第135話 河童叩き

「赤だぞ鳴倉!止めろ」


 小僧犬の肘が鳴倉の左肩を突く。痛みに顔をしかめながらも鳴倉は停止線の手前でランチャを止めた。


 ピッポー、ピッポーと間延まのびした警報音が鳴る歩行者用の信号機の下を、買い物カートを押した老婆がゆっくりと横断していく。老婆が頭を下げると、小僧犬は老婆に手を振って応えた。あの老婆をどこかで見たことがあるような気がしたが、多分気のせいだろう。


 停車しているランチャの車体がかすかに震えた。背後から何かが凄まじい速度で接近してきている。


 サイドミラーに写っていた二台後ろのバンのルーフが音を立てて潰れた。あの男が追って来ている。悠長ゆうちょうに信号など守ったせいで追いつかれてしまった。


「逃げなきゃ。追いつかれます」


 横断歩道を部活帰りの中学生の集団が横切っていく。ご丁寧ていねいなことにこいつらまで立ち止まって頭を下げていく。


「まだ赤だよ鳴倉。交通ルールは守らなきゃ」


 中学生たちはとっくに渡り切っている。それなのに信号は青に変わらない。


 「よし行け。すっ飛ばして行けよ」


 バイパスから脇道にれ、所沢方面に向かう県道を走っている。赤信号を守るのだから法定速度も守るのかと思ったら、そうでもないらしい。


 急加速して走り出したランチャのルームミラーが、アスファルトに着地した男の姿を写し出した。距離にして50メートルもない。人間の足で、どうしたら走行する車に追いついてこれるのだろう。


「飛ばせよ鳴倉。まだ追いつかれるんじゃねぇぞ」


 追いつかれたくはなかった。あんな怪物の相手は絶対にごめんだ。鳴倉はランチャのアクセルを踏み込んで男から距離を取った。



「いい儲け話考えたんだよ」


 助手席の小僧犬がきらきらと輝く目で鳴倉を見つめている。いいことにせよ悪いことにせよ、何かを思いついたとき小僧犬は子供のように目を輝かせる。


「今ここで聞かなければいけませんか?」


 ハンドルを握りながら鳴倉はたずねた。十中八九、小僧犬の話は役に立たない馬鹿話だ。


「おれにしちゃ珍しく合法的な金儲けだ。初期費用もただ同然。何せ必要なのはおれのアイデアだけだからな」


 前方の交差点の信号が赤に変わった。減速しようとすると小僧犬に頭を叩かれた。


「追いつかれるだろうがバカ」


 減速せずに赤信号の交差点に突入した。急ブレーキの音とクラクションが鳴響く中、ランチャは交差点を走り抜けた。


絵心えごころのある奴がいるんだよ。絵はうまいんだけど頭が悪い」


「絵画の贋作がんさくでも作りますか?あの世界は結構面倒ですよ」


「絵画なんか作らねぇよ鳴倉。漫画だよマンガ。マンガ描いて売るんだよ」


 頭が悪いのはどっちだと思うが口には出さなかった。要は絵心のある奴に、自分が考えた話をマンガにさせるということだろう。


「マンガってどんな話なんですか?」


 サイドミラーに追手の姿は無い。この道の先に密輸品を保管する為に買い取った巨大な倉庫がある。小僧犬がそこを目指していることは間違いない。取敢とりあえずそこまで行けば次の展開が開けると信じて鳴倉はハンドルを握っている。


「時は昭和初期だ。主人公はどっかの田舎でアユの塩焼きを売り歩いて生活している。川沿いの小汚ねぇ家には母親と兄弟姉妹が一緒に住んでて、貧しいけど幸せな暮らしをいとなんでるんだ。だがある日、街で一晩過ごして翌朝家に帰ると、なんと家族が皆殺しにされちまってる」


 この段階でもうきな臭い。どこかのなにかの設定をまるパクっている。


「だけど死体の中に弟の姿が無い。辺りを探しまくった鮎五郎は、川に浮かんでいた弟を見つけて慌てて陸に引き上げるんだが、息を吹き返した弟の様子がどうにもおかしい」


 唇をめ回しながら小僧犬はしゃべり続ける。


「けだものみたいに鮎五郎におそいかかってきた弟の頭のてっぺんにさ、皿ができてるんだよ」


「皿?皿って、スープを入れるあのお皿ですか?」


「違うよ鳴倉。スープ入れるのはスープボールだろ?そうじゃなくって皿、お皿。真ん丸の」


 運転中の鳴倉の頭を平手で叩きながら小僧犬がまくし立てる。


「なんと、弟は河童かっぱにされてたんだ」


「カッパ。カッパって、緑色のあのカッパですか?」


「そうだよ。狂暴な河童に家族を皆殺しにされて、ただ一人生き残った弟は河童にされちまったんだ」


「マジですか?マジでカッパですか・・・・・」


「マジだよ。マジでカッパだ」


 真剣な顔で小僧犬がうなづく。


「続けて下さい」


 常夜灯に照らし出された巨大な橋が見えて来た。荒川に掛かる全長1キロに近い羽倉橋だ。


「そこに現れたのは、河童を退治することを生業なりわいにした漁師の集団の一人、鮫島我延だ。一度は河童と化した弟を殺そうとした我延がえんだけど、差し出されたきゅうりを弟が喰わないのを見た我延は、もしかしたら人間に戻せるかもしれないって考えて、自分が師事した伝説の漁師の元へ鮎五郎と弟を送ることにした」


「なるほど。その漁師のもとで修行して、カッパと戦いながら弟を人間に戻す方法を探す。そういう話ですね?」


「まぁそうなんだけどさ。ただ河童どもはさ、斬られても撃たれても死なないんだよ。ほぼ不死身」


「首を斬り落とすか太陽の光を当てるかしないと死なないとか」


「違うよ鳴倉、なんだよそれ。吸血鬼じゃなくって河童だよ?河童。河童は陽の光なんかじゃ死なないだろう?」


 知らないよと怒鳴どなりつけたくなるのをこらえて、鳴倉は小僧犬に謝罪した。


「ではどうすればカッパを倒せるんですか?」


「ふふん」


 得意そうに小僧犬が鼻を鳴らす。


「棒でさ、こんなでっかい棒で、頭の皿を叩き割るんだよ。パリィ~ンってさ」


 後部座席のあんずはぐっすりと眠っているようだ。ここまで起きないとなると何か薬でも使って眠らせているのかもしれない。


 ラッシュアワーが過ぎたせいか、道路は空き始めている。


「ひょっとして主人公、鮎五郎は、何か特殊な術を使うんじゃんないですか?呼吸法とか具現化ぐげんかした生体エネルギーとか」


「おっ、さすがだね鳴倉。もちろんそうさ。生身の人間じゃ河童には敵わないからな」


「それはどんな力なんですか?」


だ」


「へっ?」


「そう屁。おなら、放屁、プー」


「おならでカッパを倒すんですか?」


「そう。爆発的なおならで推進力すいしんりょくを得てさ、一気に距離を詰めて頭の皿を叩き割るんだ」


「それはいくらなんでも無理があるんじゃないですか?おならで戦うって」


「唯のおならじゃないんだよ。水の放屁ほうひとか炎の放屁とか、雷の放屁とかもあって」


「水の放屁って、なんかそれ汚くないですか?絶対出てますよね」


 なにが出ているかは言葉にしなかった。状況が状況でなければ、あまりのバカバカしさに笑い出していたかもしれない。


「いやいや鳴倉さん。なんか馬鹿にしてませんか?ぼくのこと」


「馬鹿にはしてませんがダメだろうとは思いますよ。ちなみにタイトルはどうするんですか?決まってるんでしょう?タイトル」


「もちろん決まってるさ。知りたい?」


「すいません、やっぱりいいです。知りたくないです。言わなくて結構です」


「なんでだよ。聞けよ。聞いてくださいよ」


「わかりました。どうぞ」


「タイトルはこうだ。『河童叩きの棒』。どうよ。決まったろ?」


「カッパ叩きの棒。それがタイトルですか?そしてそれ、カッパ叩きの棒が大当たりすると信じてるわけですね?」


「最初っからうまくいくとは思ってないよ。まぁ最初はさ、ウェブで公開してそこから口コミでさ」


「話題にはなるでしょうね。でもどちらかというと、最低のパクリマンガとして話題になりそうですね」


「ああもういいよ。ダメだな鳴倉は。勉強ばかりしてたから頭硬いんだよ。センスがないねきみは」


 多分小僧犬は、本気でカッパ叩きの棒きれとやらを、絵心のある誰かに描かせるのだろう。その誰かには気の毒だが、小僧犬がこうと決めたらそれは必ず実現する。小僧犬にとって、成功するか失敗するかは別問題なのだ。

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