第176話 復讐の魔女

 両手両足の骨をへし折り、汗染あせじみの浮いた汚れたシーツで猿ぐつわを噛ませたアイリエッタを連れて、ランスロットは父の居城きょじょうに戻った。


 アイリエッタと剣士が燭台を盗み出して逃走してから半月ほどしか経過していなかったが、戻ってみると事態は取り返しがつかないほどに悪化していた。

 侍女をしていたアイリエッタの母親は、娘の罪をびるとしたためた遺書を残して命をっていた。 


 アイリエッタの母親はランスロットの家族と共に父の居城に住んでいたが、庭の隅にある豚小屋のはりに縄をかけ、首を吊っている姿で見つかった。生まれたときから付き従ってくれた侍女の死をなげいた母は、あと二日早く戻っていれば救えたかもしれないのにとランスロットをののしった。


 アイリエッタは居城の地下牢に幽閉ゆうへいされた。期間は特に定められてはいなかったが、人のいい父のことだから、せいぜい数カ月だろうと高を括っていた。


 だが、唯一の栄誉の品を奪われた父の怒りは凄まじく、アイリエッタの幽閉は4年半に及んだ。


 地下の牢獄に繋いだままアイリエッタを殺すつもりだった父を翻意ほんいさせたのは、アイリエッタの牢を管理していた年老いた獄卒ごくそつだった。


 アイリエッタに与えられた食事は一日一食だけで、味など無いも同然の冷えたスープとカビの生えた硬いパンだけだった。


 老人は毎日一回、適当な時間に地下牢へ降りてアイリエッタに食事を差し出す仕事をしていた。食事を受け取る際、アイリエッタは老人に感謝の言葉を述べ、老人の体調を気遣きづかってくれた。


 彼女は一日の大半を祈りに費やし、自らの過ちを悔い改めようと努力していた。無学な老人の前で詩をそらんじ、時には歌を聞かせてくれた。僅かな食事を母を亡くした子ネズミに分け与え、我が子のように慈しむ姿は、牢獄の中にありながら天使のようだと老人が吹聴ふいちょうしたせいで、城下でアイリエッタの噂がささやかれるようになった。

 

 アイリエッタの存在すら忘れていた父は、4年半ぶりに地下牢へ足を運び、幽閉されているアイリエッタの前に立った。


 薄暗い牢の中で膝を付き祈りを捧げているアイリエッタの姿は、昔にも増して美しかった。四年半の歳月ですらアイリエッタの美しさをそこなうことはできなかった。抜けるように白い肌は昔のままで、腰まで伸びた赤毛は燃え盛る炎のようにきらめいていた。


 牢から出たいかと尋ねた父に、アイリエッアは微笑みながら首を横に振ってみせたという。犯した罪を悔い改めながら、ここで一人ちていくことが望みですと伝えたアイリエッタの表情は、かつて父が抱き上げた、幼く無邪気なアイリエッタそのものだった。


 牢から出たアイリエッタは、以前と同様に父の居城に住み込むことになった。これで全てが元通りになると、ランスロット以外の誰もがそう信じていた。


 18歳なる直前、旅先で父の訃報ふほうを受け取った。父だけではない。故郷に住む母も兄も、何人いたか思い出せもしない弟や妹、その全てが殺された。


 近隣を根城ねじろにする盗賊の仕業だった。首領は元軍人で、喰い逸くいはぐれた荒くれ者を束ねては兵のいない村々を襲っていた男だった。


 貧しいとはいえ、城を構え兵を養っていた父が、たかだか盗賊風情に襲われて死ぬはずがない。

 そもそも盗賊どもは何故、父の居城を襲ったのだろう。国王の配下である貴族の城を襲えば、討伐とうばつの軍が組織される。領主を襲うということは、盗賊ではなく反乱軍であると公言するようなものだ。目先の金目当てでできることではない。

 

 焼け落ちた生家の前に立ち、ランスロットは事の次第を全て理解した。アイリエッタの仕業だ。

 父や兄の信頼を得たアイリエッタが、城の内部から盗賊どもを手引きしたのだ。


 城下に降り、アイリエッタの面倒を見ていたという獄卒のじじいを捕らえた。思った通り、じじいはアイリエッタに篭絡ろうらくされていた。


 牢獄にとらわれて早々に、アイリエッタはじじいを骨抜きにし、牢にいながらにして何不自由無い生活を送っていた。きちんと食事をり、清潔な寝具で眠りについていただけではない。夜陰やいんに乗じて牢から抜け、勝手気ままに外を出歩くことも度々だったという。家族同然に暮らしていたアイリエッタに中途半端な情けをかけ、他の囚人とは異なる独居房どっきょぼうにいれたことが間違いだったのだ。


 何故なぜアイリエッタは脱獄をしなかったのか?考えるほどのこともなかった。アイリエッタはただ復讐の為だけに行動していたからだ。


 獄卒の老人をたらし込み、聖女としての噂を流すことで、それを聞きつけた父が面会に来ることを想定していたのだろう。かつて娘同然に育てた女が、汚れた衣服で牢に囚われている姿を目にした父は、自責の念に駆られアイリエッタを釈放し、その身柄を保護する。


 こうして父は、復讐のとりことなった魔女を自らの居城の中に招き入れてしまった。攻城戦の経験もある元軍人の盗賊からしてみれば、内通者のいる城を攻め滅ぼすことなど造作ぞうさもないことだ。


 幸か不幸か、母親だけは生き残っていた。体に大きな火傷を負い、歩くこともままならない姿になってはいたが、城下の使用人の家に逃れていた。


 盗賊の首領とアイリエッタを生かしておいてはならないと、母は狂ったように叫び続けた。たかが盗賊に攻め滅ぼされたとなれば、家名に大きな傷がつく。汚名はなんとしてもそそがなくてはならない。呪いのように、母はただそれだけを繰り返した。


 家名に傷がつくことなど気にも留めなかったが、盗賊の首領に興味が沸いた。実戦にいては軍の中でも有数の実力者だったという。狩りの獲物としては上物だった。


 師に当たる剣士の首を刎ね飛ばして以来、剣での闘いで負けることはなかった。この世界の中で、自分に匹敵する剣士など存在しないのではないか。本気でそう思い込み始めていた。


 関わった盗賊どもを探し出し、片っ端かたっぱしから斬り殺して歩いた。父の仇討あだうちと、家名を守る為という大層なお題目があったおかげで、どれだけ殺そうとランスロットをとがめる者はいなかった。

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