幕間 里森江奈の追憶

10話 里森江奈の追憶①

 はっきり言って、私はつまらない人間だと思います。


 もともとあまり社交的ではないし、ユーモアに富んだ性格でもなかった、ということもあるけれど。それ以上に、家庭の事情によるところも大きかったでしょう。


 私の母は、さかのぼれば大正の時代よりこの港町で貿易業を営んできた、由緒ある旧家、里森家のお嬢様でした。


 そして父は、男児に恵まれなかった私の祖父母に「将来的に当主を任せるに値する者」として選ばれ、里森家に婿むこ養子として迎え入れられたと聞いています。


 当主にこそならないものの、里森家の娘として相応しい知識と教養を身に付けるべく、幼少期から厳しい英才教育を受けてきた母。

 国内トップクラスの難関大学を卒業し、子供でも名前を聞いたことがあるような一流企業に勤めていた父。


 早い話が、私の両親はどちらもいわゆる「エリート」と呼ばれる部類の人間でした。


 もちろん、私はそんな両親を尊敬しているし、見習うべきところはたくさんあると思っています。


 両親もそんな私のことを大事に思ってくれて、小さい頃から勉強やスポーツ、習い事など色々なことを教え、経験させてくれました。


 ただ……。


「いい、江奈? あなたも里森家の娘なら、それなりの『格』というものが必要よ。勉強も習い事も、全て将来のあなたのためになるからやらせているの。今は大変かもしれないけれど、だから、それ以外のことにかまけていてはダメよ」

「そうだぞ、江奈。その為には、小学生の内から受験や就職に向けて準備をしておくに越したことはない。当然、放課後に友達と一緒に遊び回るなんて言語道断だ。今はとにかく中学受験、ひいてはその先のことにだけ集中していればいい」


 両親がエリートな家庭では、きっと珍しくもない話でしょう。


 父も母も、私が小学校高学年にもなれば、口を酸っぱくして「勉強しなさい」「遊んでいる暇はない」と言い含めてきました。


 幸い、私には歳の離れた兄と姉がいるので、両親も「跡継ぎ」やら「婿探し」やらといったを末っ子の私にまで押し付けてくることは、ほとんどありませんでしたけれど。


 それでも、「里森の名に恥じない人間になれ」という両親の言いつけを守るために、私が自由に使える時間もほとんどありませんでした。


 おかげで私は、同級生たちが放課後のたまり場にしていたという公園の場所も知らないし、流行りの歌や芸能人の話題にもまるでついていけないし、遊びに誘われてもいつも「塾があるから」「習い事があるから」と断るしかない。


 そんな「つまらない女の子」になっていました。


 唯一、そんな私と仲良くしてくれたクラスメイトの女の子との昼休みのお喋りだけが、学校でのささやかな楽しみでした。


 しかし、結局はその子とも一度もどこかへ遊びに行くことなどなく……私は退屈な小学生時代を終えることとなったのです。


※ ※ ※ ※


 小学校を卒業した私は、市内でもそれなりに偏差値が高く、国際教育にも力を入れているという中高一貫校、私立帆港ほみなと学園に入学しました。


 両親は、本当は私に聖エルサ女学院という市内随一のエリート女学院に入学してほしいようでした。


 しかし、生憎あいにくと私は女学院の受験当日に熱を出して寝込んでしまい、試験を欠席。第二志望にえていた帆港学園に通うことになったのです。


 ただ、私はむしろその結果に満足していました。勉強はもちろん、礼儀作法にまで厳しいと噂のお嬢様学校よりも、よほど穏やかで気楽な学校生活が送れるだろうと思ったからです。


「女学院に入学できなかったことは残念だが……まぁ、『特別進学クラス』に入れただけでも良しとするべきかな」

「ワンランク下の学校に入学したんだから、成績は常に学年トップを維持するくらいじゃないとね」


 中学生になってもなかなか手厳しいことを言う両親でしたが、これまで変に反抗したりしたことのなかった私を信用してか、小学校時代よりは私を締め付けることはなくなっていました。


 それでも、相変わらず厳しい門限を決められたり、休日に出かける時は誰とどこに行くのか細かく聞かれたりと、一般的な女子中学生と比べると窮屈な生活ではあったと思います。


 一度、両親に内緒でクラスメイトの数人とカラオケに行ったことが発覚した時は、しばらく休日の外出を禁止されてしまったこともありました。鬼のような形相ぎょうそうで私を叱った両親の顔は、今でも時々夢に見るくらいです。


「里森さん。今度の土曜日、桜木町のモールで一緒にお買い物しない?」

「……ごめんなさい。私、その日は用事がありますから」


 それ以来、私は休日も一人で過ごすことが多くなり。


 必然的に一人でも楽しめる読書や映画鑑賞が数少ない趣味になっていきました。


 中学生になっても、やっぱり私は「つまらない女の子」のままでした。


 ※ ※ ※


 月日は流れて、中学3年生の春の事。


「里森さん。次の休みの日って、青船あおふね中の文化祭があるでしょ? よかったら私たちと一緒に行かない?」


 私は数人のクラスメイトに、別の中学の文化祭を見に行こうと誘われました。


 普段であればいつものように「用事がある」と言って断っていたところでしたが、なんでも自主制作映画を作ったクラスもあるという話を聞いて、私は少しだけ興味を引かれました。


「お父さん、お母さん。今度のお休みの日、クラスの子たちと青船中学の文化祭に行こうと思ってるんだけど……行ってもいい?」


 その晩の夕食の席で、だから私は恐る恐る両親にお願いしてみました。

 

 他校の文化祭を見に行くなんて初めてのことだったし、許してもらえるかは全くの未知数です。そんなことをしている暇があったら勉強しろ、と叱られることも覚悟していました。


「文化祭? そう、行って来たらいいんじゃない?」

「青船中というと、帆港と偏差値も同じくらいだしな。何かと勉強になることもあるかもしれないし、きちんと門限を守るなら構わないぞ」


 けれど、私の心配とは裏腹に、意外にも両親からはあっさりとお許しが出ました。


 びっくりです。びっくり仰天です。そして、それ以上に嬉しかったことを覚えています。


 にもかくにも滅多にない楽しいイベントを前に、私は一日いちじつ千秋せんしゅうの思いで文化祭までの日々を過ごしていました。


 そうして、いよいよ迎えた当日。私はクラスメイト数人と一緒に青船中学の校内へと足を踏み入れました。


「いらっしゃいませぇ! 2年1組のアジアン喫茶はこちらで~す!」

「13時半から体育館でブレイクダンスやります! 来てね!」

「中庭でクイズ大会やってます! 飛び入り参加も大歓迎ですよ~!」


 あちこちで色々な出し物や模擬店が軒を連ねていて、校内はまさにお祭りムード一色。初めての他校の文化祭ということも相まって、私も最初のうちはいつになくはしゃいでいました。


 しかし──こうした賑やかなもよおしには、やはり大なり小なり場を荒らす人間も集まってくるようでした。


「お、可愛い子はっけ~ん! ねぇねぇ、キミたちどこ中?」

「俺らここの文化祭来るの初めてなんだけどさ~。一緒に回らない?」


 おそらく、近所の高校に通う学生だったと思います。やけに馴れ馴れしく話しかけてきたその男子グループは、明らかに文化祭よりもナンパが目的の様子でした。


「なんだったら、模擬店の食い物とか俺らで奢っちゃうよ?」

「いや、私たちは……」

「ちょいちょ~い、そんなに怖がらないでよ。別に取って食おうってわけじゃないんだしさ」

「う、う~ん……」


 相手は男子で、しかも年上の高校生。下手に逆らえばどんな報復をされるかわからないという恐怖もあって、結局、私たちは渋々彼らと行動を共にするしかありませんでした。


 それからはもう、とても文化祭を楽しむどころではありません。大して興味もないチアリーディングのショーやミスコンテストなど、彼らの行きたいところばかりに連れ回されました。


 おまけに彼らは、道中で執拗しつように個人情報や連絡先を聞き出そうとしてくるし、少しでも隙を見せれば髪や体を触ろうとしてくるのです。


 このままでは、せっかくの楽しい文化祭の思い出が台無しになってしまう。

 せっかく、友達と一緒の休日なのに。

 せっかく、退屈な日々から解放されているのに。


 せっかく──「つまらない女の子」じゃ、なくなっていたのに。


(邪魔、しないで……っ)


 そう思った時にはもう、私は廊下の真ん中で慣れない大声を張り上げていました。


「……いい加減にしてください!」


 瞬間、クラスメイトも、男子高校生たちも、周りにいた通行人たちも、その場にいた全員の視線が私に集まりました。


「私、たちは……あなたたちのお友達でも、連れ合いでもありません! いい加減、私たちを解放してください!」

「里森、さん……?」

「な、なんだよ急に? せっかく俺たちが楽しませてやろうと……」

「お~い! これは何の騒ぎだ?」


 ほどなくして、校内を巡回していたらしい教員の方がやってきて、私たちは一通りの事情聴取をされることになりました。


 男子高校生たちは「無理やり連れ回してたわけじゃない」「同意の上だった」などと最後まで言い張っていたけれど、結局は教員の方たちに連れられて学校の外へと追い払われたようでした。


「こ、怖かった~」

「私、緊張して全然喋れなかった……」

「でも里森さんのお陰で助かったよ~。里森さん、普段は大人しいイメージだったけど、あんな大声出すこともあるんだねぇ」

「そ、そんな……必死だっただけで……」


 どうにか難を逃れたことで、クラスメイトたちもようやく安堵あんどの表情を浮かべていました。


 けれど、やっぱりみんな心のどこかにモヤモヤが残っていて。


 結局はその後の文化祭見学も、どこか上の空になってしまいました。

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