第159話 決着

 炎に包まれた瓦礫の山の一部が動いたような気がした。


 背中を向けて歩き出している小僧犬に声を掛けようとしたが、熱で焼かれてしまった鳴倉の喉は声を上げられなかった。


 炎の瓦礫がれきが内側からぜ、一際大きな炎のかたまりが噴き上がった。目をらしてみると、燃え盛る炎は人の形をしていた。


 スプリンクラーから降り注ぐ大量の水を浴び、炎の中から姿を現したのはドウだった。全身に重度の火傷を負い、皮膚の大半が真っ黒に変色しているにもかかわらず、ドウの足取りに乱れは見えなかった。目も鼻も口もなく、手の指は固着してしまっている。歩くたびにガサガサと嫌な音を立てて体のあちこちから炭素化した皮膚がこぼれ落ち、その奥に赤黒く変色した筋肉繊維がのぞいていた。その姿は真に、悪夢の中にだけ現れる歩く焼死体そのものだった。悪夢の中の光景が現実の世界を侵食しんしょくしていた。


 振り返った小僧犬の喉首を、真っ黒に焼け焦げた巨人の腕が捕らえた。


 魔法のように小僧犬の右手にナイフが現れた。小僧犬のナイフがドウの腕を斬りつけるのと、ドウの右拳が小僧犬の顔面を打ち抜いたのはほとんど同時だった。傷を負ったドウの左手からあざやかな緑の閃光がほとばしる。


 顔面を強打された小僧犬の身体がバウンドしながら床を転がっていく。年代物のSLの車輪に激突して停止した小僧犬の首は、左半分が千切ちぎれかかっていた。


「あとうあんっ(佐藤さん)!」


 小僧犬に駆け寄ろうとしたがダメだった。腰を強打したせいか、うまく足が動かない。SLの巨大な車輪にもたれかかったまま動かない小僧犬の首から流れる血が、放水された水に混じって排水口に飲み込まれていく。どうみても助かるような傷ではない。それでも鳴倉は、小僧犬が死んだとは思いたくなかった。我儘わがままで冷酷、無邪気で残忍な男だったが、どこか人をきつける魅力を持っていた。やっていることは犯罪で、他人の命を平気で奪っていたのだから、いつかどこかで野垂のたれ死にする運命だったのだろうが、今日この場所で、こうもあっさり殺されるとは考えてもみなかった。  


 小僧犬に近づこうと、水浸みずびたしの床を這い進んだ。数メートルも進まないうちに、鳴倉の顔の前に消し炭のように真っ黒な二本の脚が立ち塞がった。顔を上げて見ると、真っ黒な体から白煙を上げ続けているドウが鳴倉を見下ろしていた。


 ドウの赤い瞳が鳴倉を見つめていた。焼けげてがれてしまった顔面の皮膚の下から、すすこけた骨が見えている。生きていること自体が不思議だと言うしかない状態でありながら、ドウの口からは呻きひとつ漏れては来ない。


 ドウが鳴倉に向けて右腕を差し出してきた。石炭のように黒く変色したドウの指先には、小僧犬の物と思われる鮮血が付着していた。完敗だった。小僧犬が万全をして挑んだ討伐とうばつ作戦は、予想以上に化物染みた怪物の手によって完全に瓦解がかいしてしまった。


 手にしたコントローラーをドウに差し出した。ドウに助けられたという思いは消えていた。ドウは単純に、コントローラーを持つ鳴倉を助けたに過ぎなかったのだろう。コントローラーを持っていなければ、鳴倉は今も燃え盛るあの瓦礫の下で炭と化すまで燃え続けていたはずだ。


 ドウがコントローラーに触れた瞬間、旋風せんぷうが鳴倉の前を吹き抜けていった。


 鳴倉の前に音を立てて落ちたのは、何をしても死なない不死身の怪物の前腕だった。

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