第104話 第二部 予告

 奈緒は腰から銃を引き抜くと、素早く安全装置を外した。親指で撃鉄を上げ、銃口を男の背中に向ける。


「止まりなさい」


 雨が降っている。雨粒が髪を濡らし額から流れ落ちて視界をさえるが、奈緒はまばたきひとつせず男の背中に狙いをつけ、その姿勢を維持いじした。


 雨音に混じり、サイレンが聞こえてくる。その音が幻聴でないことを奈緒は祈っていた。


 男が足を止めた。距離にして5メートル。奈緒が引き金を引けば、弾丸は必ず男の身体に着弾する。


「ゆっくりと膝をついて。おかしなマネをすれば撃ちます」


 奈緒の警告を無視し、男はその場でゆっくりと身体を反転させた。降りしきる雨の中、奈緒は男と正対した。


 男の周囲には十数人が倒れていた。大半が男性だが、何人か女性もいるようだ。いずれも血にまみれ、死んだように動かない。倒れている男女のかたわらには、銃やナイフ、手斧などが転がっている。


 国道沿いにある物流倉庫の駐車場だった。巨大な投光器が照らし出す広大な駐車場は、深夜にも関わらず昼間のように明るい。


 状況から推測すいそくして、侵入者である男に対し倉庫にいた男女が襲い掛かったのだろうが、所持している武器が尋常じんじょうではない。不法侵入に対して警察を呼ぶわけでもなく、ナイフや手斧、銃まで出して応戦したとなると、この物流倉庫自体が犯罪組織の拠点のひとつである可能性が高い。 


 背の高い男だった。細身だが、その身体は鋼鉄のワイヤーを撚り合わせたような筋肉で形成されている。肩越しまで伸ばした黒髪の奥にある杏色あんずいろ双眸そうぼうが、何の感情も無く奈緒の姿を反射していた。身体に比べて異常に大きな両手の拳が血に塗れていることから、男は凶器を持つ数十人を、自らの拳で叩きのめしたことになる。


「衛兵か」


 長い沈黙のあと、男の唇が動いた。


「警察よ。あなたを逮捕します」


 衛兵。男は確かにそう言った。同じ問い掛けを、以前聞いたことがある。


「おれは誰にも従わない。どうしてもというのなら力尽ちからづくでってことになるんだが」


 男の視線が奈緒の持つ拳銃に注がれる。


「そいつでおれを止められるとは思うな。そいつの特性は理解した。おれには通用しない」


 灰色のタンクトップと黒のデニム。男の出で立ちはこの季節にはそぐわないほどの軽装だ。以前の強盗犯のように、防弾着を着用している様子もない。この距離で奈緒が発砲すれば、弾丸は間違いなく男の体を貫通する。


「呼吸が乱れてるな。その武器に慣れていないのか」


 男の指摘は正しい。日本の警察官の大半は、訓練以外で銃を使用したことはない。発砲経験のある奈緒は数少ない例外のひとりだが、銃の使用に慣れているわけではない。


「言うことを聞かなければ撃つ。これは最終警告」


 銃を突き付けてはいるが、それでも奈緒は自分の優位性に疑いを抱いている。目の前にいる男は人の姿をした猛獣だった。凶器を手にした十数人を素手で倒したのなら、男の戦闘力は底が知れない。巨大なグリズリーを相手にしていると考えてみれば、38スペシャル弾を5発装填しただけのサクラM360Jでは役不足だ。


「知り人に似ている」


 奈緒を見つめながら、男が呟いた。


「この世界とは異なる、別の世界の人間だ。関係などあるはずはないのだが、よく似ている」


 ナンパの手口だとしたら最低の口説き文句だが、奈緒には男が真実を述べていることが理解できた。この男に感情は無い。感情のないマシーンが告げるのは、嘘偽りのない真実だけだ。


「あなたは何者なの?」


 意識せず口を吐いて出た言葉が、凍てついた男の表情に変化をもたらせた。男の分厚い唇がまくれ上がり、禍々まがまがしいほどに白く鋭い犬歯がき出しになる。男は奈緒に向かって、微笑んでいた。


「おれは、勇者だ。闇の勇者だ」


 何の感情もこもらない声で、男はそう答えた。




To be continued

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