第2章 記念すべき(ではない)初デート

4話 自撮りのアップは慎重に

 水嶋と「お試し」で付き合うことになった、その夜のことである。


 夕飯を食べて自室で映画を見ていると、スマホの待ち受け画面に一件の通知が表示された。


 水嶋からのチャットだ。

 そういえば、昼休みに無理やり連絡先を交換させられたんだっけ。


【明日、デートしよう】


 チャットアプリを開いて水嶋とのトーク画面を見てみると、そんな短くてシンプルなメッセージが届いていた。


【いきなりなんだよ】

【明日は土曜日でお休みでしょ? だから颯太とデートしたいなぁ、って】

【デートって、また随分と急な話だな】


 前日の夜に言うな、前日の夜に。


【それに、江奈ちゃんはどうするんだ? わかってるのか? 恋人をほったらかしにして、別のやつと休日にデートするって言ってるんだぜ、お前は】

【それなら大丈夫。江奈ちゃんには、土日はモデルの仕事があってあまりスケジュールを割けないって言ってあるから。あの子もそれで納得してくれてるよ】


 うわぁ……こいつマジか。

 というか、江奈ちゃんもよくそれで納得したな。水嶋と休日にデートできなくていいんだろうか? 


 俺と付き合っていた時でさえ、「お休みの日はなるべく一緒に過ごしたいです」って言ってくるような子だったのに。


(なんか、思っていたよりも結構ドライな付き合い方をしているような……)


 何か引っかかりを覚えた俺は、けれどそれ以上は深く考えるのはやめにした。


 江奈ちゃんはもう水嶋の恋人なんだ。元カレの俺が今さら二人の付き合い方にいちいち口を出す資格はないだろう。


【それにしたって、そんな嘘をついてまで俺と休日に会おうとしなくてもいいだろうに】

【そりゃあ、こっちはたった一か月で君を攻略しなくちゃいけないわけだしね。一日だって無駄にはできないでしょ】


 なるほど。水嶋の立場からしてみれば、たしかにそれも一理ある。だからこうしてさっそくデートの誘いをしてきたってわけか。


 とはいえ、だ。何をどう頑張ったところで、俺がたった一か月で水嶋に攻略されるなんてことあるわけないんだけど。やれやれ、あいつも必死だな。


【だからさ。しようよ、デート】

【わかったよ。どうせ休日はヒマしてるしな】


 ぶっちゃけ、家でダラダラ映画見たりゲームしたりする方がよっぽどいい。

 けど、変に断って「逃げた」とか「日和った」とか思われても面白くないしな。


【やったね。じゃあ、明日の十時に桜木町さくらぎちょう駅前で】

【へいへい】

【記念すべき初デート、だね?】

【俺にとっては記念すべきことでも何でもないけどな】

【またまた。そんなこと言って、颯太だって実はちょっと楽しみにしてるんじゃない?】

【寝ろ】


 水嶋のウザ絡みを一蹴して、俺はすぐさまチャットアプリを閉じた。


「ふぅ……こんなに緊張しない初デート前夜もそうそう無いよなぁ」


 苦笑しつつ、同時に俺は、人生で一番緊張したデートの日を思い返していた。


 四か月前。江奈ちゃんと恋人同士になってから初めてのデートのことは、今でもはっきり覚えている。


 あの時は、二人でちょっと遠くの映画館まで行ったんだっけ。俺にとっては正真正銘の初デートだったから、終始緊張しっぱなしだったよなぁ。


 まぁそういう意味じゃ、明日は気楽にいけそうなのは良いけどな。


 ※ ※ ※


「……なんて、思っていた時期が俺にもありました」


 そして迎えた、翌日の土曜日。

 集合時間の五分前に桜木町駅前の広場にやってきた俺は、違う意味で緊張してしまっていた。


「あのっ、あのっ、もしかして『Sizu《シズ》』さんですか!?」

「キャー、マジで本物じゃん! 生Sizuヤバい! 神!」

「いつもインスタ見てますっ!」


 今日の待ち合わせ場所である、駅前の小さな時計台。

 そこにはすでに、ざっと数えて十人くらいの若い女の子たちが群がっていた。


 そして、その中心にいるのは……。


「あ~、はは。参ったな」


 案の定、水嶋だった。

 キャーキャーという黄色い声に囲まれて、困り顔で頬を掻いている。


 状況から察するに、どうやら水嶋のファンらしき女の子たちに見つかってしまったようだ。


「宿敵」というバイアスがかかってしまっていたから、すっかり忘れかけていた。

そういやあいつ、人気モデルで人気インフルエンサーなんだもんな。


「あのっ、一緒に写真撮ってもらってもいいですかっ?」

「写真? いいよ。ああでも、一応SNSには載せないでね」

「今日のグロス、前にSizuさんが雑誌で使っていたやつなんです!」

「お~そうなんだ。うん、似合ってるじゃん。可愛いよ」


 群がる女の子たちの圧に押されながら、それでも嫌な顔ひとつせず彼女たちへのファンサービスに応じている水嶋。


 甘いマスクと優しい言葉で女の子たちを骨抜きにしていく様は、まさに爽やかイケメンだ。


「……俺、今からあそこに割って入らなきゃいけないの?」


 既に水嶋との待ち合わせの時間は過ぎてしまっている。


 とはいえ、俺にはあんな陽キャ女子軍団の中に突入するクソ度胸なんかない。フラフラ出て行っても、冷たい視線を向けられて追い払われるのがオチだろう。


「よし、帰るか!」


 あの様子じゃしばらく身動きが取れないだろうし、あいつだって俺なんかとのデートよりファンとの交流を優先したいだろうしな。


 なんて、適当な言い訳を考えながら俺はそそくさと駅の改札へ回れ右しようとしたのだが。


「あ、颯太見っけ。お~い!」


 目ざとくも人混みの中にいた俺を見つけやがった水嶋が、ファンの子たちとの別れの挨拶もそこそこに、こちらに向かって小走りに駆け寄ってきた。


 ちぃ、取られたか。


「颯太~」


 というか、こんな往来で人の名前を連呼しないでくれ。恥ずかしいから。


「良かった。ちゃんと来てくれたんだ」


 そう言って嬉しそうに微笑みながら近づいてきた水嶋は、上はパーカーにトレンチコート、下はデニムパンツ、とボーイッシュな格好だ。だが、仮に俺が同じ格好をしても、きっとこんなスタイリッシュな雰囲気にはなるまい。


 一応、頭にはキャスケット帽を被って目立たないようにしているみたいだけど、それもどこまで効果があることやら。


 悔しいが、こいつやっぱりビジュアルはめちゃくちゃハイスペックだよな。 


「誘ったのはそっちだろ。別にすっぽかしてもよかったんだけどな、俺は」

「でも来てくれたじゃん。颯太のそういう優しいところ、やっぱり好き」

「……都合の良い解釈をするな。『勝負』から逃げたと思われるのが嫌だっただけだ」


 俺の反論にも、水嶋はニコニコとした笑みを崩さない。

 まったく、腹立つ顔しやがってからに。


「じゃあ、行こっか」

「おう。いやでも、いいのか? は」


 俺は時計台前で名残惜しそうにしている女の子たちを振り返る。


「お前のファンなんだろ? もう少し話していたかったんじゃないのか?」

「大丈夫。応援してくれるのは嬉しいけど、こっちも今日はプライベートだからね。それになんてったって颯太との初デートだもん。こっち優先」


 さいですか。

 まぁ、それに関しちゃ部外者の俺がとやかく言う事でもないか。


「はぁ~、写真で見るよりカッコよかったなぁSizuさん」

「それ~。……っていうか、隣にいるあのモサい男はなんなの?」

「マネージャーとか? いや、でも全然業界人っぽくないよね。地味だし」

「だよね~。荷物持ちに呼ばれた事務所のバイト君とかでしょ、どうせ」

「だとしても、あんまSizuさんに近寄らないで欲しいんですけど」


 歩き出した俺たちの背後で、ファンの女の子たちが何やらヒソヒソとやっている。


 し、視線が痛い。というか皆さん容赦ないなぁ……まぁ、実際モサくて地味な陰キャだけど。


「…………ふ~ん?」


 隣を歩いていた水嶋がそこで不意に立ち止まり、時計台の女の子たちをチラリと振り返る。


 気のせいか、その一瞬だけは水嶋の目が笑っていないように見えた。


「水嶋? どうした?」


 不思議に思った俺が声を掛けると、水嶋は再びニコリと微笑み。


「えい」


 次には、いきなり俺の右腕に抱き着いてきた。


「ふぁっ!? ちょ、お前なにして……!」

「動かないでね」


 ぐいっと俺に身を寄せた水嶋は、それからなぜか自分の顔をスマートフォンで自撮りする。


「何やってるんだ?」

「いいから。で、この写真をこう……えいっ」

「んなっ!?」


 水嶋がいじっていたスマホの画面をのぞき込み、俺はギョッとする。


「お前まさか、今の写真をネットの海に放流したんじゃあるまいな!?」

「うん、したよ。『今日はオフだからお出かけ♪』って」

「『うん』じゃない! 何を勝手に!」

「大丈夫だって。私の顔しか映ってないもん」

「いやこれ、俺の右腕がちょっと映っちゃってるし!」

「知ってる。だってわざとだし」


 そう言って、水嶋は勝ち誇ったような顔で、時計台にいるファンの子たちに視線を向ける。


その先では、さっそく投稿を見たらしい何人かが「なにこれ!?」「Sizuさん、そういうことなの!?」などと悲鳴を上げている姿が見て取れた。


 やーばい。


「あははは」

「笑ってる場合か! いいから早くこの場を離れるぞ!」


 このままここに留まっていたら、あの女の子たちに何されるかわかったもんじゃない。嫉妬に狂った強火ファンに刺されて死亡、とか絶対イヤだ。


 呑気に笑っている水嶋の手を掴み、俺は逃げるようにして駅前広場を後にした。

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