第187話 怪物

「さあ、いよいよ注目の対決が始まります。前代未聞、砂塵さじん舞うグラウンドで相対する二人の戦士。始球式の名を借りた真昼の決闘が、今、幕を開けます」


「一年に渡る二人の因縁に、今日結着がつくのよね。ほんと、店長大興奮!」


「この対決はお花テレビ赤羽を通し、北区各家庭に生中継でお届けしております。さてさて店長さん、この始球式、従来のものとは異なり、新たなルールがもうけられています」


「まぁどんな?どんなルールがあるの?」


「始球式特別ルールを説明させていただきます。ルールは始球式ただ一投だけ、一球のみの勝負となります。甘王あかねさんが投げたボールをホームランにすればボルオ選手の勝ち。空振り、内野安打なら甘王あかねさんの勝利が確定します」


「まぁ、ボルオちゃんはホームランだけなの?それってちょっと不利じゃない?」


「ホームラン以外は負けでいいと、ボルオ選手からの強い要望があり、このルールで両者合意しています」


「まぁなんて自信、なんて覚悟。さすがは野球の神に愛された男ね」


「対する甘王あかねさんも、必ず空振りで決着をつけるから問題ないと発言しています。このあたり、両者とも強気ですねぇ」


「敬遠以外全打席ホームランを放ってるボルちゃんにここまでいうなんて、あかねちゃんの自信も相当な物ね、店長大感激!」


 球場のスピーカーから流れる実況の声を聴きながら、南条はキャッチャーボックスに入った。

 球審が南条の背後に立ち、準備はいいかと訊ねてきた。目を向けるとマウンドの上のあかねが小さく頷く。

 準備は整っていると告げると、球審は背後の放送席に向けて右手を上げた。


「試合に先立ちまして、昨年度ミス河川敷、甘王あかねさんによる始球式を開始します。バッターは、昨年同様、ボルオ・トバス選手が務めます」


 ウグイス嬢の声がスピーカーから響く。

 体裁ていさいこそ始球式だが、これから行われるのは、あかねとボルオの決闘に他ならない。


「アオノリ、テンカス、ベニショ~ガ!」


 バッターズサークルに入ったボルオに、チームメイトがバットを手渡した。1メートルはある、木製の巨大なバットだった。


「ゼンブカケレバヤキソバオイシ~!」


 バッターズサークルの中で、ボルオが巨大なバットを一振りした。一拍いっぱく遅れで、鈍い音と共に旋風せんぷうが巻き起こった。


「くっ」


 咄嗟とっさに体が反応し、ボルオから距離を取っていた。近距離からウォーハンマーの一撃を見舞われたような威圧感が、南条を後退させていた。これほどの圧力を感じたのは、転生前の世界でも数度しかない。


「この男」


 つぶやいてボルオに目を向けた。岩盤を組み上げて作り上げたような巨躯きょくの上に、不釣り合いなほど幼い顔が乗っている。

 だがボルオが振り回した巨大なバットは、人体なら一撃でバラバラにしてしまうほどの威力を秘めていた。


「キノドクデ~スガ、サヨナラデ~ス!」


 食い物の名前しか言えないのかと思っていたがそうでもないらしい。意思の疎通そつうくらいは図れるのかもしれない。


 ボルオの巨体が、左のバッターボックスに収まった。スタンスは広く、腰を後方に突き出したそのフォームは南条の知るプロ野球の選手たちとは異なるものだった。打席の縦線ギリギリにまで寄せて構えているのは、死球などみじんも恐れていない決意の表れだろう。


手強てごわいな」


 つぶやき、キャッチャーズボックスに戻り腰を落とした。マスクを被り、正面に立つあかねにだけ視線を注ぐ。これはあかねの闘いだ。南条はただ、あかねの投げるボールを捕えればいい。


「プレイボール!」


 主審の声に観客席から歓声が上がる。始球式という名のあかねとボルオの決闘は、ある意味、本戦より注目を浴びている。


 南条は中腰のままミットを正面に構え、あかねの投球に備えた。この勝負は一球のみで、討ち取るか打たれるかのふたつしかない。南条の仕事は、あかねの投げた球を受け取る。ただそれだけだ。


「フンフフンフン!」


 左打席のボルオの口から洩れてくる呼吸音は、内包するエネルギーを爆発させる瞬間を待つ、巨大トレーラーのエンジン音を彷彿ほうふつさせた。


「初球だけの勝負。全力で来い」


 届かぬ声をあかねに送った。どんな球が来ても絶対に捕球する。


 セットポジションに入ったあかねが、両腕を頭の上へと上げる。右脚を軸に、大きく振りかぶって第一球を投げた。


「インコース高めストレート」


 球筋たますじから判断し、体重を移動してミットを右よりに構えた。空振りを狙うのに絶好の球筋だ。


 ボルオの左足が半歩下がっていた。あかねがセットポジションに入った際とは異なる位置だ。

 球筋が読まれている。南条の背筋に悪寒おかんはしる。ボールがあかねの手から離れる前から、ボルオはあかねの狙いを読んでいたことになる。


「まずい」


 1秒に満たない刻まれた時の中で、南条はあかねの敗北をさとった。バットに触れさえすれば、ボルオはいとも簡単に124グラムの硬球を122メートル先のバックスクリーンに叩き込める。


 南条の眼前を、一陣の疾風しっぷうが駆け抜けた。ボルオのスイングは、動体視力に優れた南条の目を持ってしてもとらえられなかった。それでも南条の目は、打ち放たれた打球の行方ゆくえだけは見逃さなかった。

 凄まじい速度で打ち返された白球は、一直線にレフトスタンドに向けて飛んで行った。


 打球はレフトスタンドの外野フェンスを突き抜けて球場の外へと飛び、場外にある灌木かんぼくをなぎ倒し荒川の中腹に落下して盛大な水飛沫みずしぶきを上げた。飛距離にして300メートル。これが公式の試合であったのなら間違いなく世界記録だが、建造されたばかりのリバーサイド荒川球場には飛距離測定用の弾道測定器が設置されていない。


「ファ、ファウルボール」


 誰もがその場で動きを止めて打球の行方を追っている中、球審がファウルを告げる声を上げた。

 打球が飛んだレフトスタンドに目を向けると、外野フェンスの金網に穴が空いているのが見て取れた。どれほどのスピードで衝突したのかは知れないが、スチール製の金網が焼け焦げ白煙を上げている。


「ご来場、ご観戦の皆様にお願いいたします。試合中のファールボールの行方には十分にご注意下さい」


 ボルオの打球の凄まじさに沈黙している球場に、ウグイス嬢の間延まのびした声が響き渡った。


「ファール、ファールです。打球はレフトスタンドを超えましたが、ファウルライン僅かに外側。しかし、しかしそれでも凄まじい打球です」


 スピーカーから興奮したアナウンサーの声が響いていくる。それを合図に、両軍の観客席から歓声が上がる。


「ボルオちゃんも凄いけど、おでんちゃんの投球も凄かったわね。あれ、高速スライダーよ。ストレートだと思わせといて、直前でキュインって左に曲がちゃったの」


「驚きました。球速は122キロ。女性投手の日本記録には及びませんが、それでも信じられないほどのスピードです。それがスライダーとは」


「握力ね。握力がめちゃめちゃ強いのよ、おでんちゃん。握手会でも開いたら、弱者男性は地獄を見るわね」


 あかねがスライダーを使えることに南条も驚いていた。だがそれ以上に驚かされたのははボルオの動きだ。


 打者手前でさらに内側に変化したボールは、完全にボルオのタイミングを狂わせていた。

 だがボルオの目は変化したボールの軌道を捉え、フルスイングの最中に動きを止めた。打つことを諦め、ボールにバットを当てることだけに専念したのだ。


「当てただけでもあの威力か」


 南条の口の中がかわいていた。ストレートだったなら、ボールは完全に場外へ運ばれていた。


 異世界の戦場で、つぶての投げ合いを経験したことがある。弓隊などいない戦闘では、互いの兵による投石から戦が始まるといっても過言ではない。

 強化魔法をほどされ、肉体を強化された兵士の投石を目にしたことがあるが、それでも今のボルオの打撃には遠く及ばない。


「あかねさん」


 マウンドのあかねに表情は無い。今のスライダーは、あかねの勝負球だったに違いない。その一投を、ファールとはいえ完全に場外へ飛ばされた。動揺していないわけはない。


「大丈夫」


 立ち上がり、あかねの下へ駆けつけようとした南条に向けて、あかねの唇が動いた。確かに、ファールはノーカウントだ。どれだけ遠くへ飛ばされようと、勝敗には関係ない。


「まだ手はある。そういうことか」


 キャッチャーボックスに腰を下ろし、ミットを構えた。隣に立つ怪物は、くちゃくちゃと音を立ててガムを噛んでいる。とんでもない怪物だが、あかねの闘志は欠片かけらも衰えていない。

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