第174話 昨日よりマシな顔

「術が解けていく。このままでは大騒ぎになる」


「心配はいらぬ。そんなことにはならん」


 甘王はのろのろとしゃがみ込み、足元に置いたマイクを拾い上げた。


「記憶を操作するのか?」


「今のワシにそんな力がある訳ないじゃろう。だが心配はいらん。黙って見ておれ」


 立ち上がり、マイクのスイッチを入れた。


「お集まりの皆さん、おめでとうございます。正義の警備員の活躍により、悪の大魔王はたった今倒されました」


 スピーカーから流れる甘王の声を聴いた参加者たちは、夢からめたように互いの顔を突き合わせている。


「皆さんを突き動かしていた闇の波動は消え去り、平凡で退屈だけどかけがえのない日常が戻ってきました。ありがとう警備員さん、ありがとうサンツリーの社長さん、そして最後に、この防犯訓練に参加していただいた全ての皆さんに心より感謝の気持ちをお伝えします。ありがとう小市民の集団、ありがとう全てのチルドレン、どうか皆さん、今日の訓練を忘れず、日ごろから防犯意識をしっかり持って、ストレスが溜まらない程度に仕事をしてください」


 マイクを持った甘王は秋津川を指差した。


「最後に本日の最大功労者さいだいこうろうしゃをご紹介してこの訓練を終了とさせていただきます。皆様、大きな拍手を持ってお迎え下さい。臆病であるはずの自分を抑え、正義と愛と友情の為に、勇気を振り絞って魔王と対決し勝利した真の勇者、秋津川友宏警備士です。秋津川くん、皆さんに手を振って」


 呆気に取られて立ち尽くす秋津川が、ぎこちなく手を振り始めると、それを祝福するように南条が拍手を始めた。最初はただ一人だけだった拍手は、一人から二人、三人へと伝播でんぱし、やがて通路にいた全ての参加者が手を叩いて秋津川を称えた。万雷ばんらいの拍手の中、次々とクラッカーが打ち鳴らされ、地下通路のあちこちで紙吹雪が舞った。


 拍手と歓声は地下通路を揺るがすほどに鳴り響き、だれもが笑い、だれもが涙していた。完璧な、完全なフィナーレだった。


「おめでとう」


 秋津川に向けて甘王が声を掛ける。


「おめでとう」


 最初にゾンビ化したOLのお姉さんが微笑ほほえんだ。


「おめでとうさん」


 警備の仲間たち、そしてハンバーガーチェーンのカップルたちが祝福する。やがて訓練参加者たちは、秋津川を抱きかかえ胴上げを始めた。異様な高ぶり、異常なテンションだった。


「どういうことだ?」


 甘王の脇に立つ南条が呟く。


「術の効果が切れると多幸感たこうかんを得られるよう仕組んでおいた。何せ連中、ひと時とはいえ日頃のストレスを思うさま解放したのだからな。これで奴らは、今日の訓練が素晴らしいものだったと記憶する。ワシらに苦情が来ることはない」


「無茶をする割りには手が込んでいるな。最初からこれが狙いか?」


「当たり前じゃろう。何せこれは訓練なのだからな。実戦とは違う」


「確かにな。通常、貴様の精神支配を受けた者は二度と元には戻らない。それがこの程度で済んでいるのなら、今回のことは貴様のいたずらだということで手を打とう。だが、やり過ぎだったことに違いはない。センター長に報告し、貴様の立哨勤務りっしょうきんむを増やしてもらう」


「ええっ、一日三時間の立哨でもきついのに、まだ増やすんですか?鬼畜ですか、あんた」


「立ち番は警備の基本だ。いくらやっても足りないということはない。反省の色がないなら更に増やすからな。心してはげめ」


「屋内ですよね。このくそ暑いなか、外じゃないですよね」


「それはどうかなぁ。ストレスが溜まりすぎてゾンビにならないように気をつけることだな甘王」


 カーニバルのようにひしめき合う人混みの先に、刑部明奈が立っていた。


「明奈さん」


 南条の声など聴きとれるはずはないのに、明奈は振り向いて南条を見つけた。


「南条さん」


 声は聞こえなかったが、唇がそう動いていた。はしゃぎまわる人々を掻き分かきわけ、明奈は南条に向かって走り出す。


「南条さん!」


「明奈!」


 人混みの中、ぽっかりとできた間隙かんげきの中央で二人は交差した。両手を広げて駆け寄る明奈を抱きとめようと、南条もまた両手を差し伸べていた。


「明奈!」


 南条の両手が明奈の両脇にすべり込んだ。そのまま南条は腕を上げ、明奈の身体を持ち上げた。


「えっ?」


 両腕で抱えあげられた明奈が南条を見下ろしている。


「あっ、阿呆かあの男は」


 甘王は思わずてのひらで顔を覆った。あのアホウは女心をまったく理解していない。


「な、南条さん、これ、これってタカイ、タカイですよね」


 明奈が引きった笑顔で強張こわばった声を上げる。


「うん?もっと高くしたほうがいいか?」


 南条は明奈を宙に放り投げると、落ちてくる明奈をキャッチした。


「いえ、そういうことじゃなくって」


 明奈の顔がみるみるうちに曇っていく。


「南条さん」


「なんだ?」


「どうしていっつもあたしのこと子供扱いするかな~おのれはぁ~」


 激怒した明奈の顔は、ゾンビ化などよりよっぽど恐ろしかった。

 


勤務を終えて私服に着替え、従業員用の出入り口から外へ出た。

 今朝方行われた訓練は、予定とは似ても似つかぬものになってしまったのに、不思議とどこからも苦情は来なかった。それどころか、訓練に参加していたサンツリーの社長は、来年もこれで行こうと言って喜んでいたという。


 全てが夢のような出来事だった。

 ゾンビ化した人々は本当に存在したのかと言われると、首をひねらざるを得ない。あんなことが現実に起きるわけはないのだから、今朝の出来事は集団幻覚とか集団ヒステリーとかいったたぐいの出来事だったのではないかと思えてくる。

 ただ、訓練終了後の満ち足りた幸せな感覚は残っていた。きっと参加者たちも同じ感覚を味わっているのだろう。


 地下通路を歩いていると、私服姿の甘王を見かけた。箒とちり取りを両手に持ち、訓練終了後にまき散らされた紙吹雪を取り除いている。


「お疲れ様です甘王先輩。朝の片づけですか?」


 顔を上げた甘王が肩をすくめて見せる。


「掃除すれば今日のことは許すってセンター長に言われちゃったんで、仕方なくですよ後輩秋津川さん」


 不貞腐ふてくされている甘王は年相応の若者に見える。甘王の背中に触れようと指を伸ばしたときに感じた、凍りつくような恐怖が嘘のようだ。


「まぁ後輩秋津川もがんばったからな。仕方ないのぉ」


 不意にまた悪寒が襲ってきた。何かが甘王の内側に潜んでいて、それはときどき顔を覗かせる。


「性格が歪んでいて根が暗くって根性も意気地もなく、おまけに顔まで不細工なお主が、常人なら近づくだけで卒倒するほどの瘴気をまとったワシの背中に触れたのだ。誇るがよい」


 そう言われるとそんな気がしてきた。確かに、あの時の恐怖を乗り越えられたのだから、この先どんな困難にも立ち向かえるような気がする。


「誇ったところで何も変わりはせんのだろうがな。さっさと40になって魔法使いと呼ばれるようになるといい」


「どうせ先輩だって彼女いない歴イコール年齢なんでしょう?」


「当たり前じゃ愚か者。何が悲しゅうて人間の女などと付き合わねばならんのじゃ。猿山に住んでるからといって、猿と恋仲になる者はおるまい。ワシにとって人間とはその程度のものじゃ」


「すっごい言い訳ですね。初めてですそんなこと言う人」


 苦笑して甘王から目をらした。通りの先に、スタイルのいい物凄ものすごく綺麗な女性がいた。いくらがんばったって、自分や甘王には一生縁が無さそうな女性だった。


 女性が微笑み、こっちに向かって手を振ってくる。あんな人に、あんな笑顔を向けられる相手どはどんな男なんだろうと興味がいて、秋津川は振り返って後を見た。


 秋津川の背後には甘王しかいなかった。


「アママ、遅いよ。どうしたの何してるの?なにそれボランティア?」


 秋津川に目もくれず、女性は甘王に駆け寄った。


「なんじゃ主は。職場にまで押しかけてくるんじゃないとあれほど言うたろうに」


「え~なんで、ひどくない?ちょっとでも早く会えるかもってわざわざ来たのに。なぁにアママ、ひょっとして照れてたりしちゃってる?」


 近くで見ると女性の美しさは際立きわだっていた。モデルか女優だといわれても違和感はない。


「あれ、この人は?お友達?」


 呆然と二人を見つめていた秋津川に気づいた女性が甘王に訊ねた。


「これは後輩秋津川といっての、職場でのワシのパダワンじゃ。出来が悪くて難儀なんぎしておる」


「へえ~後輩さんなんだ。いつもアママがお世話になってます。小山美穂おやまみほっていいます。よろしくね」


 微笑みかける美穂に見惚みとれて声が出なかった。


「刺激するでないぞ美穂。そやつは童貞。この世界の片隅でひっそりと生きる童貞族最後の勇者だ。うかつに近づくと噛みつかれるぞ」


「え、そうなんですか?風俗とか行ったりしないんですか?」


「いつか誰かがきっと自分を幸せにしてくれると信じて生きている求道者ぐどうしゃだ。風俗などへ行く金も勇気も持ち合わせてはおらんわ」


 珍しい生き物でも見るような美穂の目にさらされて、耳の先まで赤くなっていくのが分かった。


「そっかなぁ。髪型がイマイチだけど、けっこうモテそうな気がするけどなぁ。ねぇ後輩、こんどわたしがきみをプロデュースしようか?」


「えっ?は、はい、お願いします」


 反射的に返事をしていた。美穂の提案うんぬんより、もう一度この人に会いたいという思いが強い。


「やめておけ。いたずらに傷を深くするだけだぞ」


「あれれ、アママひょっとして焼きもちやいちゃったりしてる?そんな感じ?」


 大きなため息を吐き、甘王は床に残った紙吹雪をほうきで掃き始めた。


「それじゃぁお先に失礼します先輩」


 秋津川は地下鉄の改札へと足を向けた。


「帰ったら鏡で自分を良く見るといい。今日の主は、昨日よりほんの少しだがマシな顔つきになっておるぞ後輩秋津川」


 振り返り、甘王に向けて頭を下げた。甘王にめられたことが、何だかとても嬉しかった。

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