第172話 生まれてきた意味

 電源をオフにした自動ドアを内側から開き、ワタナベが南条をむかい入れた。先に逃げた秋津川も中にいて、避難してきた訓練参加者と共に床に座り込んでいる。


 秋津川に文句を言っても始まらない。甘王の策を見抜けなかったのは自分が悪い。


「ここにいるのは40人ほどだ。参加者の大半はもう」


 絶望的な面持ちで、ワタナベが自動ドアの先に目を向ける。

 残り40人ということは、すでに参加者の半数以上がゾンビ化しているということだ。


「とりあえずここは安全みたいです、みんな不安そうですけどね」


 通報班のマエダがスマホを取り出して南条に見せる。


「スマホが圏外になってるんです。俺らのスマホだけじゃなくって、ここにいる人達みんなのも」


「甘王はおそらく事前にこのエリアのアンテナを無効化している。スマホは役に立たない」


「でもそんなことしたら大変なことになりますよ。下手したら甘王、クビになりますよ」


「訓練中のスマホ使用は禁止されている。それを拡大解釈し、エリアのアンテナを無効化したのだといって乗り切るつもりだろう。いずれにせよ外部からの助けは来ないな」


 ドンドンとガラスを叩く音がした。地下通路とロビーをへだてるガラスの先は、大量のゾンビで覆われている。


「でもあとニ十分もすれば、訓練終了時刻だよ。そしたら元に戻るんだよね」


 ワタナベの指摘してき通り、訓練終了まであとわずかだ。だが本当に、時間が来れば甘王は訓練を終わらせるのだろうか?


「ねぇねぇちょっと。いい加減にどうにかしてちょうだいよ。これ訓練なんでしょ?なんでスマホまで使えないのよ。もうそろそろわたしお店に戻らないといけないんだけど」


 参加者の中から、小太りの男が立ち上がり、南条たちに詰め寄ってきた。


「あいつ、おひさまマートの新任店長なんですけど、さっきから愚痴ばっかりいってて」


「なんなのあれ気持ち悪い。店長ねぇ、さっさと戻って春巻き揚げなきゃならないの。だからおふざけは終わりにして帰してくれない?」


「もうじき終わります。だからもう少しお待ちください」


 丁重に説明したつもりだが、男は更に激高げっこうし始めた。


「もう嫌なのよ、怖いのも気持ち悪いのも。あんなふざけたお芝居いつまで続けるつもり?あんたら頭おかしいんじゃない?」


 男の顔に見覚えがあったが、南条はどこで男と顔を合わせたのか思い出せずにいた。


「まったくもう。ほんと腹が立つわよ。いい加減にしなさいよ、せっかく新店舗の店長になれたっていうのに、なんでこんな訓練に店長の、店長であるわたしがでなきゃならないのよ」


 短い両手をバタバタと動かし、興奮気味にまくし立てる男の様子は異様だった。極度の緊張の為、パニックにおちいっているのかもしれない。


「あなた、大丈夫ですか?少し落ち着いて」


 ワタナベが男に近づいた。古参のワタナベはクレーム対応にけている。


「とにかくちょっと座って休んだほうがいいですよ」


 男の肩に手をかけ、ワタナベはロビー中央にあるソファを指差した。


「まったく、いつだって春巻き売れ残るんだから。みんなもっと春巻き食べればいいのよ。春巻きだけ食べて生きていけばいいのよ」


 男の手がワタナベの手首を掴んだ。


「あんたもそ~う思うでしょう~?ボラッチェ~!」


 意味不明の叫びとともに、男は口から大量の緑の液体を吐き出した。


「ひっ、ぞ、ゾンビ」


 男とワタナベのすぐ隣にいたマエダが叫びを上げた。その声は閉鎖されたロビーに響き渡り、床に座りこんでいた訓練参加者に動揺を与えた。


「ケッポルッチャ~、は~る~ま~き~、春巻き買ってよ~」


「じじぃじじぃってお前ら、人間、歳とりゃあ誰だってじじぃになるんだよ、目上の者をもっと敬えやガキども~」


 ゾンビ化した店長とワタナベがマエダに襲いかかった。


「嫌だ。嫌だぁ~。なりたくない。あんなふうになりたく・・・・・」


 マエダの叫びが途絶とだえた。


牛蒡坂ごぼうざかの握手会で7時間並んだんだよ~、7時間。なのになんで俺の直前で体調不良で中止になるんだよぅ~、握手くらいしてくれたっていいだろうがよぉ。運営何考えてるんだよぉ~」


 マエダがわめきながら座り込んでいる訓練参加者の中に突っ込んでいく。悲鳴と怒号が入り交じり、ロビーは騒然とした。参加者たちは逃げまどうが、通路とは異なり箱型のロビーの中には逃げ場が無い。閉鎖空間の中で次々と感染は広がり、わずか数分で参加者の大多数がゾンビと化した。


「なぜだ。どうしてこうなった」


 ゾンビの襲撃を回避しながら、南条は自問自答を繰り返していた。そしてようやく、その答えを見つけ出した。


 未だ逃げ惑う者たちの中に、秋津川の姿を認めた。ゾンビを避けながら、南条は秋津川へと距離を詰めた。


「秋津川」


 秋津川の手首を掴んだ。ゾンビに掴まれたと勘違いした秋津川は手を振りほどこうと派手に暴れる。


「な、南条!」


 秋津川の顔が恐怖にゆがんだ。秋津川にとっては、ゾンビに掴まれるより恐ろしかったのかもしれない。


「俺のせいじゃない。俺は悪くないんだ。こんなのおかしいよ。俺まだ新人なんだから、こんな訓練無理に決まってるじゃないか。もう辞めるよこんな会社。だから許してよ。見逃してくれよ」


 南条から目を背け、秋津川は子供のようにロビーの床に座り込んだ。


「落ち着け。傷つけはしない」


 襟首えりくびをつかみ秋津川を立ち上がらせると、ロビーの柱のかげに連れ込んだ。


「秋津川、秋津川くん、よく聞いいてくれ。きみはあれを持っているだろう?」


「あれ?なんですかあれって?おれの、おれの持ってるものなら何でも渡しますから、だから殴らないで」


「わたしが欲しいのは、きみが持っているマスターキーカードだ」


 呆けたような顔で南条を見つめたあと、秋津川は首からかけているストラップを引き、服の内側にしまい込んでいたグリーンのカードを取り出した。


「そうだ。これ持ってたんだ」


「訓練終了後、すみやかに仕事に戻れるよう、きみだけに渡されていたカードだ」


「ええ。おれだけまだ仕事があるから、センター長が・・・・・」


「マスターキーカードを使えば、普段開かないドアも開く。この意味が解るな?」


 マスターキーカードを握りしめる秋津川の顔が明るくなる。


「これで、ここから出られるんですね」


 無言で頷き、南条はロビーの一角にある扉を指し示した。


「あの扉から出る。ゾンビどもに捕まるなよ」


 阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄と化しているロビーを見廻し、秋津川はつばを飲み込んだ。


「行くぞ」


 秋津川を先頭にして、ロビーを横切り、立ち入り禁止の文字が印字された鉄製のドアへと走った。

 


 ドアを開き、薄暗い廊下に滑り込んだ。ロビーの騒乱が嘘のように消え、静まり返った廊下に靴音が響く。


「た、助かったぁ」


 廊下に座り込んで秋津川が息をく。


「従業員用のバックヤード通路だ。一般の施設利用者は入ってこれない」


「よかった。なんでもっと早く気づかなかったんだろう」


「緊急時以外使用しない通路だからな」


「これで逃げられる」


 そういいながら秋津川は入ってきたドアに目を向けた。扉の向こうからは、未だ騒乱の音がかすかに漏れ聞こえてくる。


「いや、逃げはしない」


「だ、だって逃げ出す為にここに来たんでしょ?」


 南条は闇が続く通路の先を指差した。


「この廊下は地下通路と並行している。ここを使えば、ゾンビどもを避けて甘王の背後に出られる」


「な、なに言ってるんですか。もう無理ですよ。逃げましょうよ。ね?逃げちゃえば、そのうち勝手に訓練終了しますよ」


「終わらない。奴は言っていただろう?訓練が終わるかどうかはあなた方次第だと」


「そんな・・・・・」


 秋津川の全身が小刻みに震え始めた。事の大きさにようやく気付いたようだ。


「だから反撃する。油断している甘王を背後から襲う」


「だったら、このカードを渡します。南条さんに渡しますから」


 首に掛けたストラップを外し、秋津川はマスターキーカードを南条に差し出した。


「南条さん一人で行って下さい。頑張がんばって下さい。応援しています」


「きみの助けがいる。俺たち二人で決着をつける」


廊下に座り込んだまま子供のように体を丸める秋津川の前に、南条は膝を着いた。


「強制はしない。逃げるのにも勇気がいるのだろうしな。だが逃げ続ける先に終わりは無い。いつまでもどこまでも、ただひたすら何かにおびえながら生きて行く。それは前に進むよりずっと過酷な未来だ」


 膝を抱えてうずくまる 秋津川は顔すら上げない。


「そんなこと言われたって無理ですよ。俺のことわかったでしょう?意気地が無くて卑怯で、何をしてもダメな男なんです。生まれてきた意味なんてない、最低の人間なんですよ。わかるでしょ?」


「仕方ない。カードを渡してくれ」

 

 差し出されたカードを手にした南条は、誰もいない廊下を歩き始めた。


「南条さん」


 秋津川の声に振り返らず、南条はただ歩みを止めた。


「南条さんはいいですね。なんかカッコよくって、生まれてきたことにちゃんと意味があるみたいで」


「意味はあったさ」


 自分の両手を見つめながら南条が答える。


「課せられた運命を受け入れ、与えられた使命をまっとうしろと言われた。お前が死ねばすべての希望は閉ざされるからと、おれをかばって死んで行く仲間を見ながら生きながらえた。おれには、死ぬ自由すら与えられていなかった」


 薄暗い廊下の天井を仰ぎ見ながら南条は続ける。


「生まれてきたことに意味などありはしない。意味などあってはいけないんだ。人はただ生れ落ち、与えられた環境の中で最善を尽くし生きていけばいい。生まれてきた意味など、年老いて死を前にしたときに見出みいだせればそれでいい。その程度のものだ」


 薄暗がりの中、心なしか南条の身体が輝いて見えた。


「この先に、わたしが生まれてきた意味を知る男が待っている」


 再び歩き始めた南条の背中は、今までとは異なり、なぜか酷く悲し気に見えた。

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