第179話 コムギ

 兆京ちょうけいは大陸の南東に位置し、農耕を主として安定した暮らしを営む小さな島国だった。穏やかな性格の島民は近隣諸国きんりんしょこくとの関係も良好で、農産物を中心とした貿易も栄え始めていた。

 半年ほど前、辺境へんきょうの村との連絡が途絶とだえた。辺境とはいえ百人近い村民がおり、野盗対策として自警団も組織されていた。


 向かった警ら隊が目にしたのは、一夜にして殲滅せんめつされた村の惨状だった。百人近い村人は、女子供の区別なく一人残らず殺されていた。


 他国の軍の仕業しわざうたがったが、島国である兆京へ誰にも気づかれずに侵攻しんこうすることは不可能だった。トベーラによる移動の形跡もない。


 野盗の仕業としても、これだけの村人を一度に殲滅できるほどの規模の賊は確認されていないし、何より略奪りゃくだつの跡がない。

 野犬や魔獣に喰い荒らされてはいたが、村人の遺体はどれも損壊そんかいが少なかった。まるで麦や稲を刈るように、村を襲った敵は淡々と村人の命だけを刈り取って姿を消した。


  翌月、別の村が襲われた。前月の惨劇が、そっくりそのまま場所を変えて再現されていた。だが規模が異なった。村での犠牲者は500人を超えた。


 鋭い刃物で首筋を切断し、先端の尖った槍状のもので心臓を一突き。家畜の処理でもするように、手際てぎわよく迅速じんそくに命を奪われていた。そこには憎しみも喜びも見出せなかった。襲撃者は機械のように人間を処理し、殲滅することだけを目的としているようだ。


 次の月もその次も、襲撃は続いた。襲撃の度に犠牲者の数は増え、自警団に守られた村も襲われた。


「私の友人が指揮する自警団でした。並みの野盗相手なら、十数人を瞬時に斬り伏せる腕を持った男なのですが」


「で、おれにどうしろっていうんだ?」


 退屈そうにバドが返す。


 襲撃は決まって新月の暗闇に乗じて行われる。次の新月まで半月らずだ。


「襲撃者は軍の駐屯する村を避けています。軍がいない村に手練てだれをそろえてむかえ撃ちます」


 それで強い者を探していたのか。兆京とかいう島国はよほど人材が不足しているようだ。


「おれをその手練れの中に放り込むつもりか?誰に何を吹き込まれたのかは知らんが、おれ、弱いぞ」


 謙遜けんそんなどではない。バドからは闘気が感じられない。剣の一振りで首を落とせそうだ。


「九王様には見極みきわめをお願いしたく」


 バドの眼が鋭さをびる。


「何の見極めだ?もう答えは解ってるんだろう?」


「認めたくありません」


「認めなくても現実は変わらん。だったら口に出してみたらどうだ?魔王が復活したとな」


 魔王。開いた口がふさがらなかった。酒場の隅で飲んだくれている伝説の王の次は、子供相手のおとぎ話にしか出てこないいにしえの魔王の復活だ。


「馬鹿馬鹿しい」


 口に出し、笑ってしまった。それでも王を名乗る男は素知らぬ顔をして安酒を飲んでいる。


 殺す気は無かった。だが自然に剣に腕が伸びた。手加減するつもりでいたのに、引き抜いた剣は凄まじい殺気を帯びてバドの首へと走った。


 ただの酔っぱらい相手に本気の一撃を繰り出してしまった後悔と、降りかかってくるはずの男の生温い血飛沫ちしぶきを予想して目を細めた。

 だが、そうはならなかった。重い金属音と共にランスロットの剣ははじかれ、刃先は上へれていく。

 予備動作なく抜き打ちで放った斬撃を弾く為には、ランスロットの剣撃をはるかに凌ぐ速度と剣圧が必要となる。だが眼前のバドにも、隣に立つ公孫翔にも動きは無い。


 喉に喰いこむ刃の痛みに気づいて視線を下に向けた。酒場の薄暗い灯りの中でさえ、鮮やかに光り輝く豊かな金色の毛髪が目にうつる。ランスロットの喉に刃を突き付けていたのは、バドの隣でまずそうにスープを掬っていた少女だった。


「コムギ、殺すな」


 何事も無かったような口調でバドが少女をいさめる。テーブルの上に少女がこぼしたスープが広がっていく。殺すなではなく、こぼすなとバドは言ったのかもしれない。


 もぞもぞと少女の体が動き、ランスロットの喉を刺す刃の圧力が消えた。少女が手にしていたのは、肉を切る際に使う先端が二股ふたまたに分かれたフォークだった。


 恐怖は遅れてきた。足がしびれ、背筋が文字通り凍りついた。速度、威力共に、ランスロットが放った斬撃は完璧だった。だが、少女はそれを上回る速度で刃の下を搔い潜かいくぐり、フォークで剣を弾いてみせた。その動きは目視できる速度ではなかった。人どころか亜人をも遥かに凌駕りょうがした身体能力を、少女はその幼い体に有していた。


「化物か」


 剣を持つ手が震えていた。剣での闘いで打ち負かされたのは初めてのことだった。それ以前に、コムギと呼ばれた少女は剣すら手にしていない。


「あ、泣かした」


 バドが素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。バドの隣に座っているコムギの眼から、ポロポロと涙が零れ落ちている。


「えっ?」


「おまえ、年頃の女の子に化物とか言うなよ、ひどい奴だな」


「あ、いや、すまん」


 ランスロットとバドを交互に見ながら、コムギは何度もまばたきを繰り返しては涙をこぼす。


「いや、その、化物っていうのは、きみの剣技が凄いってことで、別にきみが化物ってことじゃなくって、いや、確かに化物じみていたけど」


「また化物って言ったな。コムギ、こいつ殺していいぞ」


 茶化ちゃかすようにバドがランスロットを指差してわめくと、泣いていたコムギの眼光が鋭さを帯びていく。


 殺される。コムギは肉眼ではとらえられないほどの速度で動き、剣の圧力はランスロットを上回っている。まともに立ち合ったら勝ち目は無い。


 コムギを刺激しないよう、ゆっくりとテーブルのはしへと手を伸ばした。目的の物さえつかめれば、この苦境を乗り越えられる。


「わたしのおろかな過ちをどうかおゆるしください」


 コムギの前で膝を着き、テーブルの端にかざってあった名も知らない花を差し出した。


「あなたのように若く見目麗みめうるわしい女性に対して化物だなどと、なんという愚かな過ちを犯してしまったのか。できるなら私自身の手で、この喉を切り裂いてしまいたい」


 ぽかんと口を開いたまま、コムギはランスロットの差し出す花を見つめている。


「いや、やはりわたしは間違ってなどいない。あなたは化物だ。これほどに美しい人間がこの世界に存在するはずがない」


 口から出まかせを言っているわけではない。間近まじかで見るコムギは、信じられないほどの美少女だった。コムギの髪は収穫を待つ秋の麦穂ばくすいのように豊かな黄金色をしていて、角度によっては燃えるように赤く輝いて見える。透けるほどに白くつややな肌に、あんず色に輝く大きな瞳。ふっくらとした薄紅色の唇はまだ幼く、その幼さが美しさを更に際立きわだたせている。


「わたしはあなたの奴隷です。あなたこそ我が生涯において唯一無二の女性。その美しさの前では美の女神たちも顔を伏せるに違いない」


 氷のように青くんだコムギの頬に朱が差した。おずおずと手を伸ばし、ランスロットが差しだす花を受け取った。


「かようなみすぼらしい花しかお渡しできないわたしをお笑い下さい。次にお目通りする機会をいただけたなら、あなたの為にこの町を埋め尽くすほどの花々を用意いたしましょう」


 コムギの口角こうかくが微かに上向いた気がした。コムギは手にした花をバドに向けて見せた。


「花ひとつで尻尾振りやがって。安い女だなお前」


 つまらなそうにそっぽを向いたバドを気にもせず、コムギは手にした花をいつまでも見つめていた。

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