第177話 城壁

 二年が過ぎたころ、盗賊の首領の居所を突き止めた。驚いたことに、男は首都の城下で腕のいい医者として暮らしていた。妻と子があるというから、アイリエッタと共に暮らしているものとばかり思っていたが、妻は見知らぬ女だった。


 逃げる男を城壁じょうへきの上へ追い詰めた。

 男の顔を見た途端とたん、ランスロットは思わずき出した。駆け落ちした剣士といい、盗賊の首領だったこの男といい、アイリエッタがれる男はどいつもこいつも不細工ぶさいくつらをしている。


「敵を目の前にしてうれしいか?」


 疾風しっぷう吹きすさぶ中、男が叫んだ。とんだ勘違かんちがい野郎だった。


「すまん。笑ったのはお前の面のせいだ。人の好みにケチをつける気はないが、アイリエッタは男の趣味が悪い」


 身の丈が高く、母譲りの豊かな金髪を持つランスロットは、12を過ぎたころから女に不自由したことがない。それに比べ、男は背が低く髪の毛もまばらで、山にすむ猿に似ていた。


「気の毒だが、その猿ヅラを斬り落とす。妻と子に言い残すことはあるか?」


 ランスロットの言葉を無視して、男は腰から刀を抜いた。中央が湾曲わんきょくしている、なたのような形状をした見たこともない刀だった。


 ランスロット目掛けて、男は一直線に突進してきた。駆け引きも何もない愚直ぐちょくな突進で、首を落としてくれと言わんばかりの動きだ。


 ランスロットの剣が男の喉首へとはしる。首を落として母の元に届けないことには、この馬鹿げた復讐劇は終わらない。


 男の身体が沈んだ。毛髪を巻き上げ、ランスロットの剣が男の頭上をかすめていく。石床すれすれまでに身を低くした男の速度が上がった。すくい上げるように振るった二撃目の剣も外れた。剣は男の鼻先をわずかに切り裂いただけだった。


 ふところに入りこまれれば鉈のように短い男の刀の方が有利になる。


 完全にだまされた。同じ速度で接近してくる物体でも、目線が低くなれば速度が上がったような錯覚を起こす。ランスロットの剣撃けんげきのスピードを逆手に取った戦術だった。


 がら空きになったランスロットの胴体目掛めがけて、男が刀を叩きつけてきた。引いたところで間に合いはしないし、チェーンメイルも身に着けてはいなかった。


「くっ!」

 剣を投げ捨て、男の身体をおおうように体を投げ出した。石床と並行へいこうんだランスロットの下を、男の斬撃がいでいく。


 こけむした石床の上に顔から倒れこんだ。鼻の骨が潰れる音が脳内に響く。だが痛みにうめいている暇は無い。イノシシのように石床を這い進んで、投げ捨てた剣を拾い上げた。


「いい顔になったじゃねぇか」


 振り返ったランスロットの顔を見て男が笑みを浮かべた。顔に触れると、鼻は折れ曲がり、右のまぶたがぷっくりとれあがっていた。


「痛いな。血も出てる」


 鼻をつまむと、ねっとりとした血が噴き出してきた。戦闘でこれほどのダメージを受けたのは初めてだった。


「奇妙な動きだった。実戦できたえた技か?」


 答えず男が距離を詰める。呼吸を整えようと時間稼ぎをしているとでも思ったのだろう。


 先ほどと同じ低い体勢から男が刀を突きだす。躱したランスロットの首筋目掛けて横薙ぎに二撃目が飛んできた。男は一本のさやに二本の刀を仕込んでいたようだ。しかも二本目の刀は一本目よりも刃が長い。


 交差こうさし、男と距離を取った。戦闘は終わった。


 すれ違いざまに、男の手首の動脈を切断した。止血しなければ90秒で意識を失い死にいたる。


「面白い技だった。それだけだがな」


 心臓の鼓動に合わせて男の出血は続いている。再び攻撃を仕掛けてきたら、その瞬間に男の首をねる。


「止血しろ。死ぬことはない」


 男の眉が僅かに動く。


「殺さないというのか?」


「殺さない。面白かったし、この顔じゃ俺が勝ったって言ったって誰も信じちゃくれないからな」


 折れた鼻をつかんで強引に戻した。痛みの余り涙がこぼれる。


 石床に胡坐あぐらをかき、男は自分の傷の手当を始めた。


「あの女はどこにいる?」


「知らぬ。あれ以来会ってはいない」


 父を殺し、居城に火を放ったとき以来ということだろう。


「いい仲だったんだろう?どうして離れた。飽きたのか?」


「そんな仲じゃない。あれは、目的の為以外には誰にも指一本触れさせはしない。そういう女だ」


 目的の為なら誰とでも寝るということだ。獄卒の薄汚いじじいの顔が浮かぶ。


「だったらどうして加担かたんした。金目当てか?」


 止血をしながら男が笑う。


「盗むほどの金など無かったよ。あの燭台もまがい物だ。うまい具合に騙されたな国王に」


 なるほど。売らなかったんじゃない。売れなかったのだ。


「彼女があわれだったからな。それにいい加減、この国の在様ありようにうんざりしてたのさ」


「憐れ?どんな作り話を聞かされたか知らないが、あの女の逆恨みだ」


 止血を終えた男が立ち上がり、城壁の縁で止まった。


「なるほど。聞きしに勝る使い手だが、女の気持ちも解らぬガキか。気の毒だ」


 城壁に城兵たちが姿を見せ始めた。貴族を襲った賊だ。捕まれば家族もろとも縛り首だろう。


「逃げないのか?」


 問いはしたが答えは分かっていた。男の気に揺るぎはない。ランスロットは男に背を向けた。


「妻と子はどうする?助けてやろうか?」


「賊と知って俺と暮らした女だ。めるな」


「そうか。すまなかったな。いつか酒を手向たむける。お前に墓があればの話だが」


 振り返ったがすでに男の姿は無かった。石床を黒く染めている男の血の跡だけが、男がそこにいたことを示していた。

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