第5章 ウェディングドレスの王子様

第32話 激レアバイト体験

 翌日の日曜日。

 俺は家の最寄り駅からバスで30~40分ほどの場所にある、小高い丘の上の閑静な住宅街に足を運んでいた。


 住宅街と言っても、立ち並んでいるのはどれも豪邸といって差し支えない一軒家や高級そうなマンションばかりだ。いわゆる一等地、ってやつだろう。


 その上、街中にはガス灯風の街灯や外国人墓地、教会やレンガ造りの洋館なんかもあちこちにある。この辺りは明治時代には外国人居留地だったとかで、その名残らしい。道理で異国情緒あふれる街並みなわけだ。


 で、なんでそんな高級住宅街にやって来たのかと言うと、それはもちろん、水嶋から無理やり持ち掛けられたの現場がここにあるからだ。


「お、もう人が集まってる。あそこかな?」


 バス停から数分ほど歩いたところで、ファンタジー系RPGにでも登場しそうな、オシャレで神聖な雰囲気の石造りの聖堂が見えてきた。


 聖堂の横には広い庭があり、そこにはすでに様々な撮影機材やら衣装の入った箱やらを運ぶ十数人のスタッフが集まっている。


「あの~、こんにちわ~……」


 そこはかとないアウェイ感に尻込みしながら、俺はそろそろと聖堂の敷地内に足を踏み入れる。


「ん? ああ、ちょっと。困りますよ、勝手に入ってきちゃ」


 と、ちょうど近くを通りかかった若い女性スタッフが、ノコノコと入ってきた俺を見咎めて注意しにきた。


「関係者以外は立ち入り禁止です。すみませんがお引き取りを」

「いや、一応関係者と言えば関係者なんですが……」

「え? そうなの? ……う~ん、でもキミ、スタッフ証も持ってないみたいだし」

「えっと、俺、今日臨時バイトで来た佐久原と言います」


 軽く自己紹介をして頭を下げると、女性スタッフはしばらくの間考え込んで、やがて「ああ!」と手を叩いた。


「そういえば、今日一人バイトの男の子が来るって、さっき吉田さんから聞いてたっけ。じゃあ、あなたがそうなのね? えっと、たしか……そうそう、佐久原颯太くん、だっけ?」

「はい。俺がそうです」

「了解。そういうことなら、今日はよろしくね。撮影開始までまだ時間はあるから、とりあえずスタッフ用のシャツとズボンに着替えて来てくれる? 仕事の詳しい内容はそれから説明するから」

「は、はい。よろしくお願いします」


 そう。俺がここに来たのは、水嶋がモデルの仕事をする現場で、今日一日俺も臨時スタッフとして働くことになったからだ。


 体調不良の同僚のために代役のモデルを務めるにあたって、水嶋がマネージャーさんに提示した「条件」というのが、これだ。仕事をする代わりに、同級生を1人臨時バイトとして雇ってあげて欲しいと、奴はそう言ったらしいのだ。


 人気モデルとはいえ、一介の女子高生が所属事務所に対してそんなワガママを言っても無視されそうなものだが、どっこい、なぜかそれがまかり通ってしまい。


 結果、俺は期せずして「女性向けファッション誌の撮影現場」という激レアすぎるバイトを体験することになったのである。


『これで仕事中でも一緒にいられるね』


 なんて水嶋は言っていたが……昨日といい今日といい、まさかここまでやるとはなぁ。相変わらず手段を選ばないというか何というか……。


 つーか、ちょっと水嶋を甘やかしすぎなんじゃないでしょうかね、マネージャーの吉田さんとやら? あなたがしっかり水嶋を説得してくれていれば、いまごろ俺は堂々と惰眠を貪っていられたんですよ?


 まだ見ぬ水嶋のマネージャーさんへの愚痴を吐きつつ、俺は撮影スタッフ用のTシャツとジーンズを着て聖堂脇の庭へと戻った。

 さっき更衣室へと案内してくれた女性スタッフを探して声をかける。


「着替えて来ました」

「お、来たね。じゃあさっそく仕事の説明をしようか。佐久原くんは、こういう現場でバイトした経験ってあるの?」

「いえ、こういう現場をちゃんと見るのも初めてです」

「そっかそっか。まぁでも大丈夫! 仕事って言っても、お願いしたいのは荷物運んだり道路で通行人整理したりだから。ぶっちゃけ雑用係だね」


 まぁ、そうだろうな。ただのバイト、それも高校生に撮影だの何だののメインの仕事を手伝わせたりはさすがにしないだろう。とはいえ、慣れない現場であることに変わりはないが。


「……とまぁ、大体こんな感じかな。基本的には周りのスタッフさんたちに頼まれたことをやってくれればいいから。じゃあ、よろしくね~」


 てきぱきと説明を終えると、女性スタッフは足早に去っていってしまった。


 さて、さっそく未知の現場に単身放り込まれてしまったわけですが……まずは何からやればいいんだろうな? そもそも、肝心の水嶋はどこにいるんだろうか。


「あら? 見かけない顔がいるわね」


 俺が頭をひねっていると、不意に背後から声を掛けられる。


 振り返った先にいたのは、赤みがかったこげ茶色のロングヘアーと花柄のカチューシャが印象的な、見るからに高飛車そうな雰囲気の女の子だった。


「スタッフの制服を着ているみたいだけれど……アンタ、誰?」

「……えっ、とぉ~」


 そちらこそ、どちら様です?

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