第77話 彼女、守りました

 そんなこんなをしている内に、俺たちはつい昨日、3人そろって浅瀬にダイブしてしまったあたりの砂浜までやってきていた。


「なんつーか……これからここに来るたびに、昨日のことを思い出すんだろうなぁ」

「そりゃあ、あれだけのことがあったらね。忘れられないでしょ」


 そう言って肩を竦めた水嶋が、次には何事か思いついたように、悪戯っぽい笑顔を浮かべる。


「そういえばさ、颯太は知ってる? どうして江奈ちゃんが、『颯太くんに魅力を感じてもらえていないんじゃないか』って不安になったのか」

「え?」

「昨日は、単に『自分に自信がないから』って言ったけど……実は、もう一つ理由があるんだよねぇ」

「し、静乃ちゃん!?」


 途端に、なぜか顔を真っ赤にした江奈ちゃんが大慌てで水嶋へと詰め寄った。

 

 な、なんだ? 江奈ちゃんってば、何をそんなに焦って……。


「そ、それは言わないって約束じゃ……!」

「あれ? 約束を破って私の過去をバラしちゃった人が何か言ってる」

「あぅ……そ、それは……」

「私の秘密は颯太に教えたんだから、江奈ちゃんも自分の秘密を颯太に教えないと不公平でしょ?」


 そんな水嶋のセリフに反論できないのか、江奈ちゃんは面白いくらいに目線をあっちこっちに泳がせてあたふたする。


 けれど、やがて観念したといった様子で、ギュッと胸元で両手を握りしめながら、ゆっくりと口を開いた。


「……て…………たから」

「え?」


 俺に向かって江奈ちゃんが何事かを喋りかけてくるが、声が小さすぎて波の音にかき消されてしまう。


「……手…………して…………なかったから」

「え~と……ごめん。よく聞こえなかったんだけど……」


 俺が頬を掻き掻きそう言うと、江奈ちゃんはいよいよ茹でダコみたいに顔を真っ赤にしながら、精一杯の声で叫んだ。


「だ、だから! ……颯太くんが、から!」

「…………へ?」


 かくん、と下あごを落とす俺に、江奈ちゃんはもうヤケッパチだとでも言わんばかりにまくしたてる。


「わ、私……本当は、もっと颯太くんとくっついたりしたかったんです! 手を繋いだり、ハグしたり……き、キス、とか……そそ、、とかもっ!」

「はい!?」

「こ、これでも私、結構アピールしてたんですよっ? 颯太くんとデートする時、偶然を装ってさりげなく体に触ったり、映画館とかで肩を並べて座る時は、話しかけるふりしていつもより顔を近づけたり……家族が仕事で家を空けている時を見計らって、颯太くんを家に呼んだり、とか! なのに颯太くん、3か月間、全然そんな素振りも見せなかったから……!」

「え、江奈ちゃん……?」


 そ、それって、つまり……。


「お、俺が……あんまりエッチなことしてこなかったから、自分には魅力が無いのかもって不安になった……って、こと?」


 俺が簡単にまとめたところで、もはや羞恥心も限界だったらしい。


「そ、そ、そ……颯太くんのバカ! 朴念仁!」


 最後にそんな捨て台詞を吐くと、江奈ちゃんはぴゅーっと部長たちのもとまで走り去ってしまった。


「江奈ちゃん……そ、そうだったのか……。てっきり、そういうのはあんまり好きじゃないタイプだと思ってたから……」

「いやいやいや。女の子って、実は男の子が思ってる以上にエッチなことに興味あったりするよ? 特に、江奈ちゃんみたいに親が厳しい家だったりすると、かえって溜まってたりするんだろうね」

「……生々しいことを言うんじゃないよ、お前は」


 遠ざかっていく江奈ちゃんの背を見送りながら、俺は盛大にため息をついた。

 う~む、やっぱり女の子ってミステリー。


「だからまぁ、これからは颯太も適度に江奈ちゃんとスキンシップしてあげたらいいんじゃない? 私としてたみたいにさ」

「お前のはスキンシップってレベルじゃないものもあったけどな」


 この一か月で、こいつが幾度その恵体をフルに活用して俺に色仕掛けをしてきたかわからない。ほんと、我ながらよく理性を保っていたと思うよ。


「さて、どうしよっか? 江奈ちゃん戻っちゃったけど、私たちは続行する? 撮影スポット探し」

「ああ、そうだな。ちゃちゃっと見つけて、そしたら俺たちも戻るか」

「OK。……あ、そうだ颯太。この場所で思い出したけど」


 再び散策を再開しようと歩き出したところで、俺は水嶋に呼び止められて振り返る。


 視線の先では、水嶋がスカートのポケットから何かを取り出して掲げる姿があった。


「これ、颯太に返すよ。もう私には必要ないものだからさ」


 言われて水嶋の手を見れば、そこには「Pホイッスル」が握られていた。


「必要ないって、どういうことだ?」

「だって、このホイッスルで呼ばなくたって、これからはずっと颯太がそばにいてくれるでしょ?」


 言うが早いか、水嶋が手に持っていたホイッスルを俺に向かって放り投げた。


 しかし、少し力を入れ過ぎたのか、コントロールを誤ったのか、空中に放物線を描いて飛んだホイッスルは、そのまま俺の頭を飛び越えて背後の砂浜に落下してしまう。


 おいおい、どこ投げてるんだっての。危うく浅瀬に落ちて波にさらわれるところだったぞ。

 所詮は子供のおもちゃとはいえ、もう少し丁寧に扱ってほしいもんだ。


「ったく、投げるならちゃんと俺が取れるように──」


 砂の中に半分埋まったホイッスルをつまみ上げ、文句の一つでも言おうと振り返った、その瞬間。


 ──ちゅ。


 不意に、潮の匂いに交じって甘いキンモクセイの香りが鼻をくすぐり。

 俺の唇に、何か柔らかくて暖かい感触が伝わった。


(…………え?)


 一瞬何が起こったのかわからなかった俺は、けれどいつの間にかすぐ目の前に水嶋の美貌があったのを見て、それが彼女の唇によるものだったと理解した。


 かぁっ、と顔中が熱くなるのを感じていると、やがて水嶋の唇がゆっくりと俺の唇から離れていく。


「──やっと、届いた」


 感慨深げに、水嶋がそう呟いた。


「君の初めての彼女にはなれなかったけど……これで、君のファーストキスの相手は私だね」


 してやったり、とでも言いたげにはにかんで、水嶋はすこし照れ臭そうに、けれど心の底から嬉しそうにそう言った。


 あまりの不意打ちに面食らってしまっていた俺は……けれど、そんな彼女の飾りのない笑顔を見て、何か言い返す気もすっかり失せてしまった。


「颯太、ありがとう──私の初恋を守ってくれて」


 パッと花が咲いたみたいな、その眩しいほどの満面の笑みに、俺はつくづく安堵していた。


 本当に色んなことがあった1か月だったけど……それを乗り越えた先で、この笑顔が失われるようなことにならずに済んだことに。


 この笑顔を、守ることができたことに。


 「……気にするな」


 だから俺は、いつかこいつを助けた時と同じように。

 

 せいぜいカッコつけながら、不敵に笑って言ったのだ。


「──俺はお前のヒーロー、だからな」

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