第178話 公孫翔

 顔を出すたびに、母はアイリエッタの首を欲した。あまりにうるさいので旅に出ることにした。母の面倒を見ている元使用人にかなりの金の握らせ、迷惑をかけると言って故郷の町を出た。もう二度と戻る気はなかった。


 三か月ほど旅を続けたころ、脇腹に腫物はれものができた。熱を持ち、じくじくと膿みを出す腫物だった。そのうち治るだろうと放っておいたが、やがて腫れはてのひらほどに大きくなった。


 医者に見せたが、原因は解らなかった。強い呪詛じゅそを掛けられていると教えてくれたのは、東の大陸からやってきた亜人だった。


 魔法や呪詛は、ランスロットの生まれた西の大陸にも存在する。だがそれらは、一定の条件がそろわなければ発動しない、不完全な技術として知られていた。東の大陸ではそれなりの成果を上げている魔法や呪詛も、製鉄の技術が進化した西の大陸に於いては無用の長物だった。


 教えてくれた亜人も、呪詛を治す方法までは知らなかった。呪いを仕掛けた相手を捜して始末しようかとも考えたが、心当たりが多すぎてそれも面倒だった。 

 東の大陸まで行けば、呪詛を払う祈祷師や呪師がいると聞き、船で東の大陸に渡った。

 

 東の大陸は、緑が果てしなく続く森林地帯だった、主要都市を結ぶ交通網も未発達で、移動手段は自分の足か、馬や牛といった家畜の背に乗るくらいだ。


 どこまでも続く道なき道を進まねば別の街に辿たどり着かないのかとあきらめかけたころ、トベーラという魔法陣の話を聞いた。


 港のある町から、東の大陸最大の都市バロムワンまでは昼夜を問わず馬を飛ばして四日は掛かるという。馬の疲弊ひへいを考えて進めば半月以上は掛かる。だが、街はずれにあるトベーラという魔法陣を使えば、一瞬にして首都まで移動できるという。


 魔法陣の使用は、さぞかし高額なのだろうと訝っていたが、手持ちの現金でぎりぎり足りるほどの額だった。


 金を払い、魔法陣の中央に立った。本当に一瞬で移動できるのかどうか怪しいものだ。詐欺や冗談のたぐいなら、関係者からは払った金の数倍はふんだくる。


 魔法陣の中央に立つランスロットの体が真紅の光に包まれた。全身が燃えるように熱い。無数の針で体中を刺し貫くような痛みが走り、目の前が暗くなった。


 目を開くと、辺りの様子が変わっていた。木造きづくりの薄暗い建物の一角にいたはずなのに、石造りの巨大な広場の隅で膝を着いていた。


 魔法陣のすぐ脇に浅黒い肌の中年男が立っていて、異国の言葉でわめき散らしていた。理解はできなかったが、男の身振りで察した。さっさと魔法陣から出ろと言っているのだろう。


「初めてか?」


 西の言葉で話しかけられた。顔を上げると、精悍せいかんな体つきをした黒髪の男が右手を差し出していた。


「一度死んで生まれ変わった。気分が悪いのはそのせいだ」


「意味がわからん。だが死ぬほど痛かった」


「これ以上は砕けないというほど小さくなるまで体を分解する。それをここまで飛ばし、この魔法陣で再構築さいこうちくする。つまり、一旦いったん死んでまた生き返らせるということだ」


「失敗したらどうなる?」


「消える。跡形も無く」


「親切だな。男好きか?」


「強い者が好きだ。男でも女でもな」


「ランスロットだ」


 腕を差し出し、男の右手を握った。この男は強い。自分ほどではないだろうが、今まで会った誰よりも強いことは確かだ。


「公孫翔だ」


 男が名乗った。コウソンショウ。変な名前だった。それに公孫翔の顔は妙に平たく、目も細い。


 並び立つと、公孫翔はランスロットより頭ひとつ小さかった。武器らしい武器も持っていないところを見ると、使うのは体術だろう。


「目的のある旅か?」


「こっちにはいい女が多いって聞いてな。わざわざ西から出向いてきた」


 公孫翔の正体が知れない限り、呪詛を解くという本当の目的は知られたくない。


「そうか。なら酒場に案内しよう。私が捜している男もいるかもしれないしな」


「ありがたいな。だが金が無い。貸してくれるか?」


 トベーラでの移動で有り金をはたいていた。強い者が好きだというからには、公孫翔は腕の立つ者を必要としているはずだ。


「食い物はおごろう。酒は他の誰かに奢らせろ」


 苦笑しながらうなづいた。嫌いになれない男というのはいるものだ。


 バロムワンは想像以上に大きな街だった。そして数多の人種が混在こんざいする多国籍国家でもあった。


 町の中は人間だけでなく、亜人やエルフまでもが当たり前のように闊歩かっぽし、聞きなれない言語が飛び交っていた。


 公孫翔に連れられて入ったのは、岩盤をくり抜いて作り上げた巨大な酒場だった。


「探し人がいるらしい。すまないが少しだけ待っていてもらえるか?」


 熊のような亜人と話したあと、公孫翔からそう告げられたので、頷いて同行した。言葉も解らず字も読めないから、一人にされても注文すらできない。



 奥の席に、大きな男が座って酒を飲んでいた。身の丈こそランスロットと変わらないが、掘り起こした岩のようにいかつい体つきをしている。娘なのか、まだ十代前半であろう金髪の少女が隣に座り、さじでスープをすくって口に運んでいた。


「九王バド・マーディガン様とお見受けしました」


 男の前に膝を付き、公孫翔が頭を垂れた。西の言葉を使っている。


「元だ。今は違う」


 野太い声で楽しそうに男が言葉を返す。隣の少女は視線すら向けてこない。


 九王バド・マーディガン。その名は聞いたことがある。わずか10歳にして、北の九つの国を制したという伝説の王の名だ。ただその名が語られるのは、子供に聞かせるおとぎ話の中だけだ。


兆京義士団ちょうけいぎしだんの公孫翔と申します。非礼は重々承知の上でお話をさせていただきます」

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