第171話 突入

「捕獲班、集まれ」


 犯人確保役の秋津川とイタノがのろのろと近づいてくる。二人とも明らかに動揺している。


「あんな設定あるわけないですよ。逃げたほうがよくないすっか?」

 

 不安そうに秋津川がゾンビの群れに目を向ける。ゾンビ化した訓練参加者は優に五十は超えている。


「これはあくまで訓練だ。敵もそう言ってる。おくするな」


「でも、掴まれたらアウトだろう?これじゃ甘王に近づくこともできない」


 南条と同世代のイタノだ。警備業について五年になるイタノはさすがに秋津川よりは落ち着いている。


「あれを使う」


 通路の隅に寄せて置いた警備グッズを指差した。防犯訓練の後半に、模範演技として各種防犯グッズの取り扱い説明があるはずだった。

 

 南条はグッズの中から防犯盾ぼうはんたてを取り出した。透明で前方が見えるポリカーボネート仕様の盾は、投石などから身を守るよう、かがめば人一人をおおうほどの大きさがある。


「ゾンビどもの動きは遅い。それに今のところ、目の前にいる人間にだけ襲い掛かっている。三人一組で盾を構え、ゾンビどもを突破して甘王の体に触れる」


 南条を先頭に左右から腕を組み盾を構えると、前後左右からの攻撃にも耐えうるバリケードが出来上がった。


「気を引き締めろ。甘王に接近したら、誰でもいいから奴の体に触れる。いいな?」


南条の言葉に、イタノは頷くが秋津川は虚ろな目で見返してくるだけだ。


「秋津川」

 

 南条の声で秋津川が我に返る。


「こんなの訓練じゃないよ。あれ見てよ、どう見たってまともじゃない」


 コンコースを埋め尽くすほどに増殖したストレスゾンビどもを指差し、秋津川がわめく。


「ねぇ、もう逃げちゃいましょうよ。こんなの訓練じゃないですよ。ここで逃げたって誰もおれらを責めたりしませんよ」


 秋津川の声に、イタノの表情にも戸惑とまどいが浮かび始めている。


「逃げたければ逃げてもいい」


 秋津川が顔を上げて南条に目を向ける。


「だが、被害を最小限に抑えられる可能性があるのは今ここにいる俺たちだけだ。そのチャンスを失するわけにはいかない」


「相変わらずヒーロー気取りなんだ南条さんは」


 卑屈な顔で秋津川が笑う。


「やるべきことがあり、やれる状況であるなら、それをやる。ただそれだけのことだ」


 南条の視線が秋津川からイタノへと移る。  


「やれますか?」


 秋津川でなくイタノに問いかけた。


「やるよ、南条」


 曇りの晴れた顔でイタノが頷く。


「きみはどうだ?」


 秋津川は渋々しぶしぶ頷いた。納得したわけでなく、場の雰囲気に呑まれてしまった結果だ。


「もう迷うな。行くぞ」


 南条の声に従って動き始めた。動く物に反応するのか、三人で作り上げたバリケードにゾンビどもが群がってくる。


 バリケードがゾンビに群れに突入した。ゾンビを押し戻す鈍い衝撃が防護盾越しに伝わってくるが、思いのほか抵抗は弱かった。手を伸ばし掴みかかってくるゾンビもいるにはいたが、身を屈めた南条達の腕を掴むことはできないようだ。


「行ける。行けるぞ南条!」


 興奮気味にイタノが声を上げる。


「盾はうまく扱えば、騎馬隊の攻撃だって防ぎきれる」


「まるで前に盾持って戦ったことがあるみたいな言い方ですねそれ」


 溜息を吐きながら秋津川が揶揄やゆする。


「ラノベだ。前にラノベで読んだことがある」


 南条の返しに、揶揄した秋津川だけでなく、イタノまで苦笑した。


「距離を詰めろ。あとわずかだ」


 透明の盾の先に、腕を組んだまま身動きしない甘王の姿が見える。あと十数メートルも進めば、甘王に手が届く。


 順調に進んでいたバリケードの動きが止まった。甘王まであと数メートルの位置だ。盾の動きをふうじているのは、ゾンビの中でも特に大柄な男たちだった。


「まずい。押し込めるか?」


 南条の声に焦りがにじむ。足を止めれば、バリケードにゾンビどもが殺到さっとうする。


 一際大きな声を上げるゾンビと衝突した。百三十キロは超えていそうな大男だ。


「こいつ知ってる。24階のオフィスにるエンジニアだ」


 透明の盾越しに顔を突き合わせているイタノが叫ぶ。


「かつ丼、かつ丼喰いてぇ~」


 大男ゾンビの叫びが鼓膜こまくを震わせる。


「かつ丼くらい喰えばいいじゃねぇかこの野郎。ダイエット中か?」


 盾を挟んでイタノと大男がにらみあっている。


 前進するバリケードと、襲いくるゾンビの群れとの力が拮抗きっこうする。なんのつもりかは知らないが、甘王は訓練開始位置から一歩も動かない。あと1メートルで甘王の下に辿り着く。


「ここが勝負だ。みとどまれ」


 大男ゾンビを押しのけた。甘王は目と鼻の先だ。

 バリケードの押す力が不意に弱くなった。ゾンビの圧力が増し、押し戻される。


「あいつ、秋津川」


 イタノの呻きが聞こえたが無視した。圧力が増した瞬間、南条は何が起こったのか理解した。


「あれ見ろよ」


 イタノの指差す先に目を向けると、ツリーロビーに向かって一目散に逃げていく秋津川の背中が見えた。


「あいつ、土壇場どたんばで裏切りやがって」


 吐き捨てるようにイタノが呻く。だが南条は一瞬にしてこれが甘王の策略だと理解した。


 ゾンビの群れの中に隙間すきまが生まれていた。それはまるで一本の道のように、避難所であるツリーロビーまで続いていた。


 戦力の拮抗した闘いの場にいては、ほんのわずかな気の緩みが敗因につながる。気のゆるみは、自軍の士気の低下だけでなく、敵の策略で生まれることもある。


 ゾンビの群れの中に退路を作ることで、甘王は秋津川に揺さぶりをかけたのだ。一瞬たりとも気を抜けない状況下で、突如目の前に脱出路が現れる。あとが無いと腹をくくっていた秋津川は、助かるかもしれないと知って逃走した。

 必死の覚悟で攻める南条たち3人の結束を分断することこそが甘王の狙いだ。臆病風おくびょうかぜに吹かれた秋津川一人逃したとしても、この場で南条とイタノを始末することができるのなら、作戦としては成功だ。


撤退てったいする。陣形をくずすな」


 逃げ腰になるイタノを叱咤しったした。一人は逃がしても残る二人は逃さない。甘王はそう考えている。今ここでバラバラになれば、必ずやられる。


 防護盾を構えながら後退を始めた。襲い掛かるゾンビの圧力を受け流す為に、南条とイタノは背中合わせに回転しながら移動する。


 群がるゾンビどもの数は五十を超えている。圧力自体は決して強くないが、ゾンビどもは口々に不平不満をわめき散らしている。耳をおおわんばかりの怨嗟えんさの声は、それを聞く南条とイタノの精神を容赦なくけずり取っていく。


 あと少しでツリーロビーというところで、イタノが何かにつまづいた。バランスを崩し床に転がったイタノに向けて、ゾンビどもの手が伸びる。


「南条、逃げてくれ」


 十数人のゾンビに掴まれたイタノが絶叫した。イタノが躓いたのは、秋津川が放り捨てた防護盾だった。

 立ち上がったイタノは、自分の盾と床に捨て置かれた秋津川の盾を両手に構え、南条に殺到するゾンビの前に立ちふさがった。


「ここはまかせろ南条。とにかくお前は引け。あとは頼んだぞ」


 その声を最後に、イタノの姿は殺到するゾンビの群れの中に消えた。


「イタノさん」


 声に反応したゾンビどもが十重二十重と南条の前に立ち塞がる。

 それでも構わずイタノを救出しようと足を踏み出した南条の耳に、イタノの声が響いた。


「南条~」


 虚ろな目で南条を見るイタノは、もう先ほどまでのイタノでは無かった。


「いいなぁ~南条~、見てくれよくって物腰ものごしやわらかくって、テナントの女の子たちにきゃ~きゃ~言われちゃって。うらやましいなぁ、ねたましいなぁ、死んでくれねぇかなぁ南条~、なぁんでお前だけバレンダインにチョコ山ほどもらってんだよ、悔しいなぁ腹立つなぁムカつくなぁ~、良かったらどうぞっていわれたって、人が貰ったチョコなんかいるかよ馬鹿野郎~」


「くっ!」


 その場で反転して避難所へ向かった。正面とは異なり、背後に回り込んだゾンビは少数だったから、避難所であるツリーロビーには容易よういにたどり着けた。

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