第103話 再会

 客のいない店のテーブルで、甘王はスマホの画面をのぞいていた。見たい情報があるわけではないが、料理が出てくるまでの間のひまつぶしにはなる。


 昼時を過ぎているせいか、客は甘王ひとりだった。近隣に住む中国人相手の商売をしているらしく、メニューには日本語の表記が少ない。店の主人は極端きょくたんに無口な男で、片言の日本語で注文を取る意外、一言もしゃべらなかった。店にはテレビも雑誌も無く、注文した料理が届くまでの間は、スマホをいじるくらいしかやることがない。


 ヨウポー麺という珍しい料理が喰えるので、散歩がてらに浮間船渡から西川口まで歩いてきた。

レフェクティオで一度は減った体重も、三日ほどで元に戻ってしまった。イ・モウトゥがしつこく運動を勧めるから、仕方なく近所を散策するようにしているのだが、行く先々で間食するせいで甘王の体重は一向に減らない。


 手打ちの麺に唐辛子を乗せ、その上から熱々の油を注ぐヨウポー麺は、見るだけで甘王の食欲を刺激した。ここ数日、休みの日には必ずこの店にいる。味はもちろん、電車賃を使わず自宅から歩いて来られる点も気に入っていた。


「ここいいかしら」


 顔を上げると、美穂が立っていた。表情には出さなかったが充分に驚いていた。美穂の記憶は完全に消し去り、過去の適当な記憶を見繕みつくろって穴埋めしておいた。八月に起きた出来事を、美穂が覚えているはずは無い。


「待ち合わせしているので、別の席に座ってもらえませんか?」


 店の中には、甘王と美穂しか客はいない。広い店ではないが、他のテーブルは空いている。


「その人が来るまでの間ならいいでしょう?」


「彼女、寂しがり屋で嫉妬しっと深くって、怒りっぽくって泣き虫なんです。ぼくが知らない女性と一緒にいるのを見たら、多分ぼくを殺して自殺するんじゃないかな」


「なにそれ。メンヘラじゃない?サイテー、別れちゃいなさいよ」


 笑いながら美穂は甘王の向いの席に腰を下ろす。甘王の彼女の話など、これっぽっちも信じていない。


「わたしのこと覚えてる?」


「あまりいい思い出はありませんけど。で、何の用ですか?もうお金は貸しませんよ」


 術の掛かりが浅かったのか。それなら新たに術を掛け直さなければならないが、その可能性は低い。


「そう。お金の話なの。わたし、きみにお金借りてたでしょ?随分ずいぶん前のことだけど、なんかずっと気になってて。それでね、きみを捜してたんだ。何年も前からね」


 嘘だ。美穂が借りた金を返そうと決めたのは、たった3カ月前の八月のあの日からだ。


 美穂はバッグから封筒を取り出し、無言で甘王に差し出した。差し出された茶封筒を受け取り、中を確認すると、千円札が十枚だけ入っていた。貸した額には程遠い。


「全然足りてません。貸したのは5万円だったはずです」


「そうね。でも今はそれだけしか用意できないの。悪いんだけど、分割でいい?」


「月1万でのこり4カ月ですか。面倒ですね。銀行振込でいいですか?」


「嫌。手数料かかるもん」


「じゃあどうします?毎月この店で会いますか?」


 油で汚れた店の中を一通り見回して、美穂は溜息ためいきをついた。


「こういうお店もたまにはいいけど、毎月会うならもっとおしゃれな店にしない?渋谷のカフェとか」


「電車賃かかるからダメです。池袋ならいいけど、カフェってコーヒー1杯で千円とかするんですよね」


「それ位は出すよ。利息の代わりに」


 美穂の話を打ち切るように、無口な店主が甘王の前にヨウポーを置く。美穂を見る目が、注文しないなら出て行けと語っている。


「わかりませんね。僕のことを生理的に無理だっていってましたよね。そんな相手に、どうして毎月会いたがるんですか?」


「そんなこと言ったっけ?でもそうね。多分今でも無理」


 突き出た甘王の腹を見て、美穂が苦笑する。


「自分でもよくわからないんだけど、突然きみのことが頭に浮かんだの。そしたらどうしても会わなきゃならないって気になっちゃって。本当は、お金のことなんかどうでもいい。とにかく、きみに会いたかったの。ホント意味不明」


 美穂は本当に執念しゅうねん深い性格なのだろう。甘王が美穂に施した術は、間違いなく美穂の記憶を改竄かいざんしてる。だが美穂の頭の中に、甘王にもう一度会うという目的がインプットされてしまった。それは小さな種子のように美穂の頭の中に残り、発芽し成長していった。結果、美穂は以前の記憶を封印されたまま、意味もわからず3カ月もの間、甘王を捜し続けたのだろう。


「はっきりいって、ぼくはあなたに会いたくありません。あなたのことを、ぼくが許すと思いますか?」


 今の甘王に昔の記憶はない。だが、甘王隆が引きニートになったいきさつは知っている。その原因のひとつが美穂だ。


「わたしのことが嫌いなんだ。ひどいことしたもんね。でもさ」


 テーブルに頬杖ほおづえついた美穂の目が、正面から甘王を見据みすえる。


「きみにしたことを、わたしが悔やんでないって思う?ずっと後悔してて、でも今更いまさらあやまれなくって、それを正当化する為に、きみのことをもっと嫌って軽蔑して、そんな自分をますます嫌いになっていく。勝手な言い分かもしれないけど、わたしにとってもきみはトラウマなんだよ」


「トラウマを克服しようとするのは立派だけど、それに僕を巻き込まないでくれませんか?加害者にもそれなりの理屈があるんだろうけど、それを被害者に理解してもらおうなんて虫が良すぎです。無理ですよ」


 話していて何故か南条の姿が脳裏のうりに浮かぶ。被害者と加害者が理解し合えることはない。だからこそ加害者は、悪にてっするべきなのだ。


「無理でもわたしは、きみに許してほしい。そうじゃなきゃ、わたしたちはいつまでも平行線。でもそれって悲しすぎるって思わない?もしきみが私を許してくれるなら、わたしはきっときみのいい友達になれる。今のわたしは、もう昔のわたしじゃないんだから」


 甘王にもう一度会うとインプットされた美穂の目的は、成長するに従って意味を見出そうとした。謝罪したいからこそ、もう一度甘王に会うべきだという美穂の想いは、今こうして甘王の前に立つことで実を結んだ。


「毎月第二週の土曜日。カフェの代金はお主持ちで、千円を超える場合は消費税分まで含めた割り勘。これでよいか?」


「ちょっとせこい気もするけど、それでいい。連絡はわたしから、電話かショートメールでするね。よくわかんないけど、スマホにきみの番号とメアドが入ってたの。ドコヤまで入ってるから、びっくりしちゃった」


 うっかりしていた。美穂の記憶は改竄したが、美穂のスマホにまでは手を廻せなかった。ドコヤというのは、美穂が甘王のスマホにインストールした位置情報共有アプリだ。美穂はそれを使って、今日ここに現れたに違いない。


 美穂が翳すスマホの画面には、地図上に大きくあまあまと表示されていた。


 首を左右に振りながら、甘王は大きくため息を吐いた。この世界のテクノロジーは、時として魔王である自分の魔術を超える。


「ひとつだけ頼みがある。あまあまという呼び方は止めよ。ワシの威厳いげんが台無しじゃ」


「えっ、なんで?わたしすっごく気に入ってるんだけど」


「なんでもいいから止めよ。良いな?」


「しょうがないなぁ」


 美穂の指がスマホの画面を滑る。


「これでいいでしょ。これなら文句ないよね」


 再び美穂が掲げたスマホの画面には、あままと表示された甘王のプロフィールが映っていた。


「なんじゃ、あままって!ワシは桃色片想いか?」


「なにそれ。意味わかんない。あまま。いいじゃない。気に入っちゃった」


 けらけら笑いながら、美穂は店主に瓶ビールを注文した。グラスはみっつだ。


「とりあえず乾杯しよ。それから別の店に行こうよ。駅前にちょっと感じのいいイタリアンがあったから、そこにしよ」


「当然、主のおごりだよな」


「そんな訳ないじゃない。割り勘よ、消費税の分まで」


 店の親父にまでビールを注ぎ、美穂はグラスを突き出した。無愛想な店の親父までが、なぜか一緒にグラスを突き出す。


「それじゃ乾杯。お互いの輝ける未来に向けて」


 美穂の言葉に、なかばやけくそでグラスを突き出して乾杯した。三人でビールを飲み干すと、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いが込み上げてきた。ビールを追加し、三人で二杯目を飲み干すと、なんだかもうどうでもよくなってきた。


 この調子でいくと、駅前のちょっと感じのいいイタリアンに行くことはなさそうだなと、甘王は思っていた。まぁ、それはそれで構わない。




tokyo転生者 北区に住んでる光の勇者 第一部 完

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