第188話 魔法攻撃

「なんじゃ、あの打撃は」


 甘王のいる外野席のすぐ隣を、凄まじい勢いでボールが飛んで行った。

 打球が貫通した外野フェンスの金網は赤く溶解し焼け切れている。いくら硬球とはいえ、まるで砲弾を撃ち込まれたような破壊力だ。


「アプラズ!」


 オーラを確認する鑑定魔法だ。オーラの色や質で相手の能力を測ることができる。何者かに強化魔法を施されているのなら、この魔法で知ることができる。


「ほう」


 バッターボックスに立つボルオとかいう男のオーラを視認した。荒々しい炎のようなオーラが全身から噴き上がっている。バーサカー状態に陥った人間のオーラに近いが、野放図に広がるバーサカー状態とは異なり、ボルオはオーラを完璧にコントロールしている。


「あれほどの気を放つ人間が、この世界に存在するとはのう」


「ジーニャスにゃ。ジーニャス、ニャーと一緒にゃ」


「天才という奴か。野球に限ってということなのだろうが、あれは人の域ではないな」


 いくらあかねが身体能力に優れていようと、人の身であれと戦うのはきつかろう。天賦てんぶの才に恵まれた者を相手に、1年かそこらの生半可な努力など通用するはずがない。こと野球に関してなら、ボルオはすぐ隣に鎮座ちんざましますアホ勇者より遥かに上だろう。


「ふむ。わざわざ足を運んだ甲斐があったということか」


 今の甘王の力では、あかねに強化魔法を施すことはできない。魔力の資質がまるでない甘王隆の肉体に憑依ひょういした状態で使える魔法には限りがあるからだ。それでも、あかねを勝利に導く方法ならいくつかある。


「心配には及ばぬぞ、イ・モウトゥよ。ワシが必ず主を勝たせてやる」


 ぞわりと体毛がそそけだった。いい感触だ。最近は自分が魔王であるということを忘れがちになる。たかが遊びだとしても、強者を見るといい刺激になる。

 魔力が高まってくるのが感じ取れる。甘王隆の体がいかに魔力と相性が悪かろうと、泉のように湧き上がってくる魔力を押し留めることなどできはしない。



 南条がミットを構えると同時に、あかねが二投目のセットポジションに入った。ボルオはすでに構えている。


「ウテル、ウチマス、ウッテマ~ス、イマガソノトキウルトラソォゥ~ル」


 リズムを取りながら呟いている。ふざけているようにも見えるが、ボルオからの威圧感は増していく。何を投げても無駄。そんな風にすら思いかねない重圧だ。


「空振り狙いならシンカー、詰まらせるならもう一度スライダーだが」


 練習のとき、特に力を入れていたのが左打者であるボルオの外側へと逃げていくシンカーだ。あかねは完全決着を望んでいる。空振りを狙ってくる可能性が高い。


 あかねの腕が高く上がり、右足を軸に大きく踏み込んできた。オーバーハンドの全力投球だ。


「ストレートか」


 さっきと同じ高速スライダーの可能性もある。ボルオを出し抜く気でいるのなら、あえて同じ球種で勝負をかけてみるのも悪くはない。


 大きく踏み込み、右側頭部をかすめるようにあかねの右腕がしなる。

 リリースされたボールは南条のミット目掛けて一直線に飛んでくる。勢いのあるいい球筋だ。


「カァキィフ~ラァ~イッ!」


 呟いたボルオの体が不意に巨大化した。急速に発達した積乱雲せきらんうんのようにボルオの体積がふくれ上がり、バッターボックスを覆い尽くした。

 実際にボルオの体が巨大化したわけではない。だが、湧き上がってくる狂暴なまでに純粋なオーラが爆発的に増した。それがボルオの気配を強大にさせている。



「これは」


 討ち取れない。技術や技量の差異さいなどという問題ではない。ボルオの腕とその沿線上にあるバットの届く範囲に完全な結界が張り巡らされている。この結界に入り込んだ物質は、例え音速を超えて飛来しようと補足されて弾き飛ばされてしまうだろう。


「ネ、ネギシオ・・・・・」


 ボルオの動きに異変が起きていた。

 腰を中心に回転し始めたボルオの体が一切の動きを停止した。目に見えぬ巨人のてのひらに握り込まれたように不自然な態勢のまま、ボルオの体は硬直していた。


「攻撃魔法か・・・・・。どこだ?」


 何者かが、ボルオに向けて魔法攻撃を仕掛けている。

 ボルオの全身からき上がる膨大な量のオーラをおおい、その動きを完全に止めるとなると、単なる力押しの魔法攻撃というわけではない。人の、生物の筋肉の働きを熟知した者による、拘束こうそくを目的とする高度な魔法攻撃だ。


「魔王、甘王か」


 ボールが到達するコンマ数秒の世界の中で、南条は球場を埋める観客の全ての気を意識の中に取り込んだ。そうすることで、害意ある思念を割り出すことができる。


「レフトスタンド、外野席」


 外野席の芝生にあぐらをかいている甘王隆の姿が目に入った。妹であるあかねの試合を見物に来る可能性はあったが、人間同士の球技対決に関与してくるとは想定外だった。


「くっ!」


 無意識に南条は歯を喰いしばっていた。一度発動した魔法の効力を無効化する術はない。気の毒だがボルオは動きを止められたまま立ち尽くし、あかねの球を見送るしかない。


「シ、シッ、シメサバァ~!」


 固着した体を引き剥がすように、ボルオの上半身が動いた。


「馬鹿な」


 魔法適性の無い甘王の体に憑依しているとはいえ、術を掛けたのは魔王だ。生身の肉体でどうこうできるレべルの術ではないはずだ。


「オ、オコワ~っ!」


 ボルオの上腕の筋肉がぶちぶちと嫌な音を立てて千切ちぎれていく。このまま無理をすれば、筋組織自体が壊れてしまう。


 ボルオの握るバットがボールに接触した。体を動かすことでさえ困難な状況で、百キロを超える速度で飛来するボールにバットを当てたボルオの執念は驚嘆きょうたんに値する。


 気の抜けた音を立て、バットに当たったボールは空に向けて高く上がった。ゆるい当たりの、何の変哲へんてつもないキャッチャーフライだ。


「おおっと、これは驚いた。打球は天高く舞い上がりましたが、これはキャッチャーフライだぁ~!」


 アナウンサーの声が響く中、観客の誰もが宙に飛んだ白球の行方を追っていた。


「キャッチャーフライね。信じられない。勝ちよ、おでんちゃんの完全勝利よ」


 キャッチャーマスクを脱ぎ去り、南条は立ち上がって白球の落下予測地点へと移動した。ミットを構え、捕球態勢に入る。


「注目の対決は、元ミス河川敷、甘王あかね選手の勝~利ぃぃ!」


 視界の隅に、レフトの外野席であぐらをかく甘王隆の姿が映りこむ。魔力を視覚化するアプラズなど使わなくても、外野席から放たれる害意ある波動を全身が感じ取っている。


 頭上にかかげた腕を降ろし、南条は視線を外野席の甘王に向けた。


 ボールは音も立てず地面に衝突しょうとつして跳ね上がったあと、力なくグラウンドの上を転がっていった。


「ふぁ、ファール、ファールボール」


 キャッチャーボックスのやや後、完全なファウルゾーンに落ちた打球を指差し、球審が叫ぶ。


「うおぁっと、キャッチャー落としたぁ~。値千金あたいせんきんのキャッチャーフライを、まさかの取りこぼしぃ」


 アナウンサーの声と同時に、ホーム側の観客席から溜息と怒声が響き上がった。


「ええっっ。あれ落とす?絶好のチャンスで、キャッチャーあれ落としたりする?信じらんない。まじ最っ低ぇぇ!店長ゲキオコ」


 南条の行為は自軍だけでなく、敵軍からのブーイングも呼び起こしていた。


「シ、シオキャベツ」


 バッターボックスで膝をついているボルオを見下ろした。術は解けている。

 

 敵味方両方からの野次を浴びながら、南条は転がっているボールを拾い上げた。

 捕球していれば、あかねの勝利で終わった。だが、わざとボールをキャッチしなかった。敵であるボルオの為ではない。だからといってあかねの為でもない。


「人は、人間は貴様のおもちゃではないぞ、魔王!」


 腹の底から怒りが込み上げてきた。


 南条は白球を握り締め、ワインドアップの態勢から体を捻り、力任ちからまかせにボールを投げつけた。

 手から離れたボールは加速を続け、大気を切り裂く唸りを上げて一直線にレフトスタンド目掛けて飛んだ。


 観客席からの野次が消え、誰もが息を呑んで南条の投球を見つめていた。地面すれすれに飛ぶ硬球は、グラウンドの土と五月の芝を巻き上げながら97メートル先にある外野席に向かっていく。

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