第四章 アプリコットチェイサー
第105話 餓狼蝟集
エレベーターが動いている。
正確に言うなら、エレベーターの移動を知らせる階数表示灯が点灯し、
移動しているのは、23階にあるこの部屋専用のエレベーターだ。部屋の主である自分以外の人間が使用することはない。
手元のリモコンを操作し、矢崎健吾は部屋の中の大型モニターにエレベーター内の画像を呼び出した。エレベーターの中には、男が二人乗っている。どちらも知っていたが、呼出してもいないのに矢崎の自宅のエレベーターに乗れるほど親しい
「アポなしとは、いかにも野良犬らしい」
矢崎の
「お客さんなら帰るけど」
ソファで酒を飲んでいた飯塚ひよりが
「構わない。そこにいろ」
ひよりに構わず、矢崎は部下に
部下がそれぞれ得物を手にする。銃が三人、ナイフが二人。矢崎の
階数表示灯が23を示し、エレベーターの扉が音も無く開く。
「ちぃ~す。毎度~。オーガナイザー、元気すか?」
場違いに明るい声と共に、小柄な男がエレベーターの扉の影から手を振っている。
「撃たんといて下さいよ。うちら戦争しにきたんとちゃいまっせ」
エセ関西弁だ。本人は
「招待した覚えはないぞ、
「こりゃまた
扉の影から、小僧犬が右手を振りながら姿を現した。160㎝に満たない身長とくせ毛だらけの髪に、小さな顔に不釣り合いなほど大きなラウンドサングラスを掛けている。血色のいい肌のせいで10代に見られるが、実年齢は30に近い。
小僧犬の背後には、背の高い神経質そうな男が
「いやいや、みなさんお
問いかけを無視して、部下のひとりが乱暴にボディチェックする。小僧犬も鳴倉も、武器は所持していない。
襟を
リビングのソファから取り囲む部下を見上げる小僧犬の姿は、体育教師に呼び出しを喰らった中学生のようだ。
「警備の連中はどうした?殺したのか?」
「とんでもない。事情を話して通してもらったんですよ。いやいや、誠意持って話せば通じるもんですね。警備責任者の、えっ~と、何さんだっけ?」
小僧犬の顔が背後に立つ鳴倉に向く。
「西野さん。西野政好さん。今年高校に入学された娘さんがいらっしゃいます」
「そうそう、西野さん。あの人に頼んだんですよ」
「お前の話が本当なら、そいつは職を失くすだけじゃすまない。そんなことは知ってるはずなんだがな」
「そうなんですか?そりゃあんまりってやつです。西野さんが気の毒過ぎます。あの人は、ただ単に娘さん思いのいいお父さんってだけで」
単純な話だった。小僧犬はその西野とかいう男の家族を人質に取って
「で、もう一度聞く。お前、何をしにここに来た?アポなしで来るんだから、それなりの要件があるんだろう?」
「そう、要件。要件ですよ、わんわん。なんつって。実をいうとですね、ど
部下のひとりが小僧犬の
「ダメですよね。
「金脈の話を続けろ。くだらない話はするな」
矢崎の
「痛いなぁ。人の血ってシミになると落とすの大変なんですよ。このシャツね、死んだ母親の
ナイフを持つ部下を見上げる小僧犬は薄笑いを浮かべている。
「男物のシャツが母親の形見っていうのは、いくらなんでも不自然です。それに、お母さん生きてますよね。クリスマスプレゼント選ばされましたし」
呆れ顔で鳴倉が
「ああそう、親父の形見だ。間違えちゃったよ。鳴倉さ、たった今オガちゃんからくだらない話はするなって言われたばっかりだろ。うちのお母さんの話なんかするな」
指先で喉に当てられたナイフを
「隠し口座を見つけたんですよ。南米にある銀行の口座なんですけどね、悪いことしたやつの口座で、非合法な金が何十億も入っちゃってるんですよ。そいつを奪おうって思って、まぁ数年前から追っかけてたんですけど、ようやくね、口座特定して、あとは12桁のパスワードだけってとこまで来たんですが、その12桁が分からない分からない」
テーブルの上のスコッチウィスキーを手に取ると、小僧犬は許可もなくロックを作って口をつけた。
「苦っ。よくこんなの飲めますね。あれないすかね、カルアミルク」
「どうやって口座を特定したんだ?」
ソファにふんぞり返る小僧犬に、矢崎は静かに問いかけた。
「苦労しましたよ、そりゃあ。まずね、
苦いと言っていたくせに、小僧犬はうまそうに矢崎のスコッチを口に入れている。言うこと
「すっげぇ良くできた偽札だから、特定できるのはそういうのに敏感なやつらだけですわ。で、見たこともない偽札が現れたって騒ぎだす連中を
矢崎にも話が見えてきた。自分たちで精巧な偽札を作り上げ、それをオフリミットした相手を
「口座は特定したが、パスワードが分からない。で、本人に直接聞きに来たってわけか」
小僧犬が特定したのは矢崎の口座だ。そしてそのパスワードを、矢崎本人から聞き出す気でいる。
「誰を押さえている?おれの親か?女房か?」
小僧犬がのこのことこの場に姿を現したとなると、考えられるのは人質だけだ。だが今の矢崎には、金より大切な物など
「残念だがお前の
酒を一息に飲み干すと、小僧犬はグラスをテーブルに叩きつけた。
「さすがだなオガちゃん。親も奥さんも見捨てるってか。カッコいいねぇ
膝を叩きながら小僧犬が
「お前の持ってる金と情報網を全部渡せ。楽に殺してやる」
「すげぇすげぇ。マジでB級映画の悪役みたいだ。矢崎お前さ、役者に転向したほうがいいよ。すげぇ迫力」
いつの間にか小僧犬の口調が
銃を突き付けられた小僧犬が、部下に
「
取り囲む5人の部下を見比べながら、小僧犬が
「あっ、お前ダメ。お前さっき、俺の首に傷つけたよな。気の毒だけどお前はダメ。死刑確定」
部下の一人を指差して
「参ったね、ほんと。
小僧犬が両手を上げると同時に、室内に空気を切り裂く乾いた音が鳴り
5人の部下はそれぞれが
「いい顔するじゃねぇか、矢崎。わざわざここまで来た
部下が持っていた拳銃を拾い上げると、小僧犬は慣れた手つきで撃鉄を起こし、銃口を矢崎の額に向けた。
「
事態を正確に
「飼い犬の前に跪くってのはどういう気分なんだろうね。悔しい?それとも死にたくなくて必死か?」
「嘘だ。狙撃なんてできるはずがない」
「あれ、そこ?そこに意識がいっちゃったか。うん、そうだろうねぇ。不思議だもんね」
矢崎の手前に、鳴倉が同じように床に膝を付ける。
「矢崎オーガナイザーのご
「
「残念ですが我々の資金では、あの巨大企業を買収することなどできません。でもいい線行ってます。我々が買収したのは、あちらのビルの清掃会社の方です。
清掃会社とスナイパーの関係がいまいち掴めなかったが、鳴倉は
「屋上に窓清掃用の大型ゴンドラがあるんです。それを二台、こちらの部屋の窓の対面に
鳴倉の説明が続くなか、小僧犬はリビングのダイニングテーブルに座るひよりを見つめている。
「まさかまさか、ひよりちゃん?夕方ベイビーズのひよりちゃん?」
銃口を矢崎の額から外すと、小僧犬はひよりの座るテーブルに向けて嬉しそうに歩き出した。
チャンスだった。エレベーターの脇に非常口がある。目立たないよう
おもむろに矢崎は立ち上がり、非常口に向けて走り出した。床に落ちている部下の拳銃を拾うことも考えたが、窓の外にはスナイパーがいる。応戦するよりも逃げるべきだと判断した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます