第163話 再会と提案

 チャオのり出した剣は、ドウの左のてのひらを刺しつらぬき、顔面寸前で止まっていた。額の中央を剣先がかすめていたが、ドウの目は剣などではなく、前方の一点にえられたまま動かない。


 ドウとミカの間に、あんずが立っていた。薄茶のパジャマを着こみ、クマのぬいぐるみを抱きかかえている。


「おかしら」


 小さなあんずの大きな瞳が、獣と化したドウを見つめていた。


 抱えていたクマのぬいぐるみを床に落とすと、あんずは両手を広げてドウの顔を包み込んだ。


「おかしら、おかしらぁ」


 あんずの瞳からこぼれ落ちる涙が、怪物の鼻面を濡らしていく。


「少し落ち着いてから会わせたかったのですが。目を覚ましてしまったようですね」


 ドウの喉かられる唸りが小さくなっていく。それに合わせるように、ドウの肉体もちぢんでいく。


「これってどういうこと?」


 ドウの掌を貫いた剣を引き抜いた。顔をしかめたドウが牙を剥きだしにしてチャオを威嚇いかくする。


「きみの部下、小僧犬くんだったっけ?彼は最初から爆弾など仕掛けてはいなかったということだよ。爆弾はね、否応無いやおうなしに戦わざるを得ないようにする為の、いわば方便ほうべんだったんじゃないかな。事実、バスの中には罠も爆薬も見当たらなかったしね」


 いわれて見れば小僧犬がやりそうなことだ。本当に振動感知型の爆弾がバスに仕掛けられていたなら、戦闘が始まってすぐに吹き飛んでしまっているはずだ。


 ドウの姿が人間の男に変わっていく。大量のエネルギーを放出した全身はやせ細り、衣服は全て燃え尽きている。


「目の保養にはなるけどさ、これって教育上よろしくないんじゃない?」


 やせ細ったドウの身体に、あんずが頭をぐりぐりとこすりつけている。


「グリグリなのです。グリグリするのです」


 涙目ではしゃぐあんずの身体を、ドウが軽々と抱き上げて肩に乗せた。


「どうする」


 ドウがミカに訊ねる。続けるかという意味だろう。今回の件は、あんずという一人の少女の奪い合いが発端ほったんだ。あんずをドウに引き渡してしまえば、争う意味は無くなる。


「争うのではなく助け合う。そうなればいいと考えています」


「貴様らはこの子を故郷から無理やり引き離した。話し合いの余地などない」


「我々ではありません。対立する別の組織です」


「利用するつもりなら同じことだ」


 ミカが頷く。


「確かにそうかもしれません。ですが、現状あんずちゃんは不法入国者としてこの国に滞在しています。多少の交換条件は提示させていただきますが、我々なら彼女の置かれた状況をかんがみたうえで、速やかに故郷の村へ送り返すことができます」


「協力はできない。そう言ったら?」


「殺し合いを再開します。彼女の前であなたを殺したくはないのですが、仕方ありません」


 あんずがドウの手を強く握り締めた。この二人はどういう関係なのだろう。


「誰を召喚しょうかんするつもりだ?何を、と言い換えてもいいが」


「今は言えません。ですが約束します。ただ一度、ただ一人。わたしの望みはそれだけです」


 ドウがあんずを見下ろす。ドウに向けて、あんずが小さく頷いて見せる。


「いいだろう。行くところもない。話だけでも聴こう」


 あんずを肩から降ろすと、ドウはチャオとミカに背を向けて、少し離れた場所で這いつくばっている男の前に立った。


「服を寄こせ。靴もだ」


 小僧犬の手下である男が、慌てて服を脱ぎ始める。変身する以前の見事な筋肉で覆われたドウの身体とは異なり、今のドウの身体なら、男の衣服は問題なく身に纏えるはずだ。


 チャオは隣に立つミカを見上げた。何の表情も浮かべず、ミカはスーツに袖を通すドウを見つめていた。


「あいつ、殺したい」


 チャオのつぶきにミカが反応した。穏やかな笑みを口元に浮かべ、チャオを見る。


「今なら殺せますよ。どうしてもというのなら、サポートします」


 スーツ姿のドウを見て声を上げて笑うあんずの髪を、ドウの武骨ぶこつな手がくしゃくしゃにする。


「今日はいいや。イクメンパパみたいな奴の首を落としてもつまんなそうだし」


 ドウが振り返り、チャオに向けて唇を歪めて見せた。笑っているつもりらしいが、愛らしさなど微塵みじんもない。


「酒を用意しろ。きんきんに冷えたモスコミュール、ウオッカをたっぷり入れたやつがいい。それと食い物もな」


 ドウの耳にあんずが何かをささやいている。


「あとはプリンだ。喰いきれないほど持ってこい」


 そのうち、お前とガキの脳みそをスプーンですくって喰ってやる。そう思ったが、そんなことは口にしなかった。今はただ、一刻も早くすすっぽいこの倉庫から出て、冷たいシャワーを浴びたかった。

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