第12話 任意同行
「そこまでだ。やめぃ!」
店が
倒れた真庭の脇に、川窪奈緒が立っていた。
「お遊びは終わりだ。この男を片付けろ」
奈緒の黒いパンプスが、倒れている真庭の腹を蹴りつける。痛みに呻いた真庭が薄く目を開くと、タイトなスカートの奥が見えそうだった。
「わたしが責任者だ。この騒ぎについて、何か言い分があるなら聴こう」
目を開いた真庭の顔を踏みつけながら、奈緒が男を指差す。
「あなたが指揮官か?」
何事もなかったような声で、男が問いかける。女である奈緒が指揮官であることへの驚きや疑念は、男の表情からは伺えない。事実を受け入れる自然な瞳で、男は奈緒を見つめていた。
「きみの目的は何だ?なぜ、こんな騒ぎを起こした?」
男の問いには答えず、奈緒は畳みかけるように言葉を
「答えられなければ、強盗犯として拘束する。それでよろしいか?」
男の眼がまっすぐに奈緒を見つめていた。その表情には
「ここがどこなのかわからない。わたしのいた世界とは、あまりにかけ離れていて、どうしていいのか解らなかった。迷惑をかけたのなら謝罪します」
床に片膝をつき、男が目を伏せた。奈緒の頬が赤らむほど、男の
「でも、あなたは凶器を所持して人を脅した。そうでしょう?」
「違います!」
叫びに近い声を上げたのは、カウンターの後にいた若い女だった。
「この人、南条さんは何もしていません。南条さんは、わたしに包丁をプレゼントしてくれただけです」
「ナンジョウ、あなたは南条というの?」
奈緒は男に目を向けた。男はゆっくり立ち上がり、奈緒を見下ろして微笑んだ。
「そのようです。わたしが借りているこの体の名は、ナンジョウというらしい」
カウンターから出て来た若い女が、南条の横に立つ。
「あなたは、南条さんの知り合いなの?」
コンビニの制服を着た若い女は、勢いよく首を左右に振った。
「名前は知ってました。でも、お話ししたのは今日が初めてです」
「初めて話した男が、
「道を教えてもらった礼のつもりだった。他に何もないのでな」
南条が若い女に微笑むと、女もうれしそうに笑い返した。
「つまり、あなた達はほとんど初対面で、あなた」
「オサカベ、アキナといいます。
はきはきと明奈が名乗る。明奈の名前を聞いた南条が、明奈に向かって南条ですと自己紹介をしている。
「アキナさんね。あなたはこのナンジョウさんを知っていた。でも話しをしたのは今日が初めてで、道を
「ええ。でもただの包丁じゃなくって、
カウンターの上に置いてある包丁に手を伸ばした明奈を制止し、奈緒は溜息を吐いた。
「複雑すぎて話が見えないわ。よかったら、二人とも署で話を聞かせてくれないかしら。もちろん、逮捕じゃなくて任意の事情聴取だから、嫌だったら無理強いはしないけれど」
半分は罠だった。力尽くで南条を連行しようとすれば、再びSATを交えた大乱闘を繰り広げなければならない。明奈と共に署に連行してしまえば、あとはどうにでもなる。それに明奈の話が真実なら、南条を逮捕したところで起訴はできない。
「オサカベさん、協力してくれる?」
明奈は南条の顔を伺った。南条は明奈に向かって頷く。
「わかりました。協力します」
「良かった。南条さんもそれでいいのね」
「構いません」
奈緒は
「ついて来て」
奈緒の言葉に、南条と明奈は従った。
「待てぃ」
コンビニの入口に、真庭が立ち塞がっていた。
「桃缶なんざ投げつけやがって。勝負はまだついてないぞ」
アイシング用のアイスバッグを額に押し付けたまま真庭が怒鳴る。真庭を睨みつけた奈緒を制止するように、南条が真庭の前に進み出た。
「卑怯なまねしやがって。もう一度勝負だ」
「その必要はありません。今のわたしの力では、あなたに格闘で勝つことは不可能です」
「なんだと?お前、負けを認めるのか?」
「闘って勝てるなら、
拍子抜けしたように、真庭の体から力が抜けていく。
「そうだよな。うん、おれも驚いた。なにせ桃缶だもんな」
「桃缶とは、わたしが投げたあの金属ですか?」
「そうだよ。桃缶だ。喰ったらうまいんだぞ」
「あれは食べ物だったのですか。そうですか。それはもったいないことをしました」
南条と真庭が同時に笑った。奈緒には理解できない共感の仕方だった。
「いい勉強になったよ。若いの」
南条の肩を叩くと、真庭は背を向け、敬礼するSAT隊員たちに見送られながら、指揮車へと戻って行った。
「あの車に乗ってくれる?」
奈緒は駐車場に停車したパトカーを指し示した。
「これは、馬車なのか?」
珍しそうにパトカーを眺めながら、南条が
「馬では引かないから馬車ではないわね」
奈緒は南条にも判るように大きな溜息をついた。
「ねぇ、そのお芝居ってまだ続きそう?いい加減疲れてきたんだけど」
「すまない。まだこの世界のことが良く解らないんだ。迷惑をかけるが、もう少し付き合ってほしい」
「なるほどね。じゃあ、ともかくこの魔法の箱の中に入っていただけます?」
南条は頷き、パトカーの後部座席に乗り込んだ。続いて乗り込もうとした明奈を、奈緒が制止する。
「あなたはわたしと一緒に別の車に乗ってもらうわ」
南条を後部座席に乗せたパトカーが走り出すのを確認してから、奈緒は明奈を乗せた覆面パトを発進させた。
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