最終章 ジンクスなんて信じない

35話 負け犬の恩返し

 いっそのこと、この世の終わりみたいな豪雨でも降ってくれたらいい。


 そんな淡い期待を胸に迎えた月曜日。

 新入生歓迎スポーツ大会の当日である。


 幸か不幸か、その日の横浜市には清々しいくらい快晴の空が広がっていた。


「いやぁ、晴れてよかったよね。今日は絶好の運動日和だ」


 高等部の開会式もつつがなく行われ、既に様々なクラスが競技に打ち込んでいる校庭の隅。


 俺の隣で晴れ晴れとした顔を浮かべていた樋口が、天を見上げつつそう呟いた。


「……ソウダナ。ハレテヨカッタナ」

「はいはい、心にもないこと言わなくていいから。ほんと、颯太ってこの手のイベントには消極的だよねぇ。小学生の時なんかは、誰よりも張り切っていたくせにさ?」

「当たり前だ。クラス対抗のスポーツ大会などという『陽』のイベントに、何が楽しくて俺みたいな『陰』の人間が参加せにゃならんのだ。やりたい奴らだけで勝手にやればいいんだ」


 木陰でぶつくさ文句を言う俺に、樋口はもはや肩を竦めるばかりだった。


 帆港学園で数多く行われる行事の中でも、春のスポーツ大会と冬のマラソン大会は、俺の苦手な体育会系イベントの二大巨頭である。


 れっきとした学校行事じゃなかったらとうにサボっているところだ。ぜひ滅びて欲しい文化だね、まったく。


「颯太、別に運動神経悪くないじゃん。空手習ってたくらいだし。何がそんなに嫌なのさ?」

「わかっていないな、樋口よ。この世では『できる』と『やりたい』が一致することの方が珍しいのだ。運動神経が悪くなかろうが、俺は外で走り回るより家で映画を観ていたい」

「ま~た変な屁理屈を……っと、ほら颯太。次は僕たちのチームだよ」

「よしきた。右サイドベンチは俺に任せろ」

「颯太はミッドフィールダーでしょ! 馬鹿言ってないで行くよ!」

「お、おいこら、放せ!」


 しかし悲しいかな、俺がいくら文句を言ったところで、大会はお構いなく進行する。


 男子の最初の種目は、グラウンドの半分を使ったクラス対抗のサッカーの試合である。


「四組男子Bチーム、絶対勝つぞー!」

「おー!」


 キャプテンを務めるクラスメイトの掛け声に、チーム一同(俺を除く)が雄叫びを上げた。


 どうも苦手だなぁ、こういうノリは。


 こんなことなら、昨日の夜にてるてる坊主の逆さ吊りでもやっておけばよかった……。


 ※ ※ ※


 サッカーから始まり、その後もバスケや綱引きといった様々な競技に駆り出された俺は、いよいよ閉会式を迎える頃には満身創痍もいいところだった。


 たしかに俺は、運動神経は悪くない方かもしれない。だが、それとスタミナや体力といったパラメータはまた別の話だ。


 日頃の運動不足がたたり、俺のHPゲージはもうカツカツである。


「これ、明日になったら絶対筋肉痛になるやつだ……」


 ジャージから制服へと着替えた俺は、さっさと教室を後にする。


 スポーツ大会の高校の部は午前中で終了なので、この後はどう過ごそうが生徒の自由だ。


 我らが四組ではクラスの皆で打ち上げに行こうという話が出ていたが、もちろん俺は不参加だ。


 そういう席は苦手だし、そもそも俺の所までお誘いの声が来た記憶もない。


 樋口はまた呆れた顔をするだろうけど、だから、欠席したところで何も問題はないだろう。


 それに今日の午後は……あいつとの予定もあるからな。


「あっ。お疲れ~、颯太」

「おう」


 学校の最寄り駅近く。いつもの近道の途中で、水嶋が俺を待ち構えていた。


 とはいえ、今日はあいつの不意打ちというわけじゃない。俺の方からここを待ち合わせ場所に指定したのだ。


「うわ~。颯太、なんかヘトヘトって感じだね。スポーツ大会、しんどかった?」

「『帰りたい』以外の感情が死んでた」

「あはは、何それ? 私は外進生だから初参加だったけど、結構楽しかったよ?」

「……だろうな」


 今日の大会は、男子がグラウンドで競技をしている間、女子は体育館で競技をしていた。


 あれだけ気合を入れて臨んだサッカーの第一試合だが、我らが四組Bチームはあえなく初戦敗退。


 そのため、俺は樋口に誘われる形で、余った時間で女子の競技を見学しに行ったのだが。


「そりゃ、あんだけ連戦連勝だったら楽しいでしょうよ」

「お~。颯太、私の試合見に来てくれてたんだ?」


 体育館で行われていた女子のバレーボールの試合で、水嶋擁する特進クラスAチームは破竹の勢いで勝ち続けていた。


 対戦相手には二年生のクラスやバレー部員がいるチームもあったのだが、素人であるはずの水嶋は持ち前の身体能力の高さを遺憾なく発揮。それらのことごとくを打ち倒していったのである。


「最終的には決勝で負けちゃったけどね。いやぁ、どうせなら優勝したかったなぁ」

「いやいや。決勝の相手、過半数がバレー部で、そのうえエースの先輩もいたチームだろ? そんなの相手にいい勝負してただけで十分とんでもねぇよ」


 ちなみに、本番では水嶋と別のチームになった江奈ちゃんは、どうやら俺と同じく初戦で敗退したらしい。


 俺たちが体育館に来た時には、すでに水嶋のチームの応援に精を出していた。


 水嶋の八面六臂はちめんろっぴの活躍もまぁ見物ではあったが。

 俺としてはジャージ姿になぜかチアのポンポンを持たされて「がんばれ、がんばれ」と健気に応援する江奈ちゃんを見られたのが眼福だった。


 なんだあれ可愛すぎだろ。

 あんな応援されたらいくらでも頑張れちゃうだろ、マジで。


 サッカーだろうがバスケだろうが、全員まとめてなぎ倒してやんよ。俺やってやんよ。


 俺が思い出しニヤつきをしていると、水嶋が「でも」と言って顔を覗き込んでくる。


「スポーツ大会も楽しかったけどさ、むしろこれからでしょ。今日のメインは」

「……ああ、そうだな」

「ふふ、楽しみだなぁ。ほらほら颯太、早く行こうよ」

「わ、わかったから引っ張るなって。どこにも逃げやしねぇよ……今日は、な」


 そう。今日の俺は、水嶋との「勝負」、いや、デートに全力で臨む所存だった。


 一体どういう風の吹き回しだ、と思われるかもしれないが、別に本気で水嶋とのデートを楽しもうと思ってのことではない。


 ただ、いつもは渋々付き合ったり、恋人として最低限のことしかしなかったり、と消極的であったところを、今日は全面的に水嶋の「彼氏」として振る舞うことに決めたのだ。



 なぜなら俺はつい先日、こいつにドでかい「借り」を作っていたからだ。


 昨日の夜、もし水嶋が庇ってくれなければ、俺はあのストーカー男に大けがを負わされていたかもしれない。


 少なくとも、飯の一つも奢るくらいでは返し切れないほど大きな借りだ。


 たとえ相手が宿敵であっても、その借りを返さないまま「勝負」を続けるのは、あまりにもアンフェアだと思った。


 だから今日は、「勝負」のためのデートではない。水嶋に借りを返すための、いわば恩返しのためのデートなのだ。


「そういえば……ね、颯太。まだ私、んだけど?」

「うっ? な、ナンノコトデシタッケ?」

「あっ。こら、とぼけちゃダメだよ。『今日一日は本気で彼氏を遂行する』って、颯太から言い出したことでしょ? だから、ほらほら」

「ま、待て、まだ心の準備が……現地に着いてからじゃダメか?」

「ダメ。いま、ここで言って」

「くっ……わ、わかったよ! 言うよ! 言えばいいんだろ!」


 にわかに自分の顔が熱くなっていくのを感じながら、俺は水嶋に向き直る。


 眼前には、キラキラと期待に満ちた目で俺を見つめる水嶋。


 こうして改めて真正面から見ると、やっぱりこいつ、マジで顔がいいよな。


「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」


 俺はせめてもの精神統一に深呼吸をすると、やがて腹をくくって呟いた。


「きょ……今日は、楽しもうな──


 ぐぁぁあああああああああ! 

 は、恥ずかしすぎるぅぅぅぅぅっ!


 たしかに、今日は恩返しのために全面的に彼氏として過ごすとは言ったけども!


 それでもやっぱり「名前呼び」はキツイですぜ水嶋さん!


「う、うん。いっぱい思い出、作ろうね……颯太?」


 おいやめろ! 

 お前はお前でなに珍しくガチっぽい照れ顔してるんだ!


 自分で呼ばせといて恥ずかしがるな! 余計恥ずかしくなるだろうが!


「え、えっと……じゃあ行こうか?」

「お、おう……」


 傍から見たら、今の俺たちは一体どう見えているんだろうか。


 まだ付き合ったばかりでお互いの名前も呼び慣れていない初々しいカップル、とかに見られていたらかなり嫌だ。


 二人して顔を赤くしながら、俺たちはいそいそと駅へと歩を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る