番外編 愛の戦士 ランスロット

第175話 アイリエッタ

 人を斬ることが好きだった。


 違う。正確には、剣をあつかうことが得意だっただけだ。そして剣とは、人を斬る為の道具だと言うだけの話だ。


 貧乏貴族の三男に生まれた。喰うに困ることも多かったのに、父と兄たちは猫の額ほどの領地りょうちで暮らす民のことを常に気にかけていた。たびたび不満不平を口にする領民たちを見るたびに、いったいどっちが偉いんだと笑い出したくなったが、父たちは必死で、領民たちの生活の面倒を見ていた。


 13才で人を殺した。

 領地にやってきた鼻もちならない剣士で、剣を学びたいといった自分の為に、なけなしの金をはたいて父が雇ってくれた男だった。


 確かに腕は良かった。真剣で斬りかかってみたが、手も足も出ずに叩きのめされた。だが怖くはなかった。打ち筋が綺麗で、怪我をさせないよう配慮はいりょされた剣だったからだ。技術を教える為にはした金で雇われた男なのだから、当然の配慮だったのかもしれないが、男の剣には殺気が無かった。



 アイリエッタはランスロットよりふたつ年上で、燃えるような赤毛と透けるほど白い肌を持った美しい少女だった。

 母の侍女の娘で、幼い時からランスロットと一緒だったアイリエッタは、実の弟のようにランスロットを可愛がってくれた。癇癪かんしゃく持ちで誰彼だれかれ構わず喧嘩をふっかけるランスロットも、アイリエッタの言葉にだけは素直に従った。


 そのアイリエッタが、親子ほど年の違う剣士と恋に落ちた。初めのころはランスロットの心配をして剣の稽古に同行していたアイリエッタが、やがてランスロットを遠ざけ、剣士と二人きりになろうとするようになった。

 初めての恋は、アイリエッタを夢中にさせた。ランスロットを見ていた鳶色とびいろの瞳は、常に剣士の背中を追い求め、ランスロットに語り掛ける柔らかな声は、いつしか剣士への想いだけを口にするようになっていった。


 それは仕方のないことだと、ランスロットは自らに言い聞かせた。姉と弟のように暮らしてはきたが、アイリエッタは侍女の娘で、曲がりなりにも貴族である自分とは身分が異なるし、ランスロットの剣の腕が上達すれば、この町での剣士の仕事は終わる。流れ者の剣士など、仕事がなくなれば町を出ていくしかない。そうなれば、アイリエッタの情熱も落ち着くに違いないと考えていた。


 領主である父の部屋から、金の燭台しょくだいが消えた。高価な品ではあるが、それ以上に価値があるものだった。戦場で多くの兵の命を救った父の栄誉を称え、国王から下賜かしされた燭台、どんなに貧しくても売ることは叶わず、万が一にも世に出てしまえば、国王に対する忠義を疑われる品だった。


 盗んだのはアイリエッタで、街の宿屋に身を置いていた剣士と共に姿を消していた。


 捜索の手が伸びたが、誰も二人を見つけることはできなかった。

 父の焦燥しょうそうは目をおおうばかりで、アイリエッタの母である侍女は正気を失いつつあった。燭台さえ取り返すことができれば、アイリエッタと剣士のことなど誰も気にはしない。仕方なくランスロットは二人の跡を追った。


 三日ほど山中を歩き、二人を発見した。追手をくために街道から離れた山道を進んだのだろうが、狩りが好きで近隣の山道に精通せいつうしたランスロットは難なく二人の足に追いついた。


 話せばわかってくれると信じていた。好きにはなれなかったが、剣士は師匠に当たるし、何よりアイリエッタとは姉弟のように育ってきたのだ。燭台さえ返してもらえれば、その後に二人がどこに行こうと詮索せんさくする気などなかった。

 

 狭い山道で二人に遭遇した。夜目の効かない二人は、満月であるにもかかわらずランタンで道を照らしながら歩いていた。本当に逃げる気があるのかと疑いたくなるほど、追跡はあっけなく終わった。


 二人の前に立ち塞がり、燭台だけを返して欲しいと伝えた。たったひとつの名誉にしがみついて生きている父が哀れだったからだ。


 一言も発せず、剣士は剣を抜いてランスロットに斬りつけてきた。稽古中、一度として真剣を抜かなかった剣士が、弟子であるはずのランスロットの首めがけて斬撃を放ってきた。


 体が自然に動いた。横薙よこなぎに払った剣士の剣をかいくぐり、すれ違いざまに利き手を斬り落とした。剣を持った右手が地に落ちる前に、反転して剣士の首を刎ねた。月光の中、音もなく、師と弟子の闘いは一瞬で決着がついた。


 月明かりが照らし出す、雑木ぞうぼくの中に転がり落ちた剣士の目は見開かれていた。やる前から結果は判っていた。数か月も前から、ランスロットは剣士の太刀筋を見切っていた。それでも教示を受けていたのは、職を失えばこの町を去らねばならない剣士を想うアイリエッタの為だった。

 

 剣士の首にすがりつこうとするアイリエッタを無視して、剣士の首を蹴り飛ばした。雑木の生い茂る山の中を、首はどこまでも転がり続け、やがて見えなくなった。


 悪気があったわけではない。ただ単に、剣士の血にまみれたアイリエッタと共に領地に帰るのが嫌だっただけだ。腐敗ふはいした血は臭いし、山に住む魔獣どもを呼び寄せる。

 

 半狂乱はんきょうらんでランスロットに掴みかかってくるアイリエッタを殴りつけて意識を飛ばし、燭台と共に担いで山を下りた。


 一人なら半日もかからない道筋だったのに、時々目覚めては暴れだすアイリエッタをかついで歩くせいで、帰りの道中は遅々として進まなかった。


 仕方なく街道の薄汚れた宿屋に部屋を取り、数日ぶりにベッドに横になった。疲れのあまり眠り込んでしまったせいで、アイリエッタがいましめを解いてベッドの脇に立っていることに気づかなかった。


 情け容赦無い殺気にさらされ、咄嗟とっさに身をかわした。ランスロットの顔面を狙って振り下ろされたナイフの刃は、右耳の先端をかすめ、寝具を貫き、粗末なベッドの木枠に突き刺さって止まった。


 アイリエッタからナイフを取り上げ、ベッドに押しつけて動きを止めた。驚いたことに、アイリエッタは全裸だった。今にも燈心とうしんが燃え尽きそうな蝋燭ろうそくの灯の中で目にするアイリエッタの裸身は、この世の者とは思えないほどに美しかった。


「おいでよ、ランスロット。好きにしていいのよ。何をしてもいいし、あんたが望めばなんだってしてあげる」


 薄桃色のアリエッタの唇の向こうで、なまめかしいほどに動く赤い舌を、ほうけたように見つめていた。


「あんたの子を産んであげる。あんたの血を引く、あんたに良く似た男の子を」


 情欲に身をゆだねたアイリエッタの瞳の中でしょくの灯りがちらちらと動いていた。だが汗に塗れたアイリエッタの身体とは異なり、ランスロットの肌は粟が生じたようにそそけだっていた。闇の中でうごめくアイリエッタの肢体は、恐ろしく蠱惑的こわくてきでおぞましいほどに退廃的たいはいてきだった。


 取り押さえていたアイリエッタの身体から飛び退き、部屋の隅に立てかけた剣に手を掛けた。


「怖がらなくっていいのよランスロット。昔とおんなじ。一から十まで全部わたしがしてあげるから。あんたはただ、横になってればいい。このことは誰にも言わない。二人だけの秘密」


 背骨沿いに氷柱を差し込まれたような悪寒おかんが走る。ランスロットを見つめるアイリエッタの瞳には、幼いころに見たいつくしみの光が見えた。そしてその光こそが、ランスロットをおびえさせる原因だった。


 アイリエッタは狂気に支配されているわけでも、錯乱さくらんしているわけでもない。彼女は完全に正気だった。その事実が、耐え切れないほどの恐怖をランスロットに植えつけてくる。


「子供が欲しいのランスロット。あたしが育てる。あんたに良く似た、可愛い男の子。そしてそいつを、あんたの目の前で殺してやる。腹を裂き内臓を引き抜いて、首を切り裂いてやる。耳元で教えてやるわ。どうして死ななきゃならないのか、誰のせいで死ななきゃならないのか」


 闇の中にアイリエッタの哄笑こうしょうが響く。それはいつまでも止まらず、ランスロットの鼓膜こまくを震わせ続けた。

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