第4話 二つの誤解

「ごめんね、急に呼び出しちゃって」


 俺を人気のない階段の踊り場に連れてくるなり、水嶋はそう言った。


「……いきなりやってきて、何の用だよ」


 いわば自分にとっての恋敵こいがたきである彼女を前にして、俺は自然とぶっきらぼうな口調になってしまう。

 ていうか、他人ひとの彼女を奪っておいて、次の日にその元彼の前にノコノコ姿を見せるとか、どういう神経してるんだこいつは。


「それはもちろん、江奈ちゃんのことだよ。もしかしたら二つほど誤解があるかもしれないな、と思って」


 水嶋の答えに、俺はピクリと眉を動かした。


「誤解?」

「うん。もしかしたら君は、私が江奈ちゃんを無理やり奪ったんだと思ってるかもしれないけど、まずそれが誤解なんだよ」


 水嶋は踊り場の壁に寄りかかって腕を組む。

 格好こそブラウスにスカートと普通の女子制服だが、そこはさすがに現役モデル。

 そんなちょっとした仕草でも、悔しいがとても様になっていてカッコよく見えてしまう。


 ……って、なに褒めてんだ俺! 人気モデルだろうが、相手は恋敵だぞ!


 ふと頭に浮かんだ邪念を振り払い、俺は水嶋に詰め寄った。


「な、何が誤解なんだよ?」

「う~ん、これを君に言うのはちょっと気が引けるんだけど……江奈ちゃんの気持ちは、もともと君から離れ気味だったみたいなんだよね」

「えっ?」

「『気が合うと思って付き合ってみたけど、実際はそうでもなかった』、ってさ。だから君をフッて、江奈ちゃんの方から私の所に来たんだよ」

「んなっ!? ……い、いやっ、嘘だ! 俺は信じないぞ!」


 だって、つい一昨日まで二人で仲良くやってたんだぞ?

 放課後はほとんど毎日一緒に寄り道してたし、もちろん休みの日には一緒にデートだってした。口喧嘩のひとつもしたことがないくらいだ。

 江奈ちゃんの気持ちが離れ気味だったなんて、そんな素振りは一度も……。


「まぁ、私はあの子から聞いたままを言っただけだし、信じるかどうかは君の自由だと思うけど」


 俺が必死に否定しても、水嶋は相変わらずのハスキーボイスで淡々と告げてくる。


「たしかに、同じ特進クラスになって、あの子と色々お喋りしたり、色々と相談されるような仲になっていたのは認めるよ。でも、付き合って3か月の君から、知り合って1か月の私にアッサリ乗り換えちゃうってことは……やっぱり、そういうことなんじゃない?」


 うちの学校は中高一貫。中等部の生徒はエスカレーター式に高等部に進むシステムである。

 それに加えて毎年、別の中学からうちを受験して高等部に入ってくる「外部進学生」という奴らがいる。水嶋もその一人だ。


 だから水嶋の言う通り、こいつと江奈ちゃんは1か月前に知り合ったばかりのはずなんだ。

 それなのに、俺を捨ててこいつを選んだということは……。


「そ、そんな……江奈ちゃん……」


 いや……よく考えれば、そもそも俺みたいな陰キャオタクと3か月も付き合ってくれたこと自体、奇跡みたいなもんなんだよな。

 仲良くやれていると思っていたけど、本当は俺の知らないところで、江奈ちゃんをガッカリさせてしまっていたのかもしれない。


 この3か月、「楽しい」「気が合う」と思っていたのは俺だけで……水嶋の言う通り、もしかしたら江奈ちゃんの方はとっくに冷めていたのかも……。


 やばい、なんかマジで泣きそうになってきたんですが?

 っていうか、俺もう泣いてもいいよね、これ!?


「いやぁ、そこまで悲しそうな顔をされると、さすがに罪悪感が半端ないよね」

「う、うるさい! お前にだけは言われたくない! っていうか、わざわざそんなことを言うために俺を呼び出したのか?」


 ちょっとウルっとしてしまった目元をゴシゴシ拭って、俺は水嶋をキッと睨む。


「はっ! のうえにとは良い趣味だな、上等だぜ」


 もうとっくに勝負はついてしまっている感があるが、せめてもの抵抗だ。

 これくらいは言い返してやらなきゃ気が済まないってもんだ。


「はは。それ、何かの映画のセリフ?」


 けど、水嶋は俺の嫌味にも気を悪くするような素振りを見せず、それどころかなぜかニンマリとした笑みを浮かべながら、ツカツカと俺に近づいて来た。


「まぁまぁ、落ち着いてよ。誤解は二つある、って言ったでしょ?」

「は?」


 フフフ、と微笑みながら、水嶋はどんどん俺の顔に自分の顔を近づけてくる。

 いきなり至近距離に迫ってきた学校一の美貌に動揺して、俺は思わず後ずさった。

 

「ちょ、おまっ、何のつもりだ……!?」


 俺はとうとう壁際まで追い詰められてしまい、それ以上は後退しようがない。

 そんな俺の両脇の壁に手をついて……つまり、両手で壁ドンをするような体勢で、水嶋が俺の真正面に立ち塞がる。

 

「もしかしたら君は、私の狙いは江奈ちゃんだと思っていたのかもしれないけど……それは誤解」

「な、何を言って……?」

「本当に狙っているのは──


 ふと気が付けば、いつの間にか水嶋はうっすらと頬を赤く染めて、どこか恍惚こうこつとした表情で俺を見上げていた。

 普段のクールでボーイッシュな顔とは違い……なんというか、エモノを追い詰めた女豹めひょうのような顔とでもいうべきか。


 あの水嶋静乃がこんな顔をするところなんて、初めて見た。

 というかこいつ、いま俺の事を名前で呼び捨てにしなかったか?


「お、おい、水嶋……?」


 いきなりガラリと雰囲気が変わった彼女に困惑していると、水嶋はさらにとんでもないことを口走った。


「ねぇ、颯太。──私と付き合ってよ」

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