第162話 氷炎呪殺法

 ドウの爪が不意に引いた。獣にしかしえない反応速度で、ドウの体が後方へと飛んでいく。次の瞬間、ドウがいた床から渦を巻く青い炎が噴き上がった。


 チャオが振るったアダの刀身が空を切った。思わず舌打ちしたが、そこまでが限界だった。アダを床に突き立て、その場に膝を着いた。


 右目を持っていかれた。交差した瞬間、チャオの右目に何かが突き刺さった。不意を突かれはしたが、何をされたのかは解る。噛砕かみくだいた戦鎌いっくさがまの破片を、チャオの右目に向けて吐き出したのだ。化物じみた肺活量を持つドウの口から吐き出された金属片は、弾丸並みの速度で跳び、チャオの右目をつらぬいていった。


 相打ちをもさない覚悟で挑んだが、それでもドウの方が一枚上手だったということだ。


「危なっかしくて見ていられないな」


 チャオの隣にミカが立っていた。気配など微塵みじんも感じさせず、風のように、ふわりと現れた。


「あなたにはまだ死んで欲しくない。お願いだから、相打ち狙いなんて無様なことは金輪際こんりんざいしないでほしい」


 ミカの左手が、チャオの髪に触れた。見上げると、ミカの青い瞳が静かにチャオを見つめていた。


「ごめんなさい」


 チャオの言葉にミカが微笑ほほえんだ。自然な、優しい微笑みだった。


「さて。どうしたら収まるのかな、この騒動は」


 辺りを見回しながらミカが首をひねる。闘う気はないのか、正面に立つドウには目を向けない。


「あなたと争いたくはないのだけど。ここまでくると、そうも行きませんね」


 顔をドウに向けた途端、ミカの全身から身震いするほどの殺気が溢れだした。。


 ミカの殺気に、ドウが瞬時に反応した。ドウの立っていた床から、再びあの青い炎が噴き上がる。火柱は単発ではなく、ドウの動く方向を予知したかのように次々と立ち昇っていくが、その全てをドウはかわしていく。


 発火魔法は発動する前に空気の匂いが変わるから、慣れてしまえば絶対に喰らわない。以前新宿で、あの男が言っていた言葉を思い出した。言われてみれば確かにそうだろうと思う。いくら魔法とはいえ、何もない場所から炎を発現はつげんさせるわけではない。炎には炎のことわりがあり、酸素と可燃物、熱源と酸化反応、これら四つの要素がそろって初めて発現するはずだ。だとすれば、その瞬間に起るはずの空気の変化を感じ取ることができれば、攻撃を躱すことも可能だ。


 ミカの左手がせわしなく動き、何もない空間に呪言じゅごんを描いていく。


 ミカの背後の空間がゆがみ、空中から氷柱が射出された。ミカが得意とする氷結魔法、アイスランスだが、ミカの右手はドウに向けて炎の攻撃を続けている。


 ミカは右と左で、炎と氷、異なる属性ぞくせいの魔法を同時に発現させていた。


 いとも簡単に攻撃を避けていたドウの体に、ミカのアイスランスが直撃した。現れるはずのシールドが発動しない。体勢を崩したドウの腕に次々とアイスランスが突き刺さっていく。


「凄い」


 声を出さずにはいられなかった。ひとつの魔法を発現させるだけでも凄まじいまでの精神力と集中力を要する。意思の力が弱ければ魔法は具現化しないし、集中が足りなければ狙った場所に発動させられない。それをふたつ同時に発現させているのだから、その精神の強靭きょうじんさは驚愕きょうがくに値する。

 ドウがミカに向けて突進を始めた。ドウの身体を守っていたシールドは完全に消え、回復魔法が発動する際に現れる緑の光は弱まっている。


「魔力が尽きましたね。予想よりだいぶ時間がかかりましたが」


 ミカの攻撃を受けながらも、ドウは突進を止めない。対するミカも、逃げる素振りなど欠片かけらも見せない。


「ミカ、あいつ突っ込んでくる」


 剣を掴み立ち上がると、チャオは獣のように突っ込んでくるドウに向けて剣を構えた。


 ミカが両手を握り合わせ、呪文詠唱じゅもんえいしょうを開始する。右手の炎と左手の氷が、重ね合わせた掌の中で混ざり合い、炎を閉じ込めた禍々まがまがしい氷柱を形成していく。


 ドウが距離を詰める。身を屈め、床すれすれに移動するドウの姿は、チャオの動体視力を持ってしても捉えがたい。


炎氷えんひょう呪殺法じゅさっぽう、アイスボルケーノ」


 敵から視線を外し、思わずミカの顔を見た。アイスボルケーノ?最低のネーミングだ。


「黙れ!」


 チャオの視線を無視してミカが怒鳴る。何も言ってはいないが、言いたいことは伝わったようだ。


 燃え盛る炎を氷漬けにしたアイスボルケーノがドウ目掛けて飛んでいく。回避するつもりなどないのか、ドウは速度を緩めず疾走してくる。


 ドウの喉から一際大きな咆哮がとどろいた。彼我ひがの距離は10メートルもない。


 倉庫の中の灯りが消え、視界の全てが闇にみ込まれた。はるか先の倉庫の壁にアイスボルケーノが激突し、建物全体を激しく揺らす。


 闇にまぎれ、ドウはミカの攻撃を躱したに違いない。


「闇の勇者」


 黒く塗りつぶされた世界のどこかから、ミカの呟く声が聞こえた。アイスボルケーノの威力は凄まじく、この巨大倉庫全体に壊滅的な振動を引き起こしていた。


 突き出した剣に手応えを感じた。生暖かく粘り気のある液体がチャオの顔に掛かる。ドウの返り血だろうが、いつものようにすする気にはなれなかった。


 闇はいつまでも続いた。自分の喉かられてくる荒い呼吸の音と倉庫全体に響く振動以外、チャオの耳には何も届いてこない。


 倉庫の奥で、避難口を示す緑の非常灯が瞬いた。それをきっかけに、倉庫の中の照明は徐々に光を取り戻し始めた。

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