太、入ってみようよ」

「今のアトラクション最高だったなぁ。もう一回乗ろうよ、颯太」


 その後も、俺は水嶋の気の向くままに遊園地を巡っていった。


 ジェットコースターやフリーフォールといった絶叫系に、お化け屋敷などのホラー系。


 何をするんでも水嶋が子供みたいにはしゃぐものだから、俺は彼氏と言うより親戚の子供の面倒を見る叔父さんのような気分だった。


 俺が言うのもなんだけど、それでいいのか水嶋? まぁ、楽しんでるなら何よりだけどさ。


 ※ ※ ※


 そうして、いよいよ太陽も西の空に沈みはじめ、そろそろ遊び疲れたし帰ろうかという頃。


「ねぇ颯太。最後に行きたいところ、あるんだけど」

「なんとなく予想はつくが……まぁいい。言ってみろ」

「ふふ、きっと予想通りだと思うよ」


 そう言って水嶋が見上げた先にあったのは、ここに来て最初に俺たちを出迎えてくれた、あの超巨大観覧車だった。


 この遊園地の一番の目玉でありながら、これまで水嶋はあえてあれに乗ろうとは言い出さなかったので、なんとなくそんな気はしていた。


 まぁ、遊園地デートの締めといったらやっぱりアレ、みたいなところはあるよな。


 夕暮れ時の観覧車に二人きり、なんていかにも恋人って感じのシチュエーションだし、ぶっちゃけ気恥ずかしい。


 しかし、今日の俺は全力で水嶋の「彼氏」として振る舞うことを決めている。


 こいつがそれを望むというなら、付き合ってやるのが俺なりの「恩返し」だ。


「いいよ。乗ろうぜ、観覧車」

「……! へへ、やった」


 今日一番に嬉しそうに微笑む水嶋と一緒に、俺たちは観覧車の麓へと向かう。


 乗り場の列には俺たちの他にもカップルらしき男女が何組か並んでおり、幸せそうな顔で笑い合っていた。


 何も知らない人たちからしたら、今の俺たちもきっとあんな風に見えているのかもしれない。


「──お待たせいたしました~。次の組の方、どうぞ~」


 やがて俺たちの番がやってきて、スタッフのお姉さんの案内に従いゴンドラへと乗り込む。


「見て、颯太。このゴンドラ、天井も床も透けてるよ」


 水嶋の言う通り、俺たちの乗ったゴンドラは他のものとは違い全面がシースルーになっていた。


 全部で六十くらいあるゴンドラの中で、たしか四つしかない特別仕様のやつだ。


「そういえば聞いたことあるよ。コスモワールドの観覧車には、カップルで乗ると一生の愛が約束される『幸せのゴンドラ』があるってジンクス。もしかしてこれがそうなのかな?」

「さあね。俺もその噂は聞いたことあるけど、所詮はジンクスだろ。破局寸前の倦怠期カップルを四組集めて全員乗せて、戻って来た時に皆ラブラブになってたら信じてもいいけどな」

「なにその実験? 颯太ってば、またそんな夢のないことを言うんだからな~」


 呆れたように苦笑する水嶋を横目に、俺は徐々に離れていく眼下の港町を俯瞰ふかんした。


(幸せのゴンドラ、ねぇ……)


 もし。


 もし俺が、江奈ちゃんとこのゴンドラに乗ることができていたら。


 あるいは俺と江奈ちゃんは、今でも仲睦なかむつまじい恋人同士でいられたんだろうか。


 暮れなずむみなとみらいの夕焼け空に当てられてか、俺はありもしない「もしも」に思いをせてしまう。


 本当に一生の愛が約束されるっていうなら、江奈ちゃんが水嶋になびくことはなかったのか? 


 ……いや、関係ないか。江奈ちゃんが俺に愛想を尽かしたというなら、遅かれ早かれどの道フラれていただろう。


 他の誰かに鞍替えされる、なんて最悪の終わり方ではなかったとしても、いずれ江奈ちゃんの心は離れていたに違いない。


 それは、ジンクス如きではどうしようもない、人の感情の問題だ。


「……颯太、今なに考えてるの?」


 じっと景色を眺めたまま黙り込む俺に、水嶋が上目遣いで聞いてくる。


「べつに。つまらないことだよ」

「本当に嘘が下手だよね、颯太は。どうせ江奈ちゃんのことでしょ?」


 対面に座る水嶋が、背もたれに体を預けて腕と足を組む。


 そうしてしばらく口を噤んでから、やがて水嶋は意を決したように呟いた。


「……颯太はさ。まだ江奈ちゃんのこと、忘れられない?」

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