第164話 大団円

 爆発で発生した火災は、倉庫の中を水浸みずびたしにするほどの放水のおかげで鎮火ちんかしていた。燃えだすくらいに熱していた倉庫の中も、今は凍えるほどの冷気で満たされていた。


 人間に戻ったドウに命じられて、鳴倉は上着とズボンを差し出した。冷え切った空気にさらされていたせいか、体がうまく動かない。鳴倉は水浸しの倉庫の床に膝をつき、自分の口から吐き出される白い息だけをぼんやりと見つめていた。


 ドウとあんずは、突然現れた男女と共に倉庫から姿を消した。大き目のパーカーを着たミニスカートの女と、遠目からでも判る高そうなコートを着た金髪の男だった。見たことのない二人だったが、この倉庫にいたことから推測するに、あの二人こそあんず奪回だっかい計画の黒幕、小僧犬の雇い主なのだろう。


 その小僧犬も死んだ。鳴倉が座っている場所からは見えないが、年代物の蒸気機関車の車輪にもたれ掛かった小僧犬の姿を見ていた。首がもげかけていたから、仮に生きていたとしても救う方法はない。人の死に目になど会いたくはないから、えて鳴倉は放置しておいた。


 冷酷だとそしられたとしても、むくろと化した知人の姿を見たくは無かった。もっとも、この分だとそう長くかからず鳴倉の命も消える。


 水浸しの床をぴちゃぴちゃと音を立てて、誰かが鳴倉に近づいて来る。敵も味方ももうこの倉庫にはいない。近づいてくる者がいるとしたら死神くらいだ。


 音のする方向に顔を向けた。それだけでひどく疲れたが、疲労を感じるくらいだからまだ自分は生きている。


「何やってんだよ鳴倉。ここはもうダメだ。くずれる前に帰るぞ」


 一際ひときわ大きな溜息ためいきが口をいて出た。死ぬのは仕方がない。自分のような小悪党が生き残るには、この世界はハード過ぎた。だがそれにしても、死に際にすら小僧犬が現れるとは、どれだけ運が悪いのだろう。


「せめて最後くらい、もう一度ソフィさんに会わせてくれませんか?」


「誰それ?何?頭打っちゃった?おれだよ鳴倉。あなたのお友達にして最高のボス、佐藤さんこと小僧犬助麿すけまろちゃんだよ」


 力無く手を振って追い払おうとしたが、しつこい亡霊はなかなか消えてくれない。


「小僧犬は死にましたよ。あっちに死体が転がってるはずです。見えいた冗談は止めて、さっさと地獄でも煉獄れんごくでも連れて行って下さい」


 咳込んで吐き出した淡は墨のように黒かった。かろうじて声は出るが限界だ。


「あのさ鳴倉。おれが死ぬ訳ないだろうがよ。おれが死ぬってことは、おれが死ぬってことだよ?バカかお前は」


 小僧犬の小さな手が、ぺちぺちと音を立てて鳴倉の頬を叩く。だんだん本気で腹が立ってきた。


「あんたは死んだんだよ。ドウの一撃を喰らって、首が半分千切ちぎれて血だっていっぱい出てた。あの化物みたいな治癒ちゆ能力でもない限り、絶対に助かりっこない傷だった。あんたは死んだ。間違いない」


 喉がつぶれるのも構わずわめき散らした。その反面、頭の中は冴え切っていた。治癒能力。ドウは小僧犬の首を掴んでいた。小僧犬はナイフでドウの左手を斬りつけた。その後、ドウの右拳を顔面に受けて・・・・・。


 どうして小僧犬はドウの左手を斬りつけたりしたのだろう。鋼のようなドウの腕をナイフなどで斬り落とせないのは解っていたはずだ。


「治癒能力。盗んだのか・・・・・」


 大鎌を持った女が戦闘中に言っていた。攻撃の最中にはシールドは働かないと。ドウが拳を突き出した瞬間、ドウの左腕をナイフで切りつける。腕を切断する為などではない。ドウを傷をつけることによって自動で発動するみどりの光に触れることができれば、治癒能力により受けた傷は完治する。


「在り得ない。あの一瞬でそこまで計算して動けるはずがない。仮にできたとしても、賭けにしたって危険すぎる」


「なにごちゃごちゃ言ってんだよ鳴倉。おれがお化けならお前の所なんかに現れたりしねぇよ。綺麗な女の子のとこに、アメフトのヘルメットかぶって電気ドリル持ってスマホの画面から出てくるね。泣き入るよな普通。そんなん出てきたら絶対泣くだろ普通」


 普通ではない。普通と呼ばれる状況など逸脱いつだつしている。


「本当に、本物の佐藤さんですか?」


「どう見たっておれだろう。胸にきざまれた七つの傷跡きずあと見るか?」


「そんな傷もともとありませんよね?それだけくだらないこと言えるのなら、多分本人なんでしょう」


「笑える話をしてやるよ鳴倉。残念だがおれもお前も死んじゃいねぇ。つまりゲームはまだまだ続くってことだ」


 子供のように笑う小僧犬を見ているうちに、鳴倉の口元もほころんできた。二人して意味もなく笑い始めた。


「これからどうします?」


「とりあえずあいつらの正体を暴く。それから奴らをぶっ殺す方法を見つける。あいつらちょっと人間めすぎだからな」


 笑いの発作がぶり返し、二人して腹を抱えて笑った。人間舐めすぎ。確かにその通りだ。


「わかりました。手配します」


 小僧犬の肩に掴まって立ち上がった。崩れ始めた倉庫の中を、出口に向けて歩き出す。


ちなみに」


 小僧犬に目を向けず、鳴倉は事務的に続けた。


「殺人鬼はアメフトのヘルメットではなくホッケーマスクを被っていて、ドリルじゃなく電動のこぎりで襲ってきます。それと日本映画の怨霊が現れるのはスマホの画面からではなく、テレビの画面からです」


「そうなの?それってどんな話だっけ?」


「ああ見えてホラー映画は奥が深いんです。自分で調べて下さい。」


 まだ動く搬入用のエレベーターに乗り込んだ。音も無くエレベーターの扉が閉まり、惨劇の現場は鳴倉の視界から消えていった。

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