第173話 訓練終了

 訓練開始から55分が経過していた。あと5分で訓練は終わるが、甘王は訓練開始を告げたその場から一歩も動いてはいなかった。


 微量びりょうな魔力を使って、人間どもをゾンビに作り替えた。魔法と呼ぶよりは催眠と呼んだ方がいいような稚拙ちせつな術で、要は普段人間どもがひた隠しにしている欲望をさらけ出してやっただけに過ぎない。


 人によって術の効きがまちまちであることが不安材料だったが、籠城ろうじょうした者たちの中にいた感染者が、時間差でゾンビ化してくれたおかげで、ツリーロビーに逃げ込んだ者たちを労せず殲滅せんめつできた。


 手間も掛けず、短時間でこれだけの人数をゾンビ化できたのは大きな発見だった。このまま訓練を終了し術の効果を消し去ってしまうのは惜しい気がした。


 文明大国などとのたまっているくせに、この国の人間どもはどいつもこいつも抑圧された欲望を抱え込んで生きている。

 このまま感染者を街中に解き放ち、首都を崩壊させてしまうのも一興だ。感染源を特定するには時間がかかるだろうし、感染者から本物のウィルスが検出されるわけでもない。中心に甘王がいると特定されたところで法的には何ひとつ問題はないから、この国の行政組織が甘王を拘束することもない。


 面白い。愉快すぎる。


 ただひとつ懸念けねんすべき事案があるとするなら、アホ勇者の存在だ。勇者といえど人間である限り、抑圧された欲望の一つや二つはあるだろうから、ゾンビに腕を掴ませてしまえばこちらの勝ちなのだが、今のところ阿呆がゾンビ化したという情報はない。


「甘王く~ん、ツリーロビーに南条はいなかったぞ~」


 ゾンビ化したシノダが報告に来た。シノダは甘王と同じ犯人役だから、事前に念入りに術を掛け、完全な手駒と化してから訓練にのぞんだ。他のゾンビどもとは違い、独自に思考し意思疎通いしそつうも図れる、副官にするにはうってつけの存在だった。


「秋津川はどうした?あやつの姿も消えておろう」


 シノダが首をひねる。新人の秋津川のことをシノダは毛嫌いしてた。


「どうせ逃げ惑ってるんでしょうよ~。あんなク~ズ、放っておいたって問題ないでしょう~」


「その油断が禁物なのだよシノダさん。特にあのアホ勇者がまだ捕まってないうちはな」


 完全な手駒であるはずのシノダに敬称をつけて呼んでいる。人間である甘王の影響なのだろうが、目上の者を呼び捨てにすることには抵抗がある。

 とにかく南条を徹底的に捜索する。訓練現場から逃げ出しているのなら、訓練は継続し、訓練エリアも無限大に拡大する。


 邪悪な笑みと共に、眠っていた闇の瘴気しょうきが騒ぎ出す。魔法適正のない甘王の肉体からですら漏れだすほどの瘴気だ。場合によってはこのまま魔王として覚醒できるかもしれない。


「時間ぎりぎりだが、間に合ったようだ」


 背後から声がした。なかば予想していた声だから驚きはしなかった。


「遅かったではないか。明日からワシは連休なのでな、さっさと終わらせたくってウズウズしておったところじゃ」


 シノダを始めとするゾンビたちが甘王の背後に移動し壁を作る。


「本当か?訓練が楽しくて仕方がないように見えるが」


「仕事は楽しむことにしておる。そうでないとストレスがまるでのぅ」


 振り返るとそこには懐かしい勇者の姿があった。髪の色も目の色も違うし、目鼻立ちも以前とは別人だが、身体の内から噴き上がってくる強烈な覇気はきは勇者のものに他ならない。


「背後から急襲きゅうしゅうしてぼくに触れればよいものを、わざわざお声掛けいただけるとは、恐悦至極きょうえつしごくに存じます、南条さん」


「ご丁寧ていねいなあいさつ痛み入るな甘王くん。だが心配には及ばない。この位置からならゾンビたちの攻撃をかわしてきみに触れることなど造作もない」


「へぇ、だったら試してみたらどうです?でもご注意下さい。訓練参加者から怪我人を出したりしたらセンター長に怒られますよ。ああ、あとそれから」


 言葉を切って振り返った。案の定、そこには姿を消していた秋津川がいた。


「どういうことなんでしょうね後輩秋津川くん。きみはあんなに南条さんのことをディスってたじゃありませんか。それがどうして危険をおかしてまで肩入れするんですか?」


 甘王に睨まれた秋津川はその場で硬直した。今の甘王からは魔王の瘴気が溢れ出している。並みの人間なら恐怖に駆られて動くこともままならない。


「まぁいいでしょう。あなたみたいな臆病者がここまで来れただけでも驚嘆きょうたんに値します。あとはそこでゾンビと化して、得意の泣き言を存分に垂れ流して下さい」


 甘王が目配せすると、すぐ近くにいたOLゾンビが秋津川の腕を掴んだ。これで秋津川に対する懸念も無くなった。残るは勇者のみだ。


「どうれ、そろそろ決着をつけるとしようか勇者殿。言っておくが、こやつらゾンビどもは自らのストレスでゾンビ化している故、闇の瘴気の影響はほとんど受けておらん。光の加護も効きはせぬし、基本いまだ人間じゃ。手荒くあつこうたら簡単に壊れてしまう。そこを良く理解したうえで行動することだな」


 要は人質を取っているということだ。言わずもがなだが、何しろ今の自分は悪役なのだ。悪役は悪役らしくしなければならない。


「例え怪我人がでようとも、貴様のたくらみはここで防ぐ」


 南条の身体から光がこぼれだす。光の勇者のオーラ。の光を想起そうきさせる、真朱色まそういろのオーラだ。


「シュッ!」


 鋭い呼気と共に、甘王の視界から南条の身体が消えた。人の目では捉えきれない速度で移動している。

 次に南条の姿を視認したとき、南条はすぐ隣にいた。腕を伸ばし、突き出した指先が甘王の額に飛ぶ。


「魔王、捕まえ!!」


 南条の動きがにぶる。怪我人を出しても構わないと覚悟を決めたはずの南条の闘気が大きく揺らいでいた。


「あ、明奈さん!」


 甘王と南条の間に立っていたのは、共通の知り合いでもある刑部明奈おさかべあきなだった。


「どうしてここに」


 うつむいたまま動かない明奈に、南条が声を掛ける。


「南条さん・・・・・」


 明奈が顔を上げて南条を見た。そして次の瞬間、明奈の両手は南条の左手首をがっちりと握りしめた。


「南条さん、どうしていっつもわたしのこと子供扱いするの~?」


「ゾンビ。魔王、貴様!」


 通勤途中、偶然駅で明奈に出会った。甘王と南条が同じ職場で働いていることは承知していたようで、刑部は職場での南条の様子をさかんに訊ねてきた。

 いい加減答えるのが面倒になった甘王は、今日の防犯訓練に南条と共に参加するから見に来てはどうかと話して聞かせた。まさか本当に来るとは思ってもいなかったが、明奈は見学にやってきた。


 どうせ見学するのなら、いっそのこと訓練に参加して南条を驚かせればいいと勧め、明奈を対南条戦の切り札として温存おんぞんしておいたのが、今になって生きた。


「ひっかかりおったなバカ勇者が。これで貴様も終わりだ。可愛いお友達と一緒にゾンビと化して未来永劫みらいえいごうさまようといい。光の勇者がどんな愚痴を垂れ流すのか、しっかりスマホに録画しておいてやるわ。もっとも主がこの先、録画を見ることはないだろうがなぁ」


 仕掛けた罠にはまりこんでくれた爽快感そうかいかんと、昔年せきねんの恨みが積み重なり、腹の底から笑いが込み上げてきた。これほどまでにいい気分に浸れるのなら、人間のままでいるのも悪いことではない。


「かっかかか!うっひひひ。ば~かば~かバカ勇者。お前なんぞを倒すのに魔力など必要ないわ、このドアホウが。まったく笑わせてくれる。うぃっひっひ~。最高。お前バカで本当に最高!」


 背後から肩を突っつかれた。笑いを押し殺し、振り返って背後に立つ男に目を向けた。


「なんじゃ、うるさいのぉ、今ワシは忙しいのじゃぞ」


「魔王、捕まえた!」


「へっ?」


 甘王の後ろに立ち、指先で背中に触れているのは秋津川だった。


「甘王先輩、捕まえた」


「あ、そうなの?でもきみって、もうゾンビだよね」


「いや、まだゾンビ化してないっす。だからこれで訓練終了です甘王先輩」


「ええっ!なんでどうして?だってさっきそこのお姉さんに腕掴まれてたよね後輩秋津川」


「タイムラグだ」


 秋津川の代わりに応えたのは、明奈の腕から逃れた南条だった。


「タイムラグだと?」


「ゾンビ化するまでの時間は人によってまちまちだ。すぐに発症するものもいれば、ツリーロビーの男のように、しばらくしてからゾンビ化するものもいる。それが答えだ」


「どういうこと?」


「十数秒でゾンビ化するはずなのに、なぜ彼だけが十分以上ゾンビ化しなかったのか?」


 そこまで言われた段階で、甘王は全てを理解した。言われてみれば、なぜそこに思い至らなかったのか不思議なくらい単純な話だった。


「彼は以前わたしが働いていたコンビニの店長だ。悪い人間ではないのだが、どうにも愚痴の多い人だった」


「なるほど。つまり常日頃から溜息を吐き愚痴をこぼしている人間は、溜め込んでいたストレスが少ない。少ない者は発症が遅い。そういうことか」


 南条から目を離し、甘王は秋津川に視線を向けた。


「普段から泣き言を並べてる後輩秋津川なら、当然発症は遅いわなぁ」


 照れ臭そうに頭をいて笑う秋津川を見て、甘王は深い溜息ためいきを吐いた。


「それですよ甘王先輩。溜息つくと幸せが逃げるとかいうけど、本当はそうじゃなくって、交感神経を落ち着かせて副交感神経をリラックスさせる作用があるんです。ご存じなかったですか?」


「へぇそうなんだびっくり仰天ぎょうてん、おいらちっとも知らなかったなぁ。って、つい今しがたネットでググったような知識を披露していただいてありがとうよ後輩秋津川」


 気が抜けたせいで術の効果が落ちたらしく、ゾンビ化した者たちも次々と正気に戻っていく。


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